*35 男女
「……このっ」
夜というにはまだ早い時間、それなりに雰囲気の良いカフェで。
仕事帰りの一服、デートやこれから遊びに行くであろう待ち合わせの人々の中。
不意に店内に響くこの場には似つかわしくない女性の罵声と、一瞬の間を置いた水の音。
店内の視線が何事かと声の方へと向く。
そこには女と、男。
所謂、修羅場。
「……冷たいなぁ。何するの?」
仲裁を、そしてタオルを手に側に来た店員からタオルを受け取り、男の方―高里盟人―は言う。
タオルで髪をざっと拭き、長めの前髪を掻き上げる。
「……だ、だって」
彼女のうろたえる姿に、彼の加虐心は煽られる。
そうして紡がれるのは、彼の持ち味とも言える静かな、だが辛辣な攻め口。
「いらない事、追求するからだろ。大体、何の権利があって俺の彼女気取ってんの?」
彼の発する言葉に女の顔色はみるみる青褪めていく。
そして後悔する。
彼には駆引きも、揺さぶりも通じないのだと。
「なっ……」
「もういいよ。気をつけて帰って?」
要するに、『消えろ』と。
犬を追い払う様な仕草で、この男は言い放つ。
「もうこれ以上、あんたといる必要も、いたいとも思わない」
怒るでもなく、淡々としたその言葉に、この男性の冷淡さを垣間見る。
確かに、今日、彼を誘ったのは彼女の方で。
押して、押してやっと得た約束ではあったのだけど。
「~~~~~~~~っ!」
何事かを喚いて走り去っていく彼女の後ろ姿を、何の感慨もなく無表情に見送る。
むしろ、やっと厄介払い出来たと思っているのかもしれない。
「……さて、これからどうしようか」
独り言が口をついて出る。
……勿体無かっただろうか?
自他共に認める程には美しく、束の間のアバンチュールには最適ではあったのだろうが。
だが、それを差し引いても、彼女は退屈すぎる。
間を潰すどころか、その短い時間でさえ苦痛にしかならなかった。
持て余した暇を潰すよりも、それがもったいなく感じる程に。
――既に、彼女の容姿すらはっきりとしない。
ギャルソン風の制服を着た店員が新しいコーヒーを運んで来る。
「……あぁ、どうも」
運ばれて来たコーヒーに口を付ける。
何か面白いことはないだろうかと考えながら。
そうして彼の玩具になりえそうな人物が現れるのを待つ。
アンティークの品定めや値踏みをするような目で。
隣に立つと、市田のスタイルの良さが余計に際立つ。
ショーウィンドウに映った彼にそんなことを思う。
本人が気にするひょろっとしたひ弱な体型も、翻せばモデル体型な訳で。
あ、ひ弱ってのは見た目だけなんだけど。
どうも彼は筋肉の付きづらい体質らしく、短距離とかは苦手らしい。
そのかわり、マラソンとかの長距離は得意みたいだ。
うっすらとついたしなやかな筋肉はそれはそれで良いのだけど。
何であれ、顔はまずまず(格好悪くはない)、上背もあってスタイルのいい彼を、人は放ってはおかない。
一緒にいると、チラチラと彼を伺う視線が痛かったりもする。
十人並みを自覚するあたしには、その視線は地味に痛い。
うん、痛いのよ。
「? どうかした、奈津?」
あたしの視線を感じたのか、今まで携帯画面を見ていたその目があたしを捕らえる。
「ううん、なんでもない」
「そう?」
自分と彼の釣り合いについて考えていたなんて、言えない。
言えば、『それは違う』と笑い飛ばしてくれるのはわかってるけど。
こう、ネガティブ寄りな思考になるのはあたしに問題があるのだろうし。
「……もうちょっと時間あるね。コーヒーでも飲もうか? お腹は?」
「少しだけ」
「それならなおさら、ってことで」
市田に手を引かれて、カフェのドアを潜る。
途端、全身をふわぁっとコーヒーの薫りが包む。
クリームをたっぷり盛ったマキアートとプレッツェルをカウンターで注文して。
「それだけで良いの?」
「うん。とりあえずは」
「……とりあえず、ね」
プレッツェルとコーヒーしか頼まなかったことを指摘される。
「それに、あんまり食べると眠くなっちゃうじゃん」
「それは、まぁそうだね」
焼きたてのプレッツェルにかぶりつく。
うん、おいしい。
この店のプレッツェルは、注文してから焼いてくれる。
焼きたてのパリパリのほかほかが食べられるので、あたしのお気に入りだったり。
「ほんとに好きだよね」
あたしの様子を見て、苦笑しながら彼が言う。
「そうかなぁ」
「多分。いっつもそればっかり頼んでる」
そんなつもりは全くないのだけど。
言われてみるとそんな気もする。
新製品とか甘いものに悩むんだけど、結局いつものを選ぶ。
……うん、そうなのかも。
そんな気がしてきた。




