夜空に舞う粉雪 25
地面に描いた陣に、命令式を書き込んでいく。
リリアーナは騎士団を無力化している魔術を解析し始めた。彼らにはこれから自分を守ってもらわなくてはいけない。
然程時間をかけず、リリアーナは拘束魔術を解除した。
大穴から各々自力で脱出する騎士たちを眺めながら、リリアーナはエカルラート邸を見上げる。
その古く堅牢な術式は、とうの昔に解析済みだ。
ただ、これを打ち破る必要が今まではなかった。
「……さようなら」
リリアーナは指先で虚空に陣を描き、魔術を展開した。
くらりと視界が揺れる。
めまいだ。
魔力が足りない。
リリアーナは舌打ちをして後ろを向き、こちらを胡乱に見つめる騎士たちの顔を見渡した。そして、ひときわ濃い魔力を纏う騎士に近づく。
「はじめまして、私はリリアーナと申します。騎士さま、どうか私に魔力を分けてくださいませんか」
「……断ると言ったら」
「残念です。一生この邸の敷地から出ることができません。私も、あなた方も。エカルラート邸は侵入は簡単ですが、脱出が困難なのです。試しにあの正門から出てみてください。内側に弾き飛ばされますから」
「そのような報告は上がっていない」
リリアーナは、あらまと口元を押さえた。
(イオは全ての情報を王国に提示していないの? それとも王国側が情報を制限してる? 理由はどうあれ、説得が面倒だなぁ)
「第一、魔力供給は個人の尊厳を奪うものであり、倫理的に大きな問題が、」
「だからいつの時代よその手法! どうなってるの王国騎士団は!?」
リリアーナは近くにいたディランの体をべしべしと叩いた。
「……エルマン、協力してやってくれ。彼女は王国側についたのだと、我々に証明しようとしているんだ。……そして彼女は、俺の命の恩人でもある」
エルマンと呼ばれた騎士は、ディランの言葉に素直に頷いた。
これが人徳というやつか。
ディランに尊敬の眼差しを向けるリリアーナ。
その身長に合わせて屈んだエルマンの頭を、ディランは勢いよくひっ叩いた。
「直接手を握るだけでいいそうだ」
「痛いじゃないですか! 手を握るだけでいいなんて聞いたことありませんけど?!」
「あなた左手が利き手ね? なら右手をかして」
ごちゃごちゃ騒いでいる騎士二人を無視して、リリアーナはエルマンの右手を取った。
騎士の剣を握る手を塞いではいけない。何かの本にそう書いてあったからだった。
雪はいつの間にか止んでいた。
薄くなった雲の隙間から、月の光が落ち、辺りを淡く照らす。
リリアーナは組み上げた術式に魔力を流し、魔術を展開した。
バチバチと術式同士が稲光のように弾け合う。
肌が焼ける熱さに、歯を食いしばった。
空気がうねり、とぐろを巻くように体にまとわりつく。
この家が生み出す術式は、相変わらず、呪いのように禍々しい形をしている。
胸糞悪い。握りつぶしてやる。
「術式掌握」
消し去りはしない。書き換えてやろう。
この赤い瞳は、術式の解を正しく映す。
「命令式解除。構成式干渉。現象式改変。実行」
邸に張り巡らされていた術式が形を変えていく。
吸い取られていく魔力に、リリアーナは両足を踏ん張った。
まだ、倒れるわけにはいかない。
リリアーナの術式が邸全体に広がっていく。
一度強く光を放つと、結晶となって弾け、キラキラと夜空を舞った。
詰めていた息を吐き、体の力を抜いたリリアーナは、エカルラート邸を見上げる。
満足感はあったが、思っていたほどの清々しさはなかった。
この家には、何一つ思い入れなどないはずなのに。
「……イオ」
リリアーナは小さく呟いた。
早く顔が見たい。
まだ、倒れるわけにはいかないのだ。
「……案内されてきた道順通りだな」
「抜け道なんて罠だらけですから」
後ろで呟かれた言葉に、イオは淡々と答える。
この長い廊下を、本当は今すぐにでも走り抜けたいのだ。
「私はリリアーナさまが結んでくださった誓約のおかげで、この家の方々に直接害されることはありません。ですが意思を持たない魔術は違います」
フェリクスが頷く気配を感じとる。
リリアーナはよく使用人通路を使っていた。そこには罠こそ無いが、非常に複雑な作りになっていて、どこへ行くにも遠回りをすることになる。
今は表廊下を使うのが一番効率的だ。
「鬱陶しい」
イオはまとわりついてきた魔術を、魔力を込めた腕で払い除ける。
心を操る系統の魔術は、物理攻撃に圧倒的に弱い。魔術の心得のない者でも簡単に対処できる。リリアーナの言っていた通りだった。
その様子をフェリクスとその護衛がドン引きしながら眺めていることを、前を歩くイオは知らない。
エカルラート邸の正面玄関。
イオは重厚な両扉を開き、外へ出た。
「フェリクスさまだ! レオンハルト隊長もいるぞ!」
「王太子殿下! ご無事ですか!」
駆け寄ってくる騎士たちにフェリクスをまかせ、イオはリリアーナの姿を探した。
顔には色がなく、頬は痩せ落ち、体は羽のように軽かった。
気丈に振る舞っていたが、立つのもやっとなはずだ。
声だって酷く掠れていた。
その人の姿をイオは何度も目にしたことがある。
事切れてしまう前の、弱りきった人の体。
「リリアーナさま! どこですか!? リリアーナさま!!」
「ここだよ!」
鈴のような声に振り向く。
地面に座り込み、片手を高く上げて、自分はここだと大きく示している、小さな体。
イオは駆け寄って、躊躇いなく抱き上げた。
「イオ、よく頑張ったね。えらいわ。ありがとう」
その頭に頬を擦り付け、リリアーナの存在を確かめる。
体が冷たい。
イオは自分の熱を移すように、リリアーナを強く抱きしめた。
「……何をやっている」
その声は、安堵の声が広がる庭園に冷え冷えと響いた。
アレクシウスは目を細める。後ろにはエカルラート一族を引き連れていた。
王国騎士団は警戒の姿勢を見せ、鋭い視線を向ける中、イオとリリアーナだけが、アレクシウスを見ていない。
それが何故か無性に苛立たしかった。
「これはこれはエカルラート当主殿。お見送りは結構でしたのに」
「忘れモノだ」
騎士団が連行すると宣言した者たちを、丁寧に拘束して差し出したアレクシウスに、フェリクスは笑顔を引き攣らせた。
それを意に介さず、アレクシウスはリリアーナの名前を呼ぶ。
「それで、お前たちは何をやっている」
「あら、見てお分かりになりませんか? 感動の再会中です。野暮なこと聞かないでくださいますか、エカルラート当主さま」
その減らず口に、アレクシウスの口元は弧を描く。
やはりこの妹は、こうでなければ。
寝台に弱々しく横たわる姿など、つまらない。
「戻れ、リリアーナ」
アレクシウスの言葉に、リリアーナが嗤う。
「馬鹿じゃないですか? 罪人に戻されると知って、この家に戻る阿呆なんていませんよ」
イオとリリアーナを護るように立ちはだかった騎士たちを、アレクシウスは睥睨する。
その中に一人、知った顔があった。
以前、地下牢に捕らえ、尋問した王国第二騎士団隊長。その後見事に王都へ逃げおおせたと報告を受けている。こいつがリリアーナの協力者で間違いないだろう。
「そちら側に、お前の居場所なんて無いぞ」
「…………」
リリアーナは目を伏せて黙った。
エカルラート家から除籍され、その姓が名乗れなくなろうと、彼女は赤い瞳を持っている。
一族からは裏切り者という扱いを受け、王国からはエカルラートの一員と見做される。
苦しい立場になるだろう。
「お前を守ってやろう」
「お断りだクソ野郎」
アレクシウスは眉を寄せる。言葉の汚さよりも、内容が気に食わなかった。
「……地下牢に幽閉することを守ることと同義にするなんて、狂気の沙汰ですよ。エカルラート当主さま、ご自身の言動と行動が矛盾していることに、お自覚はありますか?」
「……なんのことだ」
「私を殺すと言って、生かそうとする。壊すと言って、守ろうとする。当主さまは、私を、本当はどうしたかったのですか?」
アレクシウスは気づく。確かに矛盾している。
では、自分はリリアーナをどうしたかったのか。
こちらを真っ直ぐに捉える眼差しを、アレクシウスは見据えた。
他の者とは決定的に何かが違う、凛然とした赤い瞳。
自分たちには無い何かを、リリアーナは持っている。
そうだ。これが、欲しいと思ったのだ。
「…………」
「……リリアーナさま、この方はきっと、リリアーナさまを支配したかったのだと思います」
「うわ、気持ち悪い」
「あっはははは! もうだめ、あなたたち最高よ! 妹離れの時ですわよ、お兄さま! うふふふふ!!」




