夜空に舞う粉雪 24
正面玄関から堂々と邸に入っていたイオの背中を、リリアーナは胸を押さえながら見送った。
エカルラートの人間はイオを傷つけることはできない。アレクシウスと結んだ誓約書にそう明記させた。それでも不安は拭いきれない。
イオにはある程度の護身術を身につけさせた。洗脳系の魔術への対処も教えた。大丈夫。きっと大丈夫。
信じて待つことは、こんなにも歯痒かったか。
牢にいた時の方がまだ落ち着いていられた。
あぁ、それはきっと、心のどこかで諦めていたからだ。
でも、もう諦めてはいけない。
リリアーナは、助け出されたのだから。
今にも崩れ落ちてしまいそうな体を、奮い立たせる。
「じゃ、こっちも頑張りましょうね」
「簡単に言ってくれるな。それよりあの魔獣、涎を垂らしながら延々とこちらを見つめているんだが」
「私がいるから襲ってはこない。それより魔力を分けて欲しいの」
遠くで唸り声を上げている魔獣から視線を移したディランは、魔獣を見るような目でリリアーナを見た。
「……魔力の受け渡し方法に問題がある」
リリアーナは小首を傾げた。
そして、ははん、と半笑いを浮かべた。
「ディランって女泣かせみたいな顔してるのに、意外と純情なのね」
「誰が女泣かせだ。至極真っ当な貞操観だろうが」
リリアーナは声を上げて笑った。
「貞操観! ただ異性と手を繋ぐだけで、貞操が危ぶまれるなんて! 王国の男女交友は相当厳しいのね?」
「……手を、繋ぐだけ、だと?」
今度はディランが首を捻った。
どうやら会話が噛み合ってなかったようだ。説明が面倒だったので、行動で示す。
リリアーナはディランの左手から籠手を取り去ると、両手で握りしめた。
「別に体内の粘液を摂取する必要はない。というかいつの時代よその方法。ということで、魔力、もらうわ。ここにいる騎士さまたちを助けるためよ。協力して」
その容姿に似合わず剣だこの多い手のひらに、リリアーナが感心している頃。
エカルラート邸の晩餐室の扉が、大きく開かれていた。
「……今日は招かざる客が多いようだな」
冷酷な声に臆することなく、イオは会場を進んでいく。
長卓の最奥、当主の正面に設けられた主賓席に目的の人物を見つけ、密かに安堵した。
リリアーナの予想通り、害されている様子はない。
駆け寄りそうになる足を堪えて、静かに近づく。丁寧な所作は、それだけで周囲に余裕を思わせる。
強大な敵を前にしても、怯んではいけない。付け入る隙を与えてはいけない。見栄は張り通せ。リリアーナの教えだ。
「フェリクス王太子殿下。お迎えに上がりました」
慇懃に頭を下げ、穏やかな微笑を浮かべる。
近くにいる、瞳を輝かせたオリーヴィアを、リリアーナの命に従っているイオは、もう、視界に入れない。
「……行動を共にしていた者はどうした」
イオはフェリクスと面識を持っている。ディランを介し、言葉も交わした。
ただ、この場に現れたのがイオひとりだったからか、フェリクスは怪訝な表情を見せる。
「騎士団と合流いたしました。現在、コールデン隊長は保護対象者の警護にあたっておられます。そして私は、私の主人の命に従い、あなたさまをお迎えに上がりました」
「……その言葉、信じるに値する証拠は?」
「なるほど。殿下はこの晩餐会をもう少し楽しまれたいのですね。私の主人にそう言付けて参ります」
躊躇いなく踵を返したイオに、制止の声がかかる。
「浅はかだった。謝ろう。案内を頼む。君は、この邸の構造を知り尽くしていると聞く」
「はい。お任せください」
簡単に述べられた謝罪の言葉に、胸の内で驚きながら、イオはフェリクスらを引き連れ、足を前に進めた。
「待て。勝手な退出は認めない」
イオは足を止め、声の方を向いた。
「……失礼ながら、私の主人はエカルラート当主ではございませんので、その命令には従えません」
赤い瞳を恐れる必要はない。目は口ほどに物を言う。こちらを見定める目を、こちらも見定めろ。これもリリアーナの教えだ。
「奴隷の分際で随分と頭が高くなった。あれの調教は相変わらず甘い。お前の主人の、その主人の命だぞ」
「私の主人に主人なんておられません。エカルラート当主さま、私の主人は、あなたさまのものではございません」
「よく吠える犬だ」
「ええ。主人の命とあれば、神にも噛みついてみせましょう」
アレクシウスは鼻で笑う。
どれほど威勢よく吠えようが、アレクシウスが許可しない限り、彼らはここから出ることができない。
「それでは主人が待っているので。御前、失礼いたします」
イオが晩餐室の扉に手を伸ばす。
その手は魔術で弾かれる。
はずだった。
「殿下、お先にどうぞ」
「ああ、ありがとう」
平然と退室していく一行を、それまでにやにやと眺めていた者たちが、愕然と見やる。
アレクシウスもまた、目を見張った。
そして、暗い窓の外を見る。
完成された術式に干渉し、書き換える。
それを成せる者を、この大陸では大魔術師と呼ぶ。
アレクシウスは無意識に妹の名前を呟いていた。




