11.決着
――そして数日後。
王立研究所の会議室。
長机を挟み、数名の委員と研究者が席についていた。その中にはエルヴィンの姿もある。
彼はいつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。
「まず確認する」
委員長が口を開いた。
「五年前に発表された論文『植物有効成分の環境依存性について』についてだ」
資料が机上に置かれる。
続いて私の研究ノート。
そして学生時代の発表資料。
会議室には重い沈黙が流れていた。
「エルヴィン研究員」
委員長が視線を向ける。
「この論文は、あなた自身の研究成果で間違いありませんか」
エルヴィンは微笑んだ。
「はい」
迷いのない返答だった。
「誤解があるようですが、発想の原型はシェリーにあったとしても、研究として成立させたのは私です」
数名の委員が眉をひそめる。エルヴィンは落ち着いた声で続けた。
「彼女は当時まだ学生でした。着眼点は面白かったですが、仮説の段階に過ぎません」
私は黙って聞いていた。不思議なほど腹は立たなかった。その言葉を、もう何度も聞いてきたからだ。
まだ早い。
経験が足りない。
任せておけばいい。
「つまり、あなたの研究だと?」
委員の一人が尋ねる。
「ええ」
エルヴィンは頷く。
「私は彼女を支援していましたから」
その時だった。レオナルドが口を開いた。
「ならば聞こう」
静かな声だった。
「なぜ参考資料番号が一致する」
エルヴィンの笑みが僅かに止まる。レオナルドは資料を机に置いた。
「論文に記載された調査記録番号」
「研究ノートに記された番号」
「学生発表資料に残る番号」
指先で順に示していく。
「全て一致している」
会議室が静まり返る。
「偶然では説明できないな」
エルヴィンはすぐに表情を整えた。
「当時、研究内容について相談は受けていました。資料を見せてもらったこともあります。だから記憶していたのでしょう」
苦しい言い訳だった。委員達の顔色が変わる。
「記憶だけで数十件の資料番号を再現したと?」
エルヴィンの眉がわずかに動く。
「では次だ」
レオナルドは続ける。
「なぜ共著者にしなかった」
沈黙。
「君の説明では、シェリーの研究を発展させたのだろう。ならば名前があって然るべきだ。なぜ一切記載されていない」
エルヴィンは答えない。
「理由を聞いている」
レオナルドの声は変わらない。
やがてエルヴィンが口を開いた。
「……当時の彼女には荷が重かった」
私は目を閉じた。
やっぱり。
そう言うと思った。
「学生だったんです」
エルヴィンは言う。
「発表経験も少ない。研究の評価を受ける重圧も知らない。だから私が――」
「本人に許可は取ったのか」
レオナルドが遮った。
沈黙。
「……それは」
「取っていないのだな」
エルヴィンは答えられなかった。会議室の空気が重く沈む。
私はゆっくり顔を上げた。
「一つ、聞いてもいいですか」
エルヴィンがこちらを見る。その瞳は、昔と同じ優しい色をしていた。
「もし本当に私のためだったなら、なぜ論文の存在を教えてくれなかったんですか」
エルヴィンの表情が固まる。
「私たちは恋人でした。研究の相談もしていました。私が論文化に反対したことは、一度もありません」
誰も口を挟まない。
「それなのに、なぜ隠したんですか」
沈黙。
長い沈黙だった。
エルヴィンは何度か口を開きかけた。
だが言葉が出ない。答えられないのだ。
なぜなら、本当は最初から分かっていたから。
これは自分の研究ではないと。
「……私は」
ようやく漏れた声はかすれていた。
「私は、君のためだったんだ」
私は目を伏せる。
やはり、その言葉だった。
「君は研究だけしていればよかった。評価や交渉は私がやる。研究者として生きるのは大変なんだ。だから――」
その瞬間。
前世の記憶が重なった。
『仕事なんてしなくていい』
『俺が養う』
『君のためだ』
同じだった。時代も、立場も、言葉も違う。
けれど本質は何一つ変わらない。
私は静かに首を振った。
「違います」
エルヴィンが顔を上げる。
「あなたは私を支えたかったんじゃない」
会議室中の視線が集まった。
「私の人生を、自分の手の中に置いておきたかっただけです」
エルヴィンの顔から血の気が引いた。
「違う……」
「違いません」
私は初めて、その言葉をはっきり返した。
「研究も、評価も、発表も、全部あなたが握っていた」
胸の奥にあった重石が少しずつ消えていく。
「私が自分で歩くことを、あなたは望まなかった」
エルヴィンは何も言えなかった。そして、長い沈黙の末。
彼は力なく俯いた。
「……そう、かもしれない」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
「最初は違った。本当に応援したかった」
掠れた声が続く。
「でも……君はどんどん先へ行った」
握り締めた拳が震えている。
「気づいたら、認めたくなかった」
会議室が静まり返る。
「論文を書いたのは……私だ」
そこで言葉が止まる。
そして。
「だが、発想はシェリーのものだった」
誰も動かなかった。
「参考資料も、仮説も、研究の出発点も」
俯いたまま。
エルヴィンは静かに言った。
「……私が盗んだ」
その瞬間。
五年越しの真実が、ようやく白日の下に晒された。




