小話21 思い出の場所2
老人は酒瓶が並ぶ棚を眺めながら、ふっと息を吐き出す。
「マスター。西国の伝統蒸留酒を頼む」
「あぁ」
老人の注文にマスターが応じる。その間に老人は、酒場内をぐるりと見渡す。酒を飲む場所でありながら、落ち着いた雰囲気を漂わせる内装。置かれた調度品は最低限のものだけで、影ながら花を添える程度だ。
「この酒場は、本当に心地よい場所だのう」
声をあげて笑うと、そこへマスターが酒瓶と器を持ってやって来る。特に何も言わず、テーブルの上に置き、厨房へ行ってしまう。老人は困ったように眉をひそめた。
「相変わらず、愛想無いのう。お前さん、顔は良いのだから笑みを浮かべてるだけで、客は増えるぞ?」
「 …… 」
マスターは老人を一瞥してから、再び作業へと戻る。返答があるとは思っていなかったものの、少し寂しく感じながら酒をトクトクと器につぐ。小麦色をした液体が器を満たしていく。溢れそうな程ギリギリまで注ぎ、老人は一気に酒を青いだ。
タンっと音を立てて器を置き、器の底をぼんやり眺める。その瞳はどこか懐かしむ様に細まり、どこか遠く彼方に想いを馳せている様にも映った。
「懐かしい。ほんの2、3年前までアイツと飲みに来ていたというのに」
器から顔をあげ、テーブルの反対側に目を留めた。そこには誰もいない。けれども老人は、テーブルを挟んだイスに誰かが座ってほほん笑んでいる姿を幻視する。老人は驚愕に目を見開き、その幻覚を慈しむ。わかっている。知っている。この世のどこにもいない「存在」である事は。だがそれでも求めずにはいられない。愛せずにはいられない。焦がれずにはいられないのだ。
老人の頬に一筋の雫が流れた。
「ワシは、これから長い旅に出ようと思う」
ーお前を探す旅に。
彼の幻覚は何も答えない。
でも、意志は伝わった様な気がした。
「マスター、世話になったな」
老人はイスから立ち上がり、テーブル上にジャラっと勘定を置く。マスターは厨房から出て、テーブル上の勘定を受け取った。無言のマスター。しかし、この時ばかりはマスターの無愛想はありがたい。老人はマスターと視線を合わさず、店の出入り口に向かう。振り返る事なく、老人は呟く。
「マスター、ではな」
「あぁ。良い旅を」
思いもがけないマスターの言葉に、口元に笑みがこぼれる。老人はその場でゆっくりと頷き、杖をつきながら店を出て行った。
ーーその日を最後に、老人は酒場に現れなかった。




