夜空に舞う粉雪 22
「俺が抱えたほうが早い。よこせ」
「断固、拒否します。絶対に、渡しません」
「……人を、物みたいに扱わないで」
リリアーナの囁きに、イオが「とんでもございません」と頬を頭に擦り付けてきた。
「……私、臭いと思うんだけど」
「お花の香りがします」
そんな馬鹿な。まさか意識のないうちに、牢の中で髪を洗われていたのだろうか。
リリアーナは背筋が震えた。
すると抱き込む腕の力が強くなった。体と体が密着する面積が増える。
「……あなた、また背が伸びた?」
「背が高い僕は、嫌ですか?」
「……嫌って言ったら、どうするの?」
「縮めます」
「ふふっ!」
「こんな場所でいちゃつかないでもらえるか?」
先頭を走るディランがげんなりと言う。イオも、イオに抱えられているリリアーナも、きょとんとその背中を見つめた。
一行は地下牢の数ある出入り口のひとつから地上へと走り出る。
外だ。
リリアーナの鼻先に、雪がはらりと落ちた。
冷たい。
ディランとイオは邸の影に身を潜め、乱れた呼吸を整える。その白い息を夜風が攫っていく。
辺りを覆う雪が庭灯の光を反射して、夜だというのに周囲は明るい。
リリアーナは空を見上げた。暗闇から白い雪がはらりはらりと落ちてくる。
キンと冷えた空気が肺を満たし、霞んでいた意識の輪郭が、少しずつ鮮明になっていった。
「……ディラン、あなたは今、どういう立場でここに居るの?」
ディランは翡翠色の瞳で、リリアーナの赤い瞳を真っ直ぐに見た。
「王国第二騎士団隊長ディラン・コールデンとしてここにいる」
「……そう。私は、騎士団に連行されるの?」
「いいや、保護される。お前……君は、エカルラート邸の地下牢に囚われていたんだぞ」
嘘ひとつない言葉に、リリアーナは静かに胸を押さえた。
牢の中で、口に出してしまわないようにしていた名前を、唇にのせる。
「……イオ」
「はい。リリアーナさま」
ただ名前を呼ぶ。それだけで、イオは嬉しそうにする。
意味もわからず、涙が出た。
きっと、長く感覚麻痺を続けていたせいで、涙腺が馬鹿になっているのだ。
「あなたはどうしてここにいるの?」
「リリアーナさまのお願いを、叶えに参りました」
その代償を、賢いこの子は、気づいているだろうに。
「……ごめんなさい、私、私は、あなたを、」
「リリアーナさま」
初めて言葉を遮られた。
リリアーナは驚愕に目を見開く。
「ごめんなさいは、悲しいです。他の言葉がいい。僕、頑張りました。褒めて欲しいです」
瞬いた拍子に、眦に残っていた涙がはらりと落ちた。
リリアーナはひとつ、息を吐き出す。
乾いた唇を、ゆっくりと開いた。その時。
ドオオオオン!
大地が揺れた。
樹林から鳥が一斉に鳴き飛び、夜空の向こうへと消えていった。
三人が邸の外で警戒に身を低くする、その数刻前。
エカルラート邸の晩餐室では、そこに招き入れられた客人が、優雅に続く晩餐会に眉を顰めていた。
「貴殿らは、我々の来訪を何と心得ているのか」
「それを今から問うのでないか。お前たちが王国騎士団を僭称する不届者か、否か。生憎、こちらには王国から何の通達も受けていない」
晩餐会に招かれた二人のうち、大柄な方の男が、分かりやすく憤りを見せる。
「無礼だぞ」
「いい。私はグランディール王国王太子、フェリクス・アウレリアン・レナード・グランディール」
他の騎士たちとは違う意匠が施された、白い鎧を纏う若い男、フェリクスが胸を張って名乗った。
その堂々とした佇まいを、アレクシウスはほぅと見据える。
「そう思い込んでいるだけの道化だと判断するなら、それでもいい。貴殿らが瞳の力に頼るだけの能無しだと証明されるだけだ」
安い挑発に、数名が釣られた。エカルラート一族は、赤い瞳に誇りを持っている。それは崇拝に近い。
アレクシウスは背中を椅子に預け、肘掛けに頬杖をついた。
外交を担当する臣下が一歩前に出て口を開く。
「では、王太子殿。エカルラート領へ、通達もなく騎士団を進軍された、その意味の重さをご存知でしょうか? まるでこの晩餐会に合わせたかのような日程でしたが……私どもは招待状を送っていません。観光には少しばかり時期がお早いですよ」
穏やかに笑う臣下に、フェリクスは臆することなく告げる。
「私がその通達書を届ける使者だ。騎士団は私の護衛に過ぎない」
王国が王太子を使者としてエカルラート領に遣わした。
事の重大さに、臣下が笑みを消した。
フェリクスは懐から筒状の書状を取り出して、掲げるように広げた。
「王国からの正式な命令書だ。読み上げる。
エカルラート家およびその関係者において、王国への離叛ならびに叛逆に該当する行為が認められた。これを受け、エカルラート家に従来認めてきた自治権を停止し、エカルラート領を王政の管理下に置く。これに伴い、以下を命ずる。
一、独自の裁判権を廃止しーー
ーー以上をもって、エカルラート家に認められていた自治権を停止する。本命令に従わず、なお独自の統治権を主張する場合、王国への叛逆とみなす」
最後に国王の名が読み上げられ、囁き声すら消える。奏でられる音楽だけが静かに響き、会場を異様な空気で満たしていた。
アレクシウスが手を挙げると、それも止まり、重く、冷ややかな沈黙が落ちる。
「そして王国法に則り、以下人物らを拘束、連行させてもらう」
読み上げられた名前を静かに聞いていたアレクシウスが、口を開く。
「私が当主につくにあたり、処分した者たちばかりだ。生きている者は連れていくといい。だがエカルラートは、王政には下らない。建国当初に結んだ盟約を、王国が反故にするというのなら、我々が王国の命に従う義務も消える」
「ではエカルラートは王国に反旗を翻すと」
「正当な主張だ。先に我々を裏切ろうとしているのは、そちらだ。いいのか? 長きに渡り、エカルラートは王家の闇を引き受け続けた。これが明るみになれば、現王政の権威は揺らぐだろう」
大陸で最も歴史の古い、由緒正しいグランディール王国。その輝かしい発展の裏には、エカルラートの暗躍が隠されている。
その史実が公表されれば、王国は近隣諸国のみならず、自国の民からの非難も免れないだろう。
エカルラートは、王国に対して、弱みとなる切り札を持っている。
はずだった。
「王政は貴殿らに課した全ての命令を再調査し、王国法に則り、裁くことにした」
「……その地盤を自ら揺るがすと。愚かだな」
「王政は揺るがない。例え泥沼の上であろうと、我々は意思を持って立ち上がり続ける」
フェリクスはアレクシウスを真っ直ぐと見た。
夜明けの空のような藍色の瞳。綺麗な場所で温く育った人間が持つ、高潔で意志の強い、不快な色をしていた。
「……現王政が把握していないだろう、建国以前のものもある。どう裁くというのか、見ものだな。そもそも、その記録を我々が容易く献上すると思うのか?」
「記録なら既に全てそろっている」
アレクシウスは目を細め、周囲を見渡した。どうやら内通者がいるらしい。
「王国に貴殿らの所業を訴え出た者がいる。我々はその者を保護させてもらう」
ざわりとどよめきが広がる。エカルラート家を王国に告発した者がいる。一族に対する明確な裏切り行為だ。
アレクシウスは脳裏に浮かんだ姿をかき消す。地下牢で眠り続ける人間に、何が出来るというのか。
次にその従僕の姿が過ぎる。邸を出て行ってからの消息が掴めていない。だがこれもまた直ぐに否定した。たかが奴隷だ。
眉を寄せたアレクシウスの元に、ルーエンが恐る恐る近づき、耳打ちする。
アレクシウスは立ち上がった。
「王太子殿。貴殿の護衛が、その任を放棄して邸内で勝手な行動をとっている。制圧されても文句は言わせない」
「いや、言わせてもらう。その者は正しく任を務めている。リリアーナ・エカルラートの身柄は我々が預かる。王国の保護下にある証人だ」
アレクシウスは生まれて初めて、こめかみに青筋を立てた。




