6.助言
数日後。
途中経過をまとめた資料を持って、薬効研究班の研究室を訪れていた。
「失活に成功したのか?」
資料に目を通しながら、エルヴィンが言う。
「はい。アルカリ処理によって、毒素反応は大きく低下しました」
「なるほど」
エルヴィンの表情が明るくなる。
「やはり君の仮説は正しかったんだな」
そう言われると、少しだけ嬉しかった。
「ただーー」
「十分だ」
私の言葉を遮るように、エルヴィンは資料を閉じた。
「これだけの結果が出ていれば十分だよ。薬効研究班で検証を進める価値はある」
そう言うと、彼はそのまま立ち上がる。
「次の定例会議までに、報告資料をまとめよう」
「でも、まだーー」
「シェリー」
遮るように名前を呼ばれた。
「完璧を求めすぎるのは君の悪い癖だ。ここからは私に任せてくれ」
その笑顔は、昔から知っているものだった。私の肩の力を抜かせる笑顔。けれど今は、なぜだか胸の奥が重い。
「資料は預かるよ」
エルヴィンは報告書を手に取った。
「引き続き、気付いたことがあれば報告してくれ」
私は小さく頷いた。
その日の夜。
自分の研究室で資料を見返していた。机の上には測定結果が並んでいる。毒素は確かに減っている。だが同時に有効成分も減少していた。
エルヴィンは十分だと言った。実際、この段階でも十分に価値のある結果だ。
それでも。
どうしても引っ掛かる。なぜ有効成分まで減るのか。
条件をひと通り見直す、それでも結果は変わらない。
思考が堂々巡りを始めた頃だった。
「まだいたのか」
低い声が響く。
顔を上げなくてもわかる。統括の声。
「すみません」
「謝ることじゃない。なにをしている」
「アルメリアの根をアルカリ処理することで、毒素の失活を確認しました。現状の測定結果は、薬効研究班にも報告しています」
「…ほう」
レオナルドは頷いた。
「ただ、同時に有効成分も減っています」
しばらく沈黙が続く。レオナルドは資料を捲りなが、数値を追った。
「濃度は変えたか」
「はい」
「温度は」
「確認済みです」
「処理時間は」
「複数条件で試しました」
レオナルドは小さく頷いた。
私は苦笑する。思いつく条件はひと通り試した。
レオナルドが紙を捲る音だけが、研究班に響く。
やがて。
「シェリー」
「はい」
「…減ったのは本当に有効成分か?」
私は瞬きをする。
「……え?」
意味が分からなかった。
資料を見返す。
通常加熱処理後
毒素 AM-β 27%
有効成分 AM-12 56%
アルカリ処理後
毒素 AM-β 3%
有効成分 AM-12 8%
「測定値は下がっています」
「そうだな」
レオナルドが頷く。
「だが、お前が測定しているのはなんだ?」
「有効成分です」
「違う」
「有効成分だと言われている物質、AM-12の数値だ」
私は言葉を失った。
レオナルドは資料の一箇所を指で叩く。
「この薬剤はまだ開発途中だ」
「はい」
「つまり本当に薬効を担う成分が特定されたわけではない」
その言葉に、思考が止まる。
その通りだ。現在測定しているのは、有効率との相関が高いと考えられている候補物質に過ぎない。それが本当に薬効の本体だと証明されたわけではない。
「アルカリ処理によって構造が変わった可能性は?測定法が拾えなくなった可能性は?別の物質へ変化した可能性は?
レオナルドは腕を組む。
「お前は今、自分の仮定を証明しようとしている」
灰色の瞳が、真っ直ぐこちらを捉えた。
「研究者なら、やることは逆だ」
胸が大きく脈打つ。
「前提を疑え。仮定を否定しろ」
私ははっとした。
毒素の失活。
有効成分の減少。
私はその二つを当然のように結び付けていた。
だが、それは本当に事実なのだろうか。そもそも、減ったと考えているものは、本当に有効成分なのだろうか。
「……調べてみます」
気付けばそう口にしていた。レオナルドは小さく頷く。
「研究者は、常に思い込みとの戦いだ」
それだけ言い残し、研究室を後にする。
私は再び結果表へ視線を落とした。今度は答えを探すためではない。自分の考えが間違っている証拠を探すために。




