第五話 聖女は嘘を許さない
断罪裁判の日。
エルミナ様が被告席に立っている。
エルミナ様が鎖をかけられている光景は、見ていて胸が痛んだ。
でも…エルミナ様は泣いていなかった。
私を見て、小さく頷いた。
信じている、という顔だった。
傍聴席にハーゲン卿、フェルディナント、そしてフィーネの姿が見えた。
今回も私は一人じゃない。
告発側の鑑定士ゲルハルトが証言台に立った。
四十代の男。
教会の正装を着ているが、目が落ち着かない。
この人物自身は保身のために動いている。
ヴェルナーに逆らえないから嘘をつかされているのか、それとも自ら加担しているのか…。
どちらにせよ、本人が嘘をついている自覚はあるはずだ。
「私が治癒の行われた礼拝堂を調査したところ、残された魔力残痕は青緑色でした。しかし、聖光属性の残痕は金色であるはず。エルミナの治癒は聖女の力ではなく、通常魔法による詐欺です」
堂々とした声で、まるで嘘を言っているようには到底見えない。
ヴェルナーの配下だけあって、人前で話すのには慣れているのだろうか。
「ゲルハルト殿。その点について、いくつか確認させてください」
「どうぞ」
「魔力残痕には鮮度がありますね。時間が経つほど薄くなる」
「はい。それは基本です」
「エルミナ様の治癒は昼の第二鐘に行われました。あなたが残痕を採取したのは夜の第一鐘。約十時間後ですね」
「そうですね」
「十時間後の残痕は……あなたの報告書ではどう記載されていますか?」
ゲルハルトが報告書に目を落とした。
「……"極めて鮮明"です」
「"極めて鮮明"。ゲルハルト殿、通常、十時間後の魔力残痕はどの程度残りますか」
「……やや薄れる程度かと」
「教会の魔法学教本によると…十時間後の残痕鮮度は、施術時の二割以下まで低下する、と記載されています」
フェルディナントが教本の該当ページを広げて審判官席に差し出した。
ハーゲン卿が目を通す。確認して頷いた。
「二割以下。それは"極めて鮮明"とは言えませんよね?"極めて鮮明"というのは……施術から一時間以内の鮮度ではありませんか。」
ゲルハルトの額に汗が浮かんだ。
「そ、それは……」
「つまり、あなたが採取した残痕は、エルミナ様の治癒の痕跡ではなく——採取の直前に、誰かが新たに残した痕跡ではないのでしょうか?」
観衆がどよめいた。
ゲルハルトが口を開いた。閉じた。また開いた。
何か言いたそうにしているが、言葉が出ないようだった。
この人はヴェルナーに命じられてやった。
でも法廷で追い詰められて、自分一人で全部かぶることの恐怖が見えた。
「審判官。一つ、良い提案があります」
ハーゲン卿が眉を上げた。
「エルミナ様の奇跡が本物かどうか…今、ここで確認しませんか?」
法廷がざわついた。
「鑑定士が本物と偽物を見分けられると言うなら…目の前で施術された魔力と、報告書の残痕を比較すればいいだけですよね?」
ゲルハルトの顔が蒼白になった。
ビンゴ。ゲルハルトが恐れていたのはこれだったようだ。
本物を目の前で見せられたら、報告書の嘘が誰の目にも明らかになる。
エルミナ様は立ち上がった。
手が少し震えていたけれど、目は真っ直ぐだった。
「…やります。私の奇跡が嘘かどうか、皆さんの目で確かめてください」
「うむ…では許可する、鎖を外せ」
ハーゲン卿がそういうと、エルミナ様の横に立っていた見張りが、錠を外した。
エルミナ様が審判官席の前に歩み出た。
「この中で、怪我をしている方はどなたかいらっしゃいますか?」
傍聴席の年配の婦人がそっと手を挙げた。
手には、古い火傷の跡がある。
エルミナ様がその手をそっと包んだ。
その瞬間、金色の光がこぼれた。
あの時見た、春の日差しのような暖かな光。
痛々しかった火傷の跡が、どんどん薄くなっていく。
手から赤みが引いて、肌が滑らかになった。
婦人は、涙を流していた。
会場の全員が、金色の光を見た。
ゲルハルトの報告書の「青緑色」とは、まったく違う色だった。
会場は静まり返っていたが、誰かがした小さな拍手が広がり、大きな拍手になった。
ゲルハルトは悔しそうに膝をついた。
「……わ、私は……あの方に言われて……」
あの方。私は独り言の小さな声を聞き逃さなかった。
「ゲルハルト殿、あの方、とは一体?」
ゲルハルトは少し驚いた顔をすると、すぐに表情を戻し、口をつぐんだ。
それ以上は何も話さなかった。
それはヴェルナーのことだったのか。
それとも……ヴェルナーの上にいるであろう、違う誰かか。
ハーゲン卿が立ち上がった。
「…静粛に。被告人エルミナに対する告発を棄却。よって無罪とします。また、鑑定士ゲルハルトに偽証の疑いで調査命令を出します」
ゲルハルトは連行されていった。
去り際、私の横を通った時、彼は私にこう耳打ちをして去っていった。
「……影の法官に報告済みだ。お前たちの改革は許されない」
エルミナ様の鎖は完全に外された。
彼女は私のところに歩いてきて、小さく笑った。
「リーゼロッテ様。これで二回目の弁護ですね」
「ええ…今回も、助けられたようでほっとしたわ…」
「だんだん、そこに立つのが様になってきてますよ」
「……慣れたくないんですけどね、こういうの」
裁判後、大司教ヴェルナーが教会に戻るところを見た。
ゲルハルトは調査に引き渡されたが、ヴェルナー本人には直接の処罰はなかった。
どうやら教会の内部問題として扱われるらしい。
……前世の法務部でもそうだった。
指示を出した上の人間は捕まらず、実行した末端だけが罰を受ける。
ゲルハルトが去り際に吐き捨てた言葉が残っている。
「……影の法官に報告済みだ。お前たちの改革は許されない」
影の法官。何のことかわからない。
でも、ゲルハルトがあの状況で脅し文句に使うからには、実在する何かなのだろう。
そしてもう一つ。
ハーゲン卿が上申した「証拠開示規則」の起草文書が、宮廷の書記局でたまたま「紛失」してしまったという話を聞いた。
三十ページの公文書がたまたま紛失……
しかも決裁は「保留」のまま棚上げ。
誰かが意図的に妨害していると考えていいだろう。
クラウス男爵の裏にいた人間、ヴェルナーをけしかけた「あの方」、改革文書を消した人間。
……全部同じ人物だとしたら。
でも証拠はないし、名前もわからない。
そもそも、そんな人間が実在している確証もない……
今は、こうやって弁護をしながら手がかりを待つしかないか。
翌日、裁判の件は落ち着き、庭でエルミナ様とお茶を飲んだ。
今日はフィーネおすすめの、ピーチティーらしい。
桃の香りが華やかで、いい香り。
「リーゼロッテ様。私がこの世界に召喚された理由って……聖女になるためじゃなかったのかも…」
「どういうこと?」
「はっきりとはわからなくて。でも、聖女として奇跡を見せるためだけに呼ばれたなら、もう役目は終わってるはずなんです。でも……まだここにいる理由がある気がして」
「……それは、続きが分かればいいのですが。いつでも相談してくださいね、私にできることなら…なんでも」
「はい、ありがとうございます」
エルミナ様はそう言いながら、どこか不安そうな目で紅茶を飲んでいた。
今回も弁護は無事に成功した。
だけれど、裏で糸を引いている"誰か"の輪郭が、少しずつ見えてきている。
まだ名前は知らない。でも確実に、そいつはいる。
そんなことを考えながらピーチティーを最後の一口まで飲んだころ、フィーネが庭に駆けてきた。
「お嬢様、ハーゲン卿からお手紙です。……至急開封、と書いてあります」
そう手紙を渡されると、急いで封を開けた。
短い文面だった。
『ディートリヒ殿下に関する調査が完了した。虚偽告発および証人脅迫の疑いで、正式に告発する。
弁護側・告発側のどちらで参加するか、確認したい。——ハーゲン』
……ついに。
あの裁判——私が鎖をかけられて、フィーネが嘘の証言をさせられた、あの日の清算が始まる。
エルミナ様が私の顔を覗き込んだ。
「……リーゼロッテ様? 顔色が……」
「大丈夫です。……大丈夫。ただ、次の法廷は少し……複雑になりそうで」
手紙を折りたたんだ。
私の指先がかすかに震えていた。
続く




