12.自立
誰もすぐには口を開かなかった。
五年前の盗作。
長年隠されていた真実。
そして当事者自身による自白。
その重さを、誰もが理解していたからだ。
やがて委員長が静かに告げる。
「記録する」
書記官がペンを走らせる音だけが響く。エルヴィンは俯いたままだった。
もう言い訳はしない。反論もしない。
その姿を見ても、私の胸は不思議なほど静かだった。
怒りは、もうずっと前に終わっていたのかもしれない。
残っていたのは、失った時間への寂しさだけだった。
その日のうちに研究倫理委員会は調査結果をまとめた。
盗作認定。
論文撤回。
研究者資格停止。
エルヴィンはすべての役職を解かれた。王立研究所中に、その知らせは広がった。
驚く者もいた。信じられないという者もいた。だが、覆ることはなかった。
数日後。
私は研究棟の廊下を歩いていた。
窓から差し込む午後の日差しが眩しい。
その時だった。
「シェリー」
呼び止められて振り返る。
エルヴィンだった。
以前より少し痩せたように見える。私たちはしばらく無言で向かい合った。最初に口を開いたのは彼だった。
「最後に謝りたかった」
私は黙って聞く。
「君を認めていたのは本当だ」
苦い笑みが浮かぶ。
「だからこそ怖かった、君が私より優れていることを認めたくなかった」
彼は自嘲するように笑った。
「情けない話だな」
風が吹く。
窓の外で木々が揺れた。
「……そうですね」
私がそう答えると、エルヴィンは少しだけ目を伏せた。それが最後だった。彼はそれ以上何も言わなかった。
私も引き留めなかった。
恋人だった人。
未来を共にすると思っていた人。
けれど今はもう、過去だった。
その背中が見えなくなった時。
「後悔しているか」
低い声がした。振り返る。
レオナルドだった。
いつの間にか廊下の反対側に立っている。
私は少し考える。そして首を振った。
「いいえ」
本心だった。
もし前世の記憶がなければ。私は今もエルヴィンを信じていたかもしれない。成果を譲り、機会を譲り、人生を譲り。それが愛だと思い込んでいたかもしれない。
けれど今は違う。
「失ったものはあります」
私は言った。
「でも、取り戻せましたから」
レオナルドは静かに頷いた。それだけだった。
だが、その一言で十分だった。
ーーそして。
灰熱病特効薬開発計画発足から二年後。
計画は最終段階へ入っていた。
温度環境による薬効変化の理論は正式に採用され、治療成績は大幅に向上した。王都だけでなく地方でも成果が出始めている。
私は、レオナルド統括に直接声をかけられ、統括所長室に足を運んでいた。
「次の研究計画がある」
「はい」
「責任者を任せたい」
私は瞬きをする。
「私に?」
「ああ」
即答だった。
「君以外に適任がいない」
その言葉に胸が熱くなる。
昔の私なら信じられなかっただろう。誰かの助手ではなく、誰かの補佐でもなく。
研究責任者。
自分の足で立つ研究者として認められたのだ。
私はゆっくり頷いた。
「お受けします」
レオナルドは満足そうに頷く。
それだけだった。
けれど、その横顔を見ながら思う。この人は一度も私を守ると言わなかった。支えるとも言わなかった。代わりにやるとも言わなかった。
ただ。
最初から最後まで、研究者として扱ってくれた。
それがどれほど尊いことなのか、今の私は知っている。
帰り道。
夕焼けが街を赤く染めていた。
私は空を見上げる。前世では人生を譲った。夢を譲った。未来を、譲った。
そして今世でも、危うく同じことを繰り返すところだった。
けれど、もう違う。
誰かに決めてもらわなくていい。誰かの許可を待たなくていい。私の人生は、私のものだ。私は歩き出す。夕陽の向こうへ。
研究者として。
一人の人間として。
自分の人生を生きるために。
――前世で私の人生を奪ったモラハラ夫と同じ言葉を口にした恋人に捨てられましたが、私はもう誰にも人生を譲りません
完




