*25 言葉の限界
朝倉の部屋に泊めてもらった翌朝、送ると言ってくれた朝倉の申し出を断って一人で電車に乗った。
「気をつけて。隙間とかに落ちんなよ」
最寄りの駅まで送ってくれた朝倉がからかう。
寝起きのままの短い髪は四方八方へと好き勝手に延びている。
まだ、眠そうだ。
「隙間って。そんなに小さくないし」
「俺から見たら小さいんだよ。も、豆粒みてぇ」
そりゃ、180cmに届こうかという身長の持ち主から見れば小さいだろうけど。
それでも20cmくらいしか変わらないのに、豆粒はないだろう。
明るく振る舞う朝倉に思わず頬が緩む。
「ほら、早く乗れよ。ドア閉まるぞ? 挟まるぞ?」
「挟まるって……」
「あれ? なかったか? 中学の修学旅行で」
「……~~っ。あれ一回だけだもん!」
一体、何年前の話だ。
酷い言われように頬を膨らませる。
そんなあたしの様子に彼は顔をくしゃくしゃにさせて笑う。
笑い転げる。
(実際に転がったりはしないが。)
電車のドアが閉まる。
冷たく無機質なガラスが、あたしと彼の間を隔てるように閉まる。
ガラス越しに彼が口を開く。
パクパクと水中で酸素を求める金魚のように。
「……何? 聞こえない」
たった4文字の言葉が聞こえない。
なんて言ってる?
何が言いたい?
彼は少し困ったような顔で笑い、手を振る。
そして流れ始める車窓。
あたしは、その場にズルズルと滑り落ちるようにしゃがみ込んだ。
なんで頬を涙が伝うのか、なんで自分が泣いているのかもわからずに。
「奈津」
自宅の最寄の駅で改札を抜けると、彼がそこに待っていた。
「……なんで?」
「……なんとなく?」
口をついて出た疑問に、市田も疑問で答える。
そしてまた、困ったような微笑で。
……ずるい。
少しだけ、そう思う。
「……帰ろう?」
疑問形で言いながらも、彼の指は半ば強引にあたしの右手の指を掴まえる。
抵抗する気のないあたしの様子に、彼の表情が幾分和らぐ。
彼でも拒否されるのは怖いのだろうか?
彼の手に引かれて駅の構内を出る。
口数は少なく、少し足早に。
今日も研究室に泊まったのだろうか。
少しはねた髪の毛に、シワの寄ったパンツ。
肩にかけたショルダーバッグは重そうで。
なんとなく、疲れているような様子。
「……帰ってこないかと思った」
彼から発せられた、搾り出すような苦し気な声。
思わず足を止める。
あたしが進まない事に気付いて、彼が振り返る。
「……なん、で?」
「朝倉君が君に好意を持ってた事を知ってた。君が昔、朝倉君に好意を寄せてたのも」
今にも泣き出してしまいそうな程に苦し気な表情。
よく見ると赤みがかった睛が、彼が昨夜寝ていないことを示す。
「……だから、帰ってこなくても仕方ないと。そう、思ってた」
他人に弱みを見せるタイプじゃない。
必死に取り繕って、それを人には晒さない。
その彼が、取り繕いもせずに、その情けなさを晒す。
その情けない表情は、あたしがそうさせているのだと。
「……ありがとう。そして、ごめん」
繋いだ手を引かれ、彼の腕の中に収まる。
微かな煙草の匂いと、少しだけ甘い彼の愛用の香水の香りに目を閉じる。
「情けなくて、ごめん。でも、」
──側にいて。
耳元で囁かれた言葉に、胸の当たりが締め付けられる。
返事をする代わりに、彼の胸元にしがみつく。
言葉では表せない気持ち。
言葉で全てを言い表す事なんて出来そうにはない。
言葉ではない返事が理解できたのだろうか?
程なくして、額に、瞼に彼の唇が触れる。
薄くて、少しだけカサついた感触。
そのまま、指の腹であたしの唇をなぞる。
「ここ、まだ駅の前だよ?」
彼が何をするつもりなのか察する。
こんな人の往来のある場所で。
しかも、出勤時間で人が多いというのに。
「……構うもんか」
そう言った彼は、あたしにキスを落とした。
息もつかせない程に、深く。




