宵闇と明星 15
その日は風が強い日だった。窓枠がガタガタと音を立て、時折枝か何かが強く窓を叩いた。その隙間から流れ込んだ冷気が、分厚いカーテンをわずかに揺らして落ちる。
リリアーナが、長年愛用している毛布を、キャビネットの奥からえっさこらと引っ張り出している時だった。
部屋に訪れた使用人から、エカルラート当主の訃報が伝えられたのは。
リリアーナは実の父親の死を、悲しいことに、悲しめなかった。
数日後、葬儀が行われた。
長い歴史を持つ名家らしく、厳格で荘厳なものだった。
献花を捧げにきた参列者はゆうに百を超えていたが、涙を浮かべている者は誰一人としていなかった。
唯一暗い顔をしていたのは愛妾くらいで、きょうだいに至ってはみな退屈そうにしていた。
虚しい終わり方だと、リリアーナは思う。
(自分が死んだ時、悲しんでくれる人がいないって、そんなの嫌)
少なくとも今の自分には、自分の死を悼んでくれるだろう人たちがいる。失いたくない。そう思った。
さらに数日後。アレクシウスが当主の座に就くにあたり、家臣の大規模な刷新が行われているらしい。エカルラート邸は騒然とし、昼夜を問わずどこからか悲鳴が聞こえ、不意に爆発音が鳴り響いた。
その騒音にも動じず、不穏な空気を気にとめることもなく、リリアーナとイオは平穏な日々を過ごしていた。
「この時期はオニオングラタンが食べたくなるよね」
「それはどんな食べ物なのですか?」
「うそでしょ?! 食べよう! 作ってもらおう! 今すぐに!」
「食べさせてくださいますか?」
うぐ、とリリアーナは胸を押さえる。
最近、このきゅるんきゅるんしたお目目でお願いされると、何でもいいよと言ってしまう。
娼館で花たちに何か吹き込まれているらしく、イオはあざとい技をリリアーナに使ってくるようになった。元より顔が好みなことも相まって、見事にクリティカルヒットを食らい続けている。
「良いけど、火傷しても治してあげないよ」
「……覚悟して食べます」
「そんな覚悟持たないでよ」
「ふふっ!」
二人が笑う空間は、まるで別世界のように平和だった。
終わりは唐突だった。
邸の騒ぎが落ち着きを見せた頃、リリアーナは主邸にある謁見の間に呼び出された。
当主の名前を出されたので、応じないわけにはいかない。呼び出された場所が場所だからか、リリアーナは別室で正装に着替えさせられた。髪を結われ、薄く化粧を施され、げんなりする。
(後で落とさなきゃいけないじゃん。一人でやるの大変なんだから)
この時リリアーナは、入浴をイオに手伝ってもらおうか、いやさすがにそれはどうか、などと呑気なことを考えていた。
両開きの扉が使用人によって開けられ、その光景を目にするまで。
リリアーナは、これが終わればいつもの毎日に戻れると、当然に思っていた。
足が、動かない。
無駄に広い謁見の間、その先。
エカルラート当主のみが座ることの許された玉座には、アレクシウスの姿。その近くには側近が控えている。
赤い絨毯の両側には見慣れない家臣が並び、そこにはきょうだいまでもが揃っていた。
只事ではない。絶対に碌でもないことが起こる。
本能がそう告げていた。
「リリアーナ、はやくいらっしゃいな。みんなあなたを待っているのよ」
優しいオリーヴィアの声が、これ程恐ろしく感じたことはなかった。
「只今より、リリアーナ・エカルラートの再試験を行う」
高い天井がその抑揚のない声を響かせる。玉座の前に立つリリアーナは、両足にグッと力を入れた。
(……なんで今更!)
混乱と怒りを押し込めて、にこりと笑ってみせる。
「当主さま、試験を二度も受けた者などおりませんよ。これまで続けてきた伝統を、これからも守っていかなくては」
「それを言うなら、試験に落ちたにも関わらず、生かされ続けた赤眼もいない。伝統なら既に破られている」
言い返せない。
横目で周囲の反応を窺ってみても、不満の表情を浮かべている者はいない。ここにいる者はみな、了承済みなのだ。それはそうだ。当主の命令は、絶対なのだから。
「確かにそうですね。ですが困りました。突然試験と申されましても、私何も準備ができておりません。披露するものが、」
言いかけて、気づいてしまった。
オリーヴィアを見れば、しっかりと視線が交わった。
その艶然とした笑みが、悍ましい。
「うふ。あなたには、従順すぎるくらいの子の方が、いいものね」
畜生だ。およそ人と呼んではいけない。こいつらは、人の皮を被った化け物である。
やけに準備に時間をかけると思っていた。エカルラート家の人間として認められていない自分が、謁見のために着飾る必要なんて、無いはずだ。
何故、気づかなかった。
背後で重厚な扉が開かれる音が聞こえて、下唇を噛む。
どさり、という音に、リリアーナは振り向かなかった。
弱みをそれと、示してはいけない。
「試験でお前が合格できなかったのは、最終科目だけだ。よってそれ以外を免除する」
短剣が足元に投げられる。
いつか見たそれと同じ意匠で、虫唾が走った。
拾い上げてあの酷薄な顔に投げ返せたら、どれほど爽快だろう。
リリアーナはアレクシウスを見据えた。
「私、今更この試験に受かりたいとは思いませんが」
「そうか。だから何だ」
端的な返答に鼻白らむ。何が目的だ。
「リリアーナ。もし、今、この試験に合格できなかったら」
ただ新しい家臣の前で、出来の悪い人間を晒し上げたいだけだといい。
「お前をエカルラート家から除籍する」
ご随意にである。
「そして、今後二度と日の下を歩くことはない。地下牢に一生幽閉だ」
ぐっ、と息が詰まった。
「俺が今までお前に外界との交流を禁じなかったのは、なぜだと思う」
初めから、全て奪うつもりだったと。
そう言われている。
俯いてはいけない。涙を浮かべてもいけない。
笑え。
「妹思いなのは結構ですが、過ぎればただの妹馬鹿ですよ」
アレクシウスは愉快そうに瞳を歪めた。




