7.衝突
翌日から、私は本格的に検証を始めた。
レオナルド統括に言われた言葉を、反芻する。
ーー前提を疑え。
ーー仮説を否定しろ。
私は資料を引き寄せた。
AM-12。
灰熱病特効薬候補の有効成分とされている物質。
研究開発当初から、蓄積されている分析資料を引っ張り出した。
濃度推移。
投与量。
薬効率。
どの資料も、AM-12が有効成分であることを裏付けている。
ならば私は、逆から見る。
AM-12が有効成分だと仮定すると、成り立たない矛盾点を、データから探す。
そうして検証を始めて、数日後。
「…あれ?」
私は思わず手を止めた。
有効率はどれも七割を超えていて、大差ない。
それなのに。
肝機能値。
食欲低下。
活動量低下。
副反応が強い個体ほど、AM-12の濃度が濃い。逆に、症状改善率との相関は弱かった。
「そんな……」
私は急いで別の資料を取り出した。
アルカリ処理前後。成分分析結果。
通常加熱処理後
毒素 AM-β 27%
有効成分 AM-12 56%
アルカリ処理後
毒素 AM-β 3%
有効成分 AM-12 8%
何度も見た表だった。
けれど視点を変えるだけで、全く別の事実が浮かび上がってくる。
「これ……」
分析表の詳細データを調べる。
通常処理では、AM-12は一つのピークとして検出されている。だがアルカリ処理後のデータでは違った。
AM-12が減少した代わりに、その隣へ小さなピークが現れている。
「消えたんじゃない……?」
私は別条件の測定結果も確認した。
同じだった。
アルカリ処理を行った試料だけ、必ず同じ位置に小さなピークが現れている。
心臓が大きく脈打つ。
AM-12が失われたのではなく、別の形へ変化しただけだとしたら。
私は手元のデータへ視線を落とした。まだ何も証明されていない。
けれど。
もしかすると――検証の余地があるかもしれない。
ふと、ベルローズの研究ノートが脳裏をよぎる。
アルカリ処理によって色素構造が変化したあの現象。もし同じことがアルメリアでも起きているのだとしたら。
AM-12そのものが失われたのではなく、毒素AM-βと結び付いていた一部だけが変化した可能性はないだろうか。
あるいは逆に。
私たちがAM-12だと認識していたピークの中に、毒素由来の成分が混ざっていたのかもしれない。
どちらにせよ、今の分析結果だけでは判断できない。
私は新しい試験計画書を引き寄せた。
まずは否定する。AM-12が失われたという結論そのものを。研究者なら、そこからだ。
数日後。
開発定例会議が行われた。
各班の進捗報告が順に行われていく。
そして。
「次は薬効研究班だ」
レオナルド統括の声に、エルヴィンが立ち上がった。
「先日報告したアルメニアの毒素について、続報です」
資料が配られる。そこには、私がエルヴィンに提出した失活試験の結果も含まれていた。
「アルカリ処理によって毒素の大幅な低減を確認しました」
研究員たちが資料へ目を落とす。
「一方で、有効成分も大きく減少しています」
ページをめくる音が響く。
「そのため現段階では、毒素の無害化は可能であるものの、薬効を維持したまま実用化することは困難と判断しています」
会議室に沈黙が落ちた。数人の研究員が納得したように頷く。確かに、提出されたデータだけを見ればそういう結論になる。
けれど。
私は膝の上で握っていた手をゆっくり開いた。
「異議があります」
会議室の空気が変わった。何人もの視線が集まる。エルヴィンがこちらを見る、驚いたような顔だった。
「シェリー?」
私は立ち上がった。
「検証の結果、確かにAM-12の数値が低下しております。しかし有効成分が失われたと判断するのは早いと思います」
ざわり、と室内が揺れる。私は用意していた資料を差し出した。
「アルカリ処理後の分析結果を再確認したところ、AM-12の減少と同時に、新たな成分反応が現れていました」
資料を受け取った研究員たちが目を通し始める。
「反応量はごくわずかです。そのため、これまで解析対象にはなっていませんでした。ですが、出現位置と変化量を比較すると、AM-12の一部が別の状態へ変化した可能性があります」
会議室が静まり返る。
「可能性、か」
エルヴィンが言った。
「つまり推測だね」
私は大きく息を吸った。
「はい。現段階では仮説です。だからこそ検証の必要があります。こちらが追加試験の提案書です」
レオナルド統括が受け取る。
「アルカリ処理前後のAM-12を再解析し、構造変化の有無を確認します。さらに、変化後の成分を別条件で処理し、元の状態へ戻るかを検証したいと考えています」
エルヴィンが口を開いた。
「その試験にどれだけ時間がかかると思っているんだ」
会議室の空気が僅かに張る。
「計画全体が遅れる可能性もある」
「承知しています」
私は頷いた。
「ですが、AM-12減少という前提が誤っていた場合、今後の研究方針そのものが変わります」
エルヴィンの表情が固くなる。
「シェリー」
低い声だった。
「研究は可能性を追うだけでは進まない」
その言葉に。私は初めて、真正面からエルヴィンを見た。
「だからこそです」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
「これは仮説を証明するための試験ではありません」
会議室が静まる。
「AM-12が本当に失われたのかを確認するための試験です」
私は資料を握る手に力を込めた。
「もし失われているのなら、それが証明されます」
「ですが違った場合は――」
そこで言葉を切る。
「私たちは間違った前提で研究を進めていることになります」
長い沈黙が落ちた。
やがて。
「……やってみろ」
低い声が響く。レオナルド統括だった。全員の視線が集まる。レオナルドは提案書を閉じる。
「AM-12減少を否定するための試験、ということだな」
「はい」
「ならやれ」
短い一言だった。
そして薬効研究班へ視線を向ける。
「共同で検証しろ」
それだけだった。
異論は認めない。
そう言わんばかりの口調だった。
私は思わず息を吐いた。
提案が通った。
それだけでも十分だった。
けれど。
ふと視線を上げる。
エルヴィンは黙ったまま資料を握りしめていた。
いつもの穏やかな笑みは、そこにはなかった。




