宵闇と明星 17
心を殺せ。感情を制御しろ。論理的に思考し、合理的に行動せよ。
(このクソみたいな家の教えが、役に立つと感じたのは初めてだな)
鉄格子が閉じられ、ご丁寧に幾重もの魔術が施される様を、リリアーナは黙って見つめていた。
近くに人の気配がなくなると、手にしたカンテラを置き、石壁の燭台に明かりを灯す。
ぼんやりと照らされた地下牢には、人が生活するために必要な最低限の日用品が揃えられていた。
この家の罪人としての扱いだとしたら、なかなか好待遇だろう。
リリアーナは石床に敷かれた薄い麻布に腰を下ろす。
「……まぁ、悪くないな」
近くにあった水差しを手に取り、コップに中身を注ぐ。
ごくごくと仰ぎ飲んで、ぷはぁと息を吐いた。
「我ながら逞しいわ」
強がりな自覚はあった。
ただ、思ったよりは辛くなかった。
希望を託すことができたからかもしれない。
「あーあ、暇」
リリアーナはごろんと寝そべる。無機質な石床の冷たさが、麻布越しに伝わった。
高い場所にくり抜かれている穴から、ひゅうひゅうと空気の流れる音がする。ここから何かを送り込まれても、リリアーナは自分で解毒することができる。
体内で操作する魔力は、魔術封じの影響を受けない。
リリアーナは目を閉じる。
ここに幽閉されるまでに許された時間は、ほんの僅かだった。
気がかりや、やり残してきたことの方が多い。
暗くなった視界に、じわじわと込み上げてくるものがある。
やっと、近くに人の気配があっても、眠れるようになったのに。
「オニオングラタン、食べたかったなぁ……」
その呟きは、暗い地下牢に呑み込まれていった。
「お兄さまったらこんなに厳重な結界を組むなんて、過保護にもほどがあるわ。ふふ、独占欲丸出しでお可愛らしいこと! あぁ面白い!」
耳障りな声が聞こえて、リリアーナは眉根を寄せた。
目を開ける気にもならなかった。
「やだ、リリアーナったらよくそんな場所で眠れるわね」
早くどこかへ行ってくれないかなこの化け物。
リリアーナは心の中で呪詛を吐いた。
「あなたはどう足掻いてもエカルラート家の人間なのに、必死に陽の当たる方へと手を伸ばしている姿が、本当に愚かで可愛かったのよ。もう見ることができないなんて、ちょっとザンネン」
それはそれはざまぁみろである。
リリアーナはオリーヴィアの来訪を最後まで無視し続けた。
その意固地な態度さえ彼女を楽しませたのか、オリーヴィアは終始ご機嫌なまま、地下牢から去っていった。
「あっははは! 落ちこぼれの名に相応しい有様ね! 自分の無能さを、一生そこで悔やみ続けるといいわ!」
「……ねぇメアリー、あなた一周回って私のこと好きでしょ?」
「はぁ? 気持ちの悪いこと言わないでくれる?」
リリアーナは鉄格子の向こうできゃんきゃん喚く妹が、なんだか可愛く見えてきた。
アレクシウスも、オリーヴィアも、得体の知れない不快な感情を向けてくるからだ。
分かりやすい敵意は、心地よさすら感じた。
「また遊びに来てね」
「こんなカビ臭い場所、二度と来るか!」
「こんなカビ臭い場所まで来てくれてありがとうね」
二つに縛った髪を振り回しながら、ぎゃあぎゃあ騒ぐメアリーに、リリアーナはにこやかに手を振り続けた。
「……お前は何をしているんだ」
「見てわかりませんか?」
久方ぶりに聞いた顔も見たくない人物の声に、リリアーナは顔も見ずに返事をした。
「どこからどう見ても掃除ですけど」
ジャッジャッジャッと床を擦る規則正しい音が牢に響き渡る。
あまりに沈黙が続くので、リリアーナはうっかりアレクシウスの方を見てしまった。
「……お前は何をしているんだ」
「だから、掃除です。暇すぎて床を磨くくらいしかやることがないんですよ。あ、洗剤をよこしてくださると嬉しいです。ただ擦るだけじゃすぐにカビが生えてしまって」
「…………」
アレクシウスの怪訝な面持ちに、リリアーナは胸がすく思いがした。次からは三角巾でも被って掃除してみようと思う。
「さすがに洗剤はダメでしたかね。食事は毎日届くし、物資も言えば補給してもらえるし、洗濯物もそこに投げておけば洗って返してくれるので、つい甘えてしまいました」
「…………」
「それにしてもまさか地下牢にオニオングラタンが出てくるとは思いませんでしたよ。食事を運んでくる看守に伝えてみたら、なんと聞き入れてくれました。私、罪人であってます?」
「よく喋る」
リリアーナは口を閉じた。
「お前は恐怖を感じているとき、よく口先が回る。昔からの癖だ」
その指摘に、ぐっと奥歯を噛み締めた。
よく観察されている。
悔しい。
「…………妹を虐めて楽しいですか?」
「それなりにな」
「大変結構なご趣味で」
「っはははは!」
初めて聞いたアレクシウスの笑い声に、リリアーナは戦慄する。
もう嫌だ。怖い。
リリアーナは手に持っていたデッキブラシを、両手で握り直した。




