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*41 先輩

「おー、やっと戻ってきたか」


 研究室に戻ったあたしを待ち受けていたのは、樋田さん。(D1)


その片手にはいつものように、紙パックのコーヒー牛乳。


「どうかした? 樋田さん?」


 もしかして待ってたの? と。


「いんや、ただの伝言。蓮見先生が、戻って来たら来てくれって。急がなくていいからってさ。伝言終わり」


「あー、うん。わかった。ありがと、樋田さん」


「いえいえ、どーいたしまして」


 樋田さんが空になったパックを、部屋の隅に置かれたゴミ箱へ放り投げる。


……あ、外した。


「ちっ」


 小さく舌打ちをして、拾いに行き、再度チャレンジ。


今度は綺麗にゴミ箱の中に収まる。


「……なぁ」


 樋田さんが振り返りもせずにあたしに声を掛ける。


その目線は、先のゴミ箱に向いたままで。


「なんですか?」


 自分のバッグから手帳とルーズリーフ、筆記用具を取り出しながら返事をする。


指導教官のところに行くのに、筆記用具くらいは持って行かないと。


バッグの中がいっぱいで(そんなつもりはないのに)、スムーズには探せない。


「糸屋と、何話した?」


「……何って」


「告られたんだろ?」


 いつもの樋田さんとは似ても似つかない低い真剣な声に、顔を上げる。


彼はもう背を向けてはいなかった。


その責めるような視線に、射抜かれる。


そんな気さえ、した。


寒くもないのに、肩が震えた。


「樋田さん、なんで」


「なんで知ってるかって? 嫌でも気付くさ。気付かない方がどうかしてる」


 吐き捨てるように言う。


間違いなくあたしへの嫌悪感をはらんだその態度に、思わず後退ってしまう。


「気づいてないのは、佐伯だけなんだよ」


「……あたし、だけ?」


「そう、お前だけ」


 その強い視線に、息をすることすら忘れそうになる。


だが、頭では解っていても、目を逸らすことが出来ない。


睨みあうように、互いを見続ける。


 樋田さんが視線を外す。


そして、小さくため息をひとつ。


自分で思うよりも緊張していたのか、視線が外れたことにほっとした自分がいる。


「俺ですら気づいてるんだ。市田はもっと早くわかってるさ。糸屋の様子も相当だったしな」


 ここ、2・3日の糸屋くんの様子を思い出す。


彼の何か言いたげな、思い詰めた様な表情は、見て見ぬ振りをした。


……敢えて、触れないようにした。


彼の気持ちは解っていたが、あたしにはどうすることも出来ないから。


 糸屋くんのことは多分、好きなんだと思う。


触れられるのも嫌ではない。


出来るなら喜ばせてあげたいとも思う。


それぐらいには。


 だが、あたしには市田がいる。


市田と別れて、糸屋くんを選ぶほど好きな訳じゃあない。


現在(いま)過去(むかし)もあたしには、市田しかいない。


残酷かもしれないが、それがあたしの意思で。


 もちろん、樋田さんの言うこともわからないでもない。


この、他人の機微にはお構い無しの樋田さんがそう言うくらいなのだから。


……だけど。


「お前は、隙がありすぎなんだ。その気はないくせに酷くはしてくれない。むしろいつも通りで。諦めさせてはくれない。どっかで期待してしまう」


「……それは、あたしのせいなの?」


「……わからない」


 樋田さんが力なく肩を落とし、首を横に振る。


 随分と勝手な話じゃないだろうか?


勝手に隙を狙って、勝手に期待をする。


それすらあたしのせいだ、なんて。


どいつもこいつも、人の気持ちなんてお構い無しだ。


 それで、あたしに何が出来たというの?


あたしは何をどうするべきだった?


「自分を好きだと言う人をこっぴどく振ればよかったっていうの? 嫌いじゃないのに?」


 頭の中の熱さとは反対に、口から出る言葉は氷のように冷たくて。


それでも、思うことの半分も言葉に出来ないのがもどかしい。


「あたしの今までが、その気もないのに期待させたとか、思わせ振りな態度だって言われるなら仕方ないよ。じゃあ、後のことなんて気にせずにこっぴどく振ってやれば良かったの?」


 あたしには出来ない、と思った。


何より、自分がそうされたくはないと思った。


きっと、市田があたしにそうしたなら、耐えられなかった。


「佐伯」


 樋田さんに肩を引かれる。


咄嗟のことで、しがみつくような格好で抵抗も出来ずに、樋田さんの胸の中へ。


その拍子に、樋田さんの胸板に鼻をぶつける。


「……なっ」


「ごめん。俺が悪かった。確かにお前のせいじゃない」


「やっ……いた」


 抗議の声を挙げようにも、樋田さんの胸元に引き寄せる様に抱き締められる。


そして、彼は耳元に囁く。


「佐伯だけが悪いわけじゃない。あれは、俺の八つ当たりだった。悪かった」


「八つ当たりって……っ」


 聞き返そうとした唇を、樋田さんのそれで塞がれる。


咄嗟のことで、目を見開いた。

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