10.発覚
数か月後。
王立研究所は灰熱病治療薬の完成を正式に発表した。
計画に参加した研究者達には表彰が与えられ、研究成果は王国中へ広まった。私の名前も、正式に功績者の一人として記録された。
温度条件の発見。
毒素失活への着眼。
有効成分再特定への貢献。
どれも私自身の成果として。
あの日の別れを最後に、エルヴィンとは会話していない。
仕事は順調だった。
研究者として評価も得た。
それなのに。
ふとした瞬間、胸が痛むことがある。好きだった気持ちまで消えたわけではないからだ。
灰熱病計画終了から数週間後。
私は研究室の整理をしていた。
積み上がった資料を箱へ詰めていく。
その時だった。
棚の奥から、古い研究ノートが出てきた。学生時代のものだ。懐かしさに思わず頁を捲る。
そして。
私は手を止めた。以前気になった箇所。
頁番号が飛んでいる部分だった。
七十八。
七十九。
そして九十七。
間の頁だけが存在しない。私は眉をひそめた。何度見ても不自然だった。
しかも抜けているのは、あの研究部分だけ。
生育環境による薬効変化についてまとめていた頁だ。
ーーエルヴィンが、面白いと言ってくれた研究。
私はゆっくりと立ち上がった。
その足で資料保管庫へ向かう。学生時代の研究発表記録。
論文集。
紀要。
一冊ずつ確認していく。
数時間後。私はある研究レポートの前で動きを止めた。
『植物有効成分の環境依存性について』
執筆者。
(……エルヴィン)
嫌な、予感がした。
頁を捲る。
読み進める。
そして。
血の気が引いた。
そこに書かれていた仮説。
温度による成分分布の変化。
生育環境による薬効差。
植物部位ごとの有効成分移行。
私が学生時代にまとめていた内容と、ほとんど同じだった。
「……嘘」
思わず声が漏れる。違う、偶然だ。
そう思いたかった。
必死に違いを探す。
けれど、論文末尾の参考資料一覧を見た瞬間。指先が震えた。
そこには。
私しか持っていなかった調査記録の番号が記されていた。
私は椅子へ座り込む。
学生時代。
研究を面白いと言ってくれた人。
認めてくれた人。
支えてくれた人。
その人は。
私を認めていたのではなく。
…研究そのものを見ていたのだろうか。
胃の奥が重く沈む。否定したかった。
けれど研究者として知っている。
記録は嘘をつかない。
その時だった。
「何を見ている」
低い声が響く。
振り返ると、レオナルド統括が立っていた。
私は黙って論文を差し出した。レオナルドは数頁目を通す。
そして研究ノートと論文を見比べた。
長い沈黙。
やがて。
「……なるほど」
短い言葉だった。
私は俯く。
研究ノートは破られている。肝心な部分は抜き取られ、証拠として提出するにはあまりにも不完全だった。これでは何も証明できない。そう思っていた。
だがレオナルドは、破れた頁と五年前の論文を何度も見比べている。やがて彼は静かに顔を上げた。
「この論文を書いたのは君か」
「……はい」
当時の私はまだ学生で、誰にも注目されない地味な研究だった。論文として発表されたものの、評価されたとは言い難い。
だからこそ――盗まれた。
誰も気づかない形で。
レオナルドは論文の一節を指差した。
「この発想は珍しい」
次に、破れた研究ノートへ視線を落とす。
「そしてこちらにも同じ癖がある」
「癖……ですか」
「ああ」
彼は即答した。
「仮説の立て方だ」
紙の上を指が滑る。
「普通の研究者は結果から考える。だが君は違う」
「……」
「まず失敗を予測する」
彼は論文を閉じた。
「何が上手くいかないかを先に考え、その原因を一つずつ潰していく」
その言葉に息を呑む。誰にも言われたことがなかった。けれど確かにその通りだった。私はいつも最悪の可能性から考える。成功する理由より、失敗する理由を探す。その積み重ねで研究をしてきた。
「五年前の論文も同じだ」
レオナルドは続ける。
「そして、この研究ノートも」
沈黙。私は首を振った。
「でも、それでは証拠になりません」
「法廷ならな」
淡々と返される。
「だが私は研究者だ」
彼の金色の瞳が真っ直ぐ私を見た。
「研究者は研究者の思考を読む」
その言葉は不思議なほど重かった。
「少なくとも私は確信した」
胸が痛む。
「……信じて、くださるんですか」
声が震えた。レオナルドは少しだけ眉をひそめる。
「違う、信じる必要がない」
静かな声だった。
「これは君の研究だ」
その断言に、張り詰めていたものが音もなく崩れた。
私は唇を噛む。嬉しいはずなのに、胸の奥は重かった。研究を認められたからではない。
認めてほしかった相手が、最初から私を見ていなかったのだと知ってしまったからだ。
「この件は調べる」
レオナルドが言った。
「研究倫理委員会にも報告する」
私はゆっくりと頷いた。




