夜空に舞う粉雪 23
エカルラート領は、グランディール王国建国時、当時のエカルラート当主が王より恩賞として賜った土地だ。
元は王国に戦敗した小国のひとつだった。
王都より北に位置するその土地は、夏は短く、冬は長く雪に閉ざされる。独自の文化、厳しい自然環境、王都までの距離。王政による直接統治は容易ではなかった。
そのため建国当初、王国はエカルラート家に領地の統治を委ね、広範な自治権を認めた。
まぁそんなものはただの建前だ。
ようは王家はエカルラートを中央政権から切り離し、遠ざけたかったのだろう。
遠い不毛の地でほそぼそやっててくれ。初代国王はそう願っていたに違いない。
「だからこれはね、自業自得でもあるのよ。昔の王政が、長い時間をかけて今のエカルラートを作ったの」
「……おい、不敬だぞ」
「そうね。現国王は貧乏くじを引かされただけね。王家の後ろ暗い過去、エカルラート一族から目を背け続けてきた歴代の王のせい」
「……俺は何も聞かなかったことにする」
「どうしてですか? リリアーナさまのお話は、ちゃんと聞くべきです」
「王室への侮辱は重罪だからだよ! 優しさだ、これは!」
小さく叫んだ器用なディランを、リリアーナはしげしげと見つめた。
善人というのは、こういう男のことをいうのかもしれない。
リリアーナは自分の大切な者たちを全て、王都にいるこの男に託した。
イオには情報を。娼婦たちには、その情報を裏付けるものを持たせて。
まだ主邸に住んでいた頃に密かに集めたエカルラート家の内部情報。王家から命じられた暗殺の記録、自治権を悪用した不正、秘密組織の存在、国外との違法な薬物や武器の取引。そして、娼婦たちに施していた魔術。
この家を変えてやるのだと、幼くもがいていた過去の自分が、愛おしい。
初めからこうしてやればよかったのだ。
(私は、私が大切にするものを粗末に扱うお前たちを、許さない)
だが、これは賭けだった。
託した情報を、ディランが信じ、正しく扱ってくれる保証などない。
王国によるエカルラート家への裁きを可能にしたのは、リリアーナだ。だが、それを実現させたのはディランだ。
「……それにしても、この状況まで君の予測通りで俺は恐ろしい」
「結局、私もこの家の人間だからね」
ディランはエカルラート邸の壮麗な庭園、だった場所を険しい顔で見た。
地面が大きく窪み、その大穴に騎士たちが閉じ込められている。魔術で一切の身動きが封じられ、口を開くどころか、指先ひとつ動かせないようだった。
「あくまで保護だと言い張るでしょうね。実質人質だけど」
「殿下はご無事なんだろうな」
「王太子殿下に危害は加えない。うちは陰湿なの。今頃晩餐会でもてなされているんじゃない?」
「……本当に陰険だな。つまり膠着状態ということか」
「そう。王政もエカルラートも、どっちもお互いの主張を認めない。睨み合っている状態」
リリアーナはため息を吐いた。
晩餐会の会場では、フェリクスとアレクシウスが、リリアーナの予想通り、静かに睨み合っていた。
「……先程の地鳴りはなんだ?」
声を低くしたフェリクスに、周りのエカルラート一族がクスクスと嗤う。
突如鳴り響いた轟音に、誰一人動揺を見せなかった。
「ああ、うちは魔獣を庭に放し飼いしているからな。騎士団の皆様が害されないよう、隔離しておいた」
騎士団のほうを、とは続けない。
リリアーナの名前に反応してしまった自分を律する。
どうせ、牢から出したとて、邸からは出られない。
エカルラート邸は、その敷地内に足を踏み入れたが最後、当主の許可なく立ち退くことができない。邸全体に堅牢な術式が組まれている。
そして、それは王国騎士団も同じ。
彼らはアレクシウスの許可がない限り、王都に帰還することができない。
さて、この王太子を使い、どう王国を強請ってやろうか。
アレクシウスはいくつか策を巡らせた。
「エカルラートはおそらく、王国法を適用するなら、王国騎士団の越境行為も調べろと要求する。そして王太子殿下を事実上の人質にして、命令を撤回せざるを得ない状況まで持っていく」
リリアーナは指先で陣を描き続けながら、口を動かす。
「対処は簡単。王国はエカルラートの要求を認めればいい。そして、命令の撤回だけは受け入れなければいい。妥当案として、改めて協議の場を設けることになるでしょうけど、そこから先は私の知るところじゃない。けど、王国には頑張ってエカルラートを叩き潰して欲しいわね」
ここまで御膳立てしたのだから。
リリアーナは指先の土を叩いて落とす。
「イオ。王太子殿下を迎えに行ってあげて。この家の者たちは、あなたを傷つけることができない」
そういう誓約を結んである。
リリアーナの自由を奪うものだった首枷は、今、リリアーナを守る盾へと形を変える。
イオの青い瞳が不安に揺れた。
「……大丈夫。ちゃんとここで待ってる。あなたを置いて、どこにも行かない」
イオには、エカルラート家の権威を失墜させるための立案書も持たせていた。その計画には、リリアーナへの制裁も含まれていた。
けれどディランは、リリアーナを保護対象だと言った。
つまり、イオは交渉したのだ。
リリアーナの願いを、叶えるために。
それは、イオの未来を奪うものになるだろう。
イオはこれから先、従者として、リリアーナと共に王国に縛りつけられる。
「イオ、ありがとう。私のお願いを、叶えてくれてありがとう」
治っていたはずの涙腺が、また壊れ始めた。
ぼろぼろと、勝手に涙がこぼれ落ちる。
「僕は、リリアーナさまのお願いなら、何度でも叶えたい。そして、僕の望む人生は、あなたさまと共にいることです」
リリアーナは嗚咽を飲み込んで、イオの濡れた頬に手を伸ばす。
イオは身を屈め、目を瞑った。
その額に祝福を贈る。
そして、あの日と同じ言葉を、リリアーナは紡いだ。
「……どうか、私を助けて」
イオは、頬に触れるリリアーナの手を、そっと自分の手で包む。
「はい。リリアーナさまの御心のままに」
混ざり合った涙が、二人の手を伝い、地面に落ちて弾けた。




