4.兆候
その日の夜。
私は研究室に残っていた。机の上には文献の山が積み上がっている。
実験動物の観察記録。
アメルリアの根の成分分析。
過去の薬草研究。
何度も読み返しているうちに、胸の奥の違和感が少しずつ形になり始めていた。
(前世で似たような話を見たことがあるような気がする…)
根に毒素を持つ植物。
通常は問題ない。だが特定条件において、毒素が変質し、有効成分の働きを阻害する。そんな研究論文があったはずだ。
私は片っ端からアメルリアの文献を読み漁った。
しかし見つかるのは『アメルリアの根には微妙の毒素を含む』という記述ばかり。
毒素そのものについての研究はほとんど残されていない。
(もし毒素を無害化できたら…?)
有効成分の抽出効率が上がるかもしれない。
思いついた瞬間、私は立ち上がった。確証はない。それでも試してみる価値はある。気付けば簡易実験の準備を始めていた。
「…まだ残っているのか」
振り返ると、そこにはレオナルド統括が立っていた。
「統括」
「また文献の整理か?」
統括の視線は、机の上の文献へと落ちた。
「いえ、今回は違います」
少し迷ってから答えた。
「アメルリアの根に含まれる毒素について調べています」
「毒素?」
「もしこれが有効成分の働きを邪魔しているなら、無害化することで薬効率が上がるかもしれないと思って」
言いながら自分でも苦笑した。
「無害化できれば、の話ですが。それにただの思いつきです。検証するのは無駄かもしれません。」
「無駄じゃない」
低く、断言する声に、私は目を瞬いた。
「君は結果だけじゃなく、数字の裏側まで見て仮説を立てる」
レオナルド統括はもう一度文献の山を見下ろした。
「君にしかできない仕事だ」
胸が熱くなる。
エルヴィン以外の人に、研究を認められたのは初めてだった。
「ただ、」
レオナルド統括は、言葉を続けた。
「薬効研究班には伝えたのか?」
私は黙り込んだ。
「…まだです。個人の推測の域を出ないと判断しました」
レオナルドが眉を寄せる。
「一人で抱えるな。仮説でも構わない、共有しろ」
静かな声だった。
「ですが、まだ検証が…」
「研究は一人でやるものじゃない。君の仮説には価値がある」
統括は真っ直ぐ私を見て、言った。
「もっと周りを頼れ」
その言葉は、不思議なくらい温かかった。
できないから任せろ。傷つく前に諦めろ。
そんな言葉ではなく。
君の考えには価値がある。だから周りを頼れ。
そう言われたのは、初めてだった。
翌日。
私はまとめた資料を抱えて、薬効研究班の研究室を訪れた。
「エルヴィン、少しいいですか?」
机に向かっていた彼が顔を上げる。
「シェリー?どうしたんだい?」
私は昨晩まとめた文献を差し出した。
「有効率が上がらない原因として、少し気になることがあって」
「気になること?」
「まだ仮説の段階なんですが、アメルリアの根に含まれる毒素が、実験動物に見られる軽微な副作用の原因かもしれません。毒素が有効成分の働きを阻害している可能性はないかと」
エルヴィンは途中で口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。
「…なるほど、面白い視点だね」
その言葉に、少しだけ力が抜けた。
「もし抽出前に毒素を無害化できれば、有効率が上がるかもしれません」
エルヴィンは資料を閉じた。
「ああ。ただ、今の段階で会議に持ち込むのは早いかな」
私は首を傾げた。
「なぜでしょうか?」
「仮説としては面白いが、個人の推測の域を出ていない。まずは僕が精査しよう」
エルヴィンは微笑んだ。
「期待だけ持たせて否定されたら、傷つくのは君だ。君のためにも、その方がいい」
そう言ってまとめた資料を手に取ると、エルヴィンは席に戻っていった。私はその背中を見つめていた。
『君の仮説には価値がある』
昨晩レオナルド統括に言われた言葉が脳裏を過ぎる。
私は無意識に、エルヴィンに渡した資料の控えに目を落とす。そこには昨晩まとめた仮説と参考文献、簡易実験の結果が示されていた。
(本当に、会議の場で共有しなくていいのかな…)
そんな考えが頭を過ぎった。けれどすぐに首を振る。
まだ結論は出ていない。今は結果を待とう。
そう自分に言い聞かせて、私は研究室を後にした。
後日、開発定例会議が行われた。会議室にはいつも通り各班の研究員が集まり、それぞれの進捗報告が行われた。
「次は薬効研究班だ」
レオナルド統括の声に、エルヴィンが立ち上がった。
「新たな仮説について、薬効研究班で検討を進めています」
私は思わず顔をあげる。
新たな仮説。その言葉に、胸が小さく跳ねた。
「薬剤に使用されているアルメリアの根には、微妙の毒素が含まれています」
会議室は静まっていて、全員がエルヴィンの声に耳を傾けている。
「私は、この毒素が有効成分の働きを阻害している可能性に着目しました」
私は息を呑んだ。
それは、数日前に私がエルヴィンへ手渡した資料と、ほとんど同じ内容だった。
「この仮説を元に、我々は現在、毒素の無効化処理について検証を進めています」
数名の研究員が興味深そうに資料を捲る。
「毒素が薬効を阻害しているということか?」
「可能性のひとつです」
エルヴィンは落ち着いた口調で答えた。
(それはまた個人の推測の域を出ていない)
数日前に私に告げた時と同じように、同じ資料を持って、彼はその仮説を展開した。
「まだ検証段階ですが、有効率向上の手がかりになると考えています」
レオナルド統括の視線が、一瞬だけこちらに向けられた。
「…面白い仮説だな」
「ありがとうございます」
エルヴィンは静かに頭を下げた。そのやり取りを聞きながら、私は膝の上で手を握った。
研究は、共同作業だ。
仮説を共有した以上、薬効研究班の成果として扱われることは不自然ではない。
ましてや手柄を主張するような場ではない。
それなのに、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚だけが残った。
会議終了後、エルヴィンは他の研究員に囲まれていた。
「興味深い着眼点ですね」
「毒素に着目するとは」
私はその輪に加わることなく、そのまま会議室を後にした。




