第六話 敗北の被告人ディートリヒ
ついにこの日が来た。
今日、ディートリヒ殿下が断罪裁判にかけられる。
罪状は虚偽告発と証人脅迫。
あの裁判で、殿下が私にしたことのすべて。
告発したのはハーゲン卿だ。
調査委員会の結論を受けて、正式な手続きとして。
半年以上も調査が遅れた。
理由は不明とされていたが、私はもう大体わかっていた。
誰かが調査委員会に圧力をかけて、意図的に引き延ばしていた。
それでもハーゲン卿が押し通したらしい。
あの人の静かな執念に、私は何度助けられたかわからない。
今回、私は告発側にいる。
被告人の嘘を暴く側。前回の逆だ。
でも、気分は晴れない。
私は別に、殿下を追い詰めたいわけじゃない。
ただ、嘘がまかり通る法廷を放置できないだけだ。
フィーネが「私も証言台に立ちたい」と言ってきた。
「……本当にいいの?」
「はい。前は嘘をつかされたから…今度は本当のことを言いたいんです」
そう語るフィーネの目は前と違っていた。怯えていない、目に決意がある。
この子が自分で決めたなら、私が止める理由はない。
「わかった。でも無理はしないでね、すぐ相談するのよ」
「はい、お嬢様!」
フィーネが笑った。前より、少しだけ強い笑い方だった。
法廷に入ると、空気は外と違ってピリピリしていた。
前回、前々回と続いた裁判で、傍聴席に「弁護人リーゼロッテの裁判」を見に来る人が増えているようだった。
今回は王太子の公判だ。広間は満席で立ち見まで出ている。
被告席にディートリヒ殿下がいた。
鎖はかけられていないが、騎士が両脇に立っている。王族への配慮だ。
殿下の表情は…思っていたより不思議なほど落ち着いていた。
いや、「落ち着いている演技」だろう。完璧に準備してきた人間の顔。
誰かにコーチされている。
殿下の隣に立つ弁護人は、ヴェルト伯爵本人だった。
弁護人でありながら証人でもある。異例の構成だ。
「では、本日の裁判を開廷する」
ハーゲン卿が開廷を宣言した。
まずは弁護側が先に主張した。
「では、先に弁護側から失礼します」
ヴェルト伯爵が証言台に立った。五十代、がっしりした体格の男。
目は据わっている。
この人物は、殿下の「命令」ではなく「自分の意志で」行動したことにするために、ここにいる。
家族の安全を保証されているのだろう。誰に保証されているかは…きっとあの名前もわからない人物だろう。
「すべて私の独断でした。殿下には不正確な情報をお伝えし、殿下はそれを信じて行動されたに過ぎません。リーゼロッテ嬢への告発も、証人への指示も、すべて私が計画し実行しました」
完璧な証言。一点の曇りもない。ここまでに練習を重ねてきたのだろう。
続いてディートリヒ殿下が、反省の弁を述べた。
「私は側近を信頼しすぎました。ヴェルト伯爵の言葉を疑わず、結果として無実の人を傷つけた。深く…反省しています」
声が震えているように聞こえる。でもこの震えは制御されている。
練習された反省は、声のトーンが均一すぎるからわかりやすい。
傍聴席が同情的な空気になりかけた。
王太子が頭を下げている。それだけで心を動かされる人間は多い。
でも、嘘は嘘だ。
「反証を述べます」
私は立ち上がった。
「まず、証人を一人呼ばせてください。では、フィーネ」
フィーネが立ち上がった。
前とは違う。誰にも促されていない。震えてもいない。
「私が証言します」
ハーゲン卿が頷いた。
「あの日、私の家に届いた手紙は……ヴェルト伯爵の名前で届きました。でも、読み上げたのは殿下ご本人でした。……手紙の内容を、すらすらと、一字一句違わず」
ディートリヒ殿下が身を乗り出した。
「ああ、それは暗記していただけだ」
フィーネは微笑んだ。前より少し強い目で。
「……殿下。手紙には一箇所、伯爵の名前が書かれていない部分がありました。殿下がお読みになったとき、そこだけ……"余は"とおっしゃいました」
広間が静まった。
"余は"。
王族の一人称。ヴェルト伯爵が書いた手紙なら、"私は"と書くはずだ。
殿下は手紙を「暗記」したのではなく、自分が書いた文章をそのまま読んだだけだ。
「…異議あり!」
さすがに少し慣れてきた。慣れたくなかったけど。
私は手紙の写しを審判官席に提出した。
「この手紙の第三段落。"余はこの件を看過しない"。"余"は王族の一人称です。ヴェルト伯爵が書いた手紙に、なぜ王族の一人称が含まれているのですか?」
広間が静まった。
「伯爵が首謀者なら、"私は"と書くはずです。"余"と書ける人間は、この国に三人しかいません。国王陛下。第二王子殿下。そして…」
ディートリヒ殿下を見た。
「……あなただけです」
殿下の顔から血の気が引いた。
「さらに、この手紙の筆跡を、ディートリヒ殿下が審判官に提出した反省文と比較していただけますか」
フェルディナントが拡大鏡をハーゲン卿に渡した。
ハーゲン卿が二つの文書を並べた。
数秒の沈黙が会場を支配する。
「……鑑定により、同一の筆跡と認めます」
広間がどよめいた。
「…っ、なに!?」
ディートリヒ殿下が立ち上がりかけたが、傍の騎士に止められた。
ヴェルト伯爵の顔がどんどん青ざめていく。
身代わりの嘘が、たった一語で崩れた。
ハーゲン卿が判決を下した。
「被告人ディートリヒ殿下に対し、虚偽告発および証人脅迫の罪で有罪とします。王位継承権の一時停止を勧告し、国王陛下の最終判断を仰ぎます」
「ヴェルト伯爵に対し、偽証罪を適用します」
そして、ハーゲン卿は続けた。
「また…本裁判を以て、虚偽告発者への処罰規定を正式に法制化することを宣言します。今後、断罪裁判において虚偽の告発を行った者は、被告人が受けるはずだった刑罰と同等の処分を受けるものとします」
一つ、この国が変わった。小さな一歩だけど、確実に一つ。
裁判後、私はヴェルト伯爵の独房を訪ねた。
「ヴェルト伯爵。一つだけ聞かせてください。この弁護戦略…殿下の身代わりになるという計画を立てたのは、一体誰ですか?」
ヴェルト伯爵は答えなかった。
でも、その沈黙が答えだった。殿下自身にこんな戦略を立てる知恵はない。ヴェルト伯爵にもない。
クラウス男爵に偽造鑑定書を手配した人間。
ヴェルナーをけしかけてエルミナ様を告発させた人間。
調査委員会に圧力をかけて捜査を遅延させた人間。
改革文書を「紛失」させた人間。
そしてこの弁護戦略を描いた人間。
……きっとこの人間は全部同じだ。確信はある。
でも…証拠がない。その人の名前や顔すら知らない。
独房を出るとき、廊下の向こうに見覚えのある姿があった。
あの穏やかな笑みの中年男性……あの始まりの裁判の傍聴席にいた人物だ。
その人はゆっくりと、ディートリヒ殿下の独房に向かって歩いている。
「殿下、お力になれず申し訳ない」
涙さえ浮かべていた。完璧な忠臣の演技。
でも、私は見た。あの男がディートリヒ殿下の独房を出た後、反対方向に…宮廷の執務棟に向かって歩いていくのを。
足取りに悲しみはなかった。むしろ急いでいたように見えた。
……きっとあの人がその黒幕、もしくはそれに近しい人間だろう。
でも、まだ何もできない。
裁判が終わった後、フィーネは泣いていた。
「フィーネ、どうしたの。勝ったのに」
「……嬉し涙です!今日は、全然怖くなんかありませんでした」
「嘘、震えてたでしょ」
「……ちょっとだけ。でも、あのときとは違いました。あのときは、嘘をつくのが怖かった。今日は、本当のことを言うのが怖かった。……同じ"怖い"でも、全然違いました」
私も泣きそうになった。でも泣かなかった。
まだ泣く場所じゃない。あと一回だけ、泣かないでいる。
エルミナ様がお茶を用意してくれていた。
「殿下のこと……少しかわいそうだと思いました」
「……まあ、少しだけ」
「殿下は弱い人なんですよね。弟の王子に勝てないのが怖くて、聖女の権威を借りて王位争いを有利にしたかった。リーゼロッテ様を排除したのも、恋じゃなくて……焦り」
「よく見てるね、エルミナ様」
「聖女の直感、です」
「それ便利だね」
エルミナ様が笑った。
でも殿下が「やった理由」がわかっても、やったことが消えるわけじゃない。
フィーネは脅された。私は鎖をかけられた。
弱いから許されるなら、この世界に法はいらない。
……ディートリヒ殿下が独房の中で呟いていたらしい。
「……わからない。なぜあんなことをしたのか、自分でも」
フィーネが言っていた、半年前から殿下が変わった、という話を思い出した。
あの穏やかな笑顔の男が殿下に接近した時期と、ちょうど一致する。
偶然だろうか。
……いや。もう偶然だとは思えない。
紅茶を飲んだ。今日も泣かなかった。
でも、次が最後だ。次の法廷で…すべてを終わらせる。
続く




