小話⑩2つの顔を持つ男2
「あの、マスター。注文いいですか?」
黒髪の男に声をかけられ、マスターはその席に近づく。男の横につく辺りに来ると、男は申し訳なさそうに苦笑いをしていた。どこか無理して作っている笑顔に見える。
「ご注文は?」
マスターは何かを感じ取ったのか、少し目を細めたが、特に何も言うことなく注文を聞く。
「絶賛傷心中の私に合う、お酒一杯。あと」
男はニヤリと笑みを浮かべると、腰のポーチから小型ナイフを素早く抜き放つ。そして、注文を取りに来たマスターの腹部に刃先を突きつけた。その後、小声でこう告げた。
「この酒場の売上金をよこせ!」
周囲の客達には見えないナイフの位置。先ほどの女性との一幕で、警戒心の薄れた店内。更に男の顔は、マスターの影になって隠れ、冷たい笑みを浮かべていることにも気づかない。
「 …… 」
「さぁ、早くしろ!」
自分の優位性を信じて疑わない、黒髪の男。マスターはじっと彼を見て問う。
「あの女性はなんだ?」
「あいつは私の遊び相手だ。それはそれで楽しかったが、こういった罪を犯すスリルも、また一興。いいから早く金を」
「それがお前という人間か?」
「は?」
マスターの恐怖を感じさせない声音。刃物を突きつけられているにも関わらず、動揺が無い。明らかに不自然な態度に、黒髪の男は戸惑いを見せた。瞬間。
「ふん!」
「いっ!?」
マスターは、ナイフを持つ彼の右手に手刀を食らわす。衝撃で黒髪の男はナイフを取り落とした。
「こんにゃろ……うおっ!?」
反撃に出ようと拳を振りかざす男。しかし、その拳はいともたやすく受け止められ、男は床へ引き倒される。体勢を崩し、床へ顔面直撃。周囲の客達もその騒ぎに気づいて、目を丸くした。
「くそっ! 捕まってたまるか…」
ドスッ。
男が喚こうとした途端、彼の鼻先をかすめる様にナイフが床に突き立った。男は息をのむ。
「男女の仲に口出しはしない。だがこの酒場で、刃傷沙汰は許さん」
「うっく」
自分がマスターに敵わない事を悟り、男は悔しげに呻いた。こうして酒場の平和は、守られたのだ。
ーーその後。
酒場にいた衛兵達が男の身柄を拘束した。そして男の身元調べによると、過去にも多くの罪を犯しており、指名手配されていたらしい。そういった話が後々世間へ広まり、この酒場は一層有名になったと言う。




