*33 一滴
自慢じゃないが、朝には自信がある。
早朝練習だって嫌だと思ったことはないし、二度寝や寝坊は滅多にない。
……まぁ、それはどうでも良い。
肌寒かった。
とっくに朝になっていたのはわかっていたが、体がなんとなくだるい。
風邪とかではなく、昨日の疲れが抜けきっていないみたいな。
手を伸ばし、タオルケットを探す。
やっと掴んだタオルケットの感触。
そこでやっと自分の置かれた異常な事態に気付く。
まだ閉じようとしたがるまぶたを開けて状況確認。
うん、まずいだろ、これは。
なかなか醒めなかった眠気も吹き飛ぶ。
まず、俺。
全裸。
すぐ隣には笹岡。
多分、裸。(未確認)
全く覚えのないこの部屋。
多分、笹岡の部屋。
……………………。
思わずため息を付く。
彼女には悪いが、さすがにこれは俺の失態で、そんな自分に呆れる。
この状況では、それ以外にありえない。
それも、他に好きな人がいるというのに。
「……そんなため息つかないでくださいよ」
笹岡が目を醒ましていて、下から睨むように見ていた。
そして、ついと逸らされる。
「さすがに凹むじゃないですか」
先のため息を指摘される。
どうも俺より先に起きていたようだ。
「……っ。いや、そういうんじゃ……」
「そういうも何も、ですよ。それより、」
お腹が空きました、なんか食べに行きましょう。
そう提案する彼女に、逆らえる訳もなく。
「……朝から牛丼かよ」
「……嫌いですか、牛丼」
目も向けずに牛丼をかっこむ彼女。
朝から連れ込まれた彼女の部屋の最寄の牛丼チェーン店。
やはりというべきか、客はサラリーマンらしき人が数人と自分たちだけ。
いくらなんでも、土曜日の朝から牛丼は食べたくはない。
「嫌いではないけどさ。朝からは食べないな」
「そうですか。あたしはいつもですけどね」
「……飽きないのか?」
自分には無理だ。
実家が料亭をやってるからか、実家の食事はどうしても和食が中心で。
そのメシに飽きると、ファーストフードだとか牛丼だとか、無性に食べたくなることはある。
が、毎食は食べたくないし、多分無理。
彼女の食生活に不安なものを感じる。
「そんな嫌そうな顔するなら、ウチに来てご飯作って下さいよ」
「和食しか作れないけどな」
言い返すと、笹岡が唇を尖らせる。
答えが意外だったのか、彼女が料理が得意ではないのか。
それとも、両方か。
彼女の年齢以上に幼いその仕草に表情が緩む。
「……なんですか」
「いや、可愛いなって」
「うっわ」
あからさまに嫌そうな顔をする。
その表情の変化も幼くて。
「先輩は女ったらしですか」
「……それはないな」
「じゃあ、好きでもない女に変なこと言わないで下さいよ」
「……悪い」
彼女の言うのはもっともで。
って、あれ?
「俺、好きな人がいるって言った?」
さっきの口振りが引っかかる。
まるで、俺の好きな相手を知ってるかのような。
「……昨日。呼んでましたよ、名前」
上目遣いに睨まれる。
聞くなよ、とでも言うように。
「……ここ、出たら、さよならしましょう」
「……あぁ、うん」
明らかに気まずい空気になる。
笹岡に切り出させてしまったことに罪悪感を感じる。
いいんだろうか、これで。
半分程残した牛丼を眺めながら少しだけ考える。
「じゃあ、これで」
店を出るなりそう言って、踵を返そうとする彼女の手首を掴む。
「……なんですか」
「あ……いや」
気が付いたら掴んでた、なんて言えない。
強く掴んだら折れてしまいそうな程の手首に内心焦る。
「情でも同情でも嬉しくないです。むしろ、迷惑?」
「あ、いや、そうじゃなくて」
「じゃあ、何なんですか」
彼女の挑戦的な視線に。
その刺々しい言葉にでさえ。
「あの、俺が言うのも変なことなんだけど」
真っ直ぐに見上げる彼女に。
「俺は君のことが」
「ふざけんじゃねぇですよ」
言葉半ばで遮られる。
吐き捨てるような言葉で。
「一緒にいるときに、それもベッドの中で、好きな人の名前を呼ぶ男なんて、願い下げです。一昨日来やがれ、です」
「……うん」
それはそうだろうなと思う。
俺だって、それは勘弁したい。
確実に萎える。
「そういうこと言いたいなら、ちゃんと気持ちに整理つけてからにしやがれ、です」
「うん。そうする」
彼女の言うのはもっともで。
頷く以外にはなくて。
もう、彼女は俺に真っ直ぐな瞳を向けない。
少し俯いた、前髪に隠されて。
「……わかったよ。ちゃんとする」
「それが良い、です」
じゃぁ、帰ります。
立ち去ろうとする彼女を、引き留める言葉も思いつかない。
たとえ、その細い肩が震えていたとしても。
俺にはただ、見ているしか出来ない。
俺と彼女が10メートルほど離れた時。
「……糸屋先輩っ」
不意に、彼女に呼ばれた。
慌てて、振り向く。
「こっち見んな、です。それで、黙って聞きやがれ、……です」
そう強がった口をきく彼女の声に涙声を感じて。
でも逆らえそうにない。
「あたし、先輩の事、前から好きだったんですよ?」
そう告げられた言葉。
弾かれたように振り向けば。
彼女の姿はそこにはもうなかった。




