第二話 証拠は嘘をつかない
「それが……助けてほしいという方が…」
フィーネの言葉に、エルミナ様と顔を見合わせた。
「……わかったわ、通して」
嫌な予感と、少しだけの期待が、同時に胸をよぎった。
応接間に通された男は、ミュラーという商人だった。
…目の下の隈が濃い。まともに眠れていないのだろうか。
「リーゼロッテ様……どうか、どうかお力をお貸しください」
「まず、落ち着いて座ってください。お話は聞きますから」
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あの裁判から、もう一ヶ月が経っていた。
王都では、あの断罪裁判の話がまだ噂になっているらしい。
「被告人が自分で弁護して逆転無罪」
二百年の歴史で初めてのことだったそうだから、まあ話題にもなるか…
街を歩くと、たまに声をかけられるようになった。
「あっ、あの……もしかして、あの弁護人のお嬢様でいらっしゃいますか!」なんて、商人や職人の奥さんたちが嬉しそうに話しかけてくる。
「うちの旦那なんかあの話もう三回目ですよ、晩ごはんのたびにあの裁判がどうのこうのって話してて…」と笑っている人もいた。
なんだかちょっとこそばゆい。
でも貴族の集まりでは反応が違った。
打って変わって冷たい視線、こそこそと囁かれる噂話。
「……公爵令嬢のくせに弁護人を名乗ってるんですって。いい家の出がすることかしら」
「ほんと。秩序を壊されちゃ困りますわ」
……前世の会社でもそうだった。
正しいことをしても、空気を乱すと白い目で見られる。
この世界でも同じらしい。正直もう…慣れているけれど。
そんな日々の中、あの裁判のおかげかこうして「助けてほしい」と訪ねてくる人が現れるようになった。
なんとなく、嫌な予感の正体はわかっている。
そう、また断罪裁判に関わることになる…という予感だ。
向けられている期待の正体も…たぶん、わかっているつもり。
「リーゼロッテ様、突然押しかけて申し訳ありません…。
私はミュラーと言います。一家で商人をしております。実は娘が……うちのレーナが、断罪裁判にかけられようとしているんです」
「断罪裁判…!?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
私のように、あの裁判で陥れられている人が他にいたのか…
「その、レーナさんは、何の罪で告発されているのですか?」
「窃盗です…。クラウス男爵ってお方でして、そのお屋敷から希少な宝石を盗んだと……。でも、もちろんレーナはそんなことするような子じゃないんです。その告発があってからあの子は、もう三日もろくに飯も食えてなくなってしまって…」
ミュラーの声が途中から震えた。目に涙が滲んでいる。
この人は本気だ。嘘を言っている人の目じゃない。
前世で何百人と交渉相手を見てきたから、それくらいはわかる。
「事情は分かりました。でも、なぜ私に?」
「あの裁判のこと、聞きまして……自分で弁護して、あの王太子殿下にまで勝ったお方がいると。弁護を引き受けてくださる方なんて、この国にはいません。うちみたいな商人が頼れる先は……もう、あなた様しかいないんです」
弁護人。
他人のために法廷に立つ。
前世の私はそれが仕事だった。
会社のために、取引先との交渉を何百回もやった。
でも今回は、会社のためじゃない。知らない商人の、知らない娘のため。
……エルミナ様に聞かれた言葉を思い出す。
「どうして他人のために弁護するんですか?」
あのとき私は「前世で、誰にもしてもらえなかったから」と答えかけた。
不当な契約変更を押し付けられたとき。
上司に「まあまあ」と黙殺されたとき。
誰かが一人でも味方をしてくれたら、あの二十八年間はもう少し楽だったかもしれない。
「……わかりました。事件の詳細を聞かせてください」
ミュラーの目に光が戻り、顔が明るくなる。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
何度も頭を下げるミュラーを落ち着かせて、話を聞いた。
話の全体像は、思ったより単純だった。
クラウス男爵はミュラー商会に借金があるようだった。
それもかなり大きな額だ。
ミュラーが返済を求めたところ、なぜか逆に娘のレーナが宝石窃盗で告発された…ということらしい。
「クラウス男爵への借金の証文はありますか?」
「はい、ここに。見てやってください」
ミュラーが差し出した証文を読んだ。
こういった書類の類は前世で飽きるくらいみてきたから、違いくらい分かる。
この証文の書き方、利率の記載、返済期限の設定…。
商人側が正当な取引をしていることは明白だった。
男爵には返す金がない、だから娘を人質にした。
返済を迫るな、さもなければ娘は有罪だ……という脅しだろう。
後がない人間の悪足搔きだろう。
王太子の件に比べれば、こんなもの簡単だ。
「ええ、わかりました。この弁護の件、引き受けさせていただきます。」
「あ、ありがとうございます!どうお礼をすれば良いか…リーゼロッテ様がついてくださるなんて、勝ったも同然です!」
ミュラーが深く頭を下げた。
「…ですが、一つだけお願いがあります」
「な、なんでしょうか、私にできることでしたらなんでも!」
「この弁護の前に、レーナさん本人と話をさせてください。それと、レーナさんの部屋を見せていただきたい。弁護をするなら、本人の言葉と現場を確認しないと」
「も、もちろんです!では早速明日娘の元へお願いします」
そうして翌日、私はミュラー商会を訪ねた。
そこは王都の商業区画にある、二階建ての石造りの建物だった。
一階が店舗と応接間、二階が居室と倉庫。
商人の家らしく、間口は広くないが奥に深い造りをしている。
玄関を入ると、すぐ右手に応接間がある。
来客はここに通されるようだ。
その奥は廊下が伸びていて、家族の居室や台所が並んでいる。
ふと、廊下の入口に目が止まった。
ここから床の材質が変わっている。
玄関から応接間までは石畳だけれど、廊下から奥は板張りになっていた。
板張りの入口に、小さな棚があって、室内用の履物が並んでいる。
「ミュラーさん。ここで靴を履き替えるんですか?」
「ああ、はい。商家の習慣でして……うちは布や染料も扱うもんですから、奥には外の泥を持ち込みたくないんです。お客様は応接間までで、奥にはうちの者しか入りませんしね」
「なるほど…」
私も室内履きに替えて、奥へ進んだ。
レーナの部屋は一階の廊下の突き当たりにあった。
話してみるとレーナは、思ったより落ち着いた子だった。
歳は十五歳。
線の細い少女で、ひ弱そうに見えるが、父親譲りの真面目そうな目をしている。
「リーゼロッテ様……本当に弁護してくださるのでしょうか?」
「ええ、あなたが盗んでいないなら…ですけれど」
「もちろん盗んでなんかいません」
返事は即答だった。目が逸れない。
嘘をつく人間は必ずどこかで視線を外すが、この子は外さなかった。
「宝石が見つかったのは、箪笥の中だと聞きましたが…」
「はい……私の部屋の箪笥です。でも、おかしいんです。私、箪笥は毎朝整理してるんです…仕事の帳簿を出し入れするので。事件の前日の夜まで何もなかったのに、翌朝開けたら見たこともない宝石が入っていました」
箪笥は毎朝整理していて、前日まではなかった。
つまり、夜のうちに誰かが仕込んだのだろう。
「あなたの部屋に入れる人って、誰かいる?」
「父と……あとは使用人のマルテさんだけです。マルテさんは二十年うちにいる方で、家族みたいな人です。それ以外は……あ」
レーナの目が動いた。何かを思い出した目だ。
「あの日……クラウス男爵のお使いの方が来たんです。帳簿の確認だって、応接間にお通ししました。でも私、二階の倉庫から別の帳簿を取りにいかなきゃならなくて……五分くらい、一階を空けたんです」
五分。使いの者が応接間に一人きりになった五分間。
応接間からレーナの部屋まで、廊下を歩けばすぐの距離だ。
「わかりました。レーナさん、箪笥を見せてもらってもいいですか」
レーナが箪笥を開けた。中は帳簿と筆記具が几帳面に整頓されている。もちろん、宝石は証拠品として押収済みだ。
私は箪笥の前にしゃがんで、床を見た。
板張りの床。レーナと家族は室内履きで生活している。
板は使い込まれているけれど、手入れされていて清潔だった。
……ただ、一箇所だけ気になるものがあった。
箪笥の正面の床に、かすかな汚れがある。
泥……いや、乾いた土の跡、だろうか?
靴底の形を残した、小さな半月形のような汚れが二つ。
これは…きっとつま先の跡だ。
誰かがここに立って箪笥を開けた。それも外靴のまま。
気になった私は、廊下も確認した。
応接間の入口から、板張りの廊下をレーナの部屋に向かって、薄い土の汚れが点々と続いている。
わずかだけど、室内履きの家族がつけるはずのない汚れだ。
「レーナさん。この廊下からあなたの部屋に続く土汚れに、気づいていましたか」
「え……あ、ほんとだ。こんなの昨日までなかったと思います。ミュラー家では奥に外靴で入る人はいないので……」
「お使いの方は、外靴のまま応接間にいましたか?」
「はい、応接間は石畳ですし、お客様に靴を脱いでくださいとは言えませんから……」
つまり、お使いの者が応接間から廊下に出て、外靴のままレーナの部屋まで歩いた。
そして、靴底の土がその道筋を残してしまった。
……また証拠が一つ増えた。
「大丈夫。あなたの無実は証明できます」
レーナの目に涙が浮かんでいた。
でも泣かなかった。
この子も泣かないでいようとする子なんだな、と思った。
家に戻ってから、もう一つ気になるものを確認した。
クラウス男爵が提出した宝石の鑑定書。
法廷資料として事前に写しが届いている。
これは前回の裁判にはなかった制度だ。
ハーゲン卿が「証拠は事前に弁護側にも開示すべきだ」と主張して、今回から暫定的に始めた措置らしい。
……あの人は、少しずつ制度を変えようとしてくれている。
鑑定書を読んだ。
「鑑定日:第七月十二日」
盗難届が出されたのは第七月十五日。
……鑑定書の日付が、盗難届より三日早い…?
盗まれた宝石の鑑定書が、なぜ盗まれる三日前に作られているのだろうか。
答えは簡単だ。
この宝石は最初から「盗まれた」のではなく、「盗まれたことにするために」準備されていた。
クラウス男爵は告発を仕掛けるために、先に宝石の鑑定書を用意した。
でも何らかのミスで、日付を盗難後に書き直すのを忘れたのだろう。
そして気になる点がもう一つ。鑑定書に記載された宝石の重量。
「月涙石 重量四十七グラン」
グランというのは宝石の重さを量るための単位で、宝飾商や鑑定士が使う精密な秤の目盛り一つ分にあたる。
一グランは非常に軽く、指先に乗る小麦の粒ほどだ。
もし法廷にある宝石が本物でなければ…つまり偽物をレーナの箪笥に仕込んだのなら、実際に量る重さは鑑定書の数値と一致しないはずだ。
ここで証拠は三つ揃った。レーナの部屋に続く不審な靴跡、偽造された鑑定書の日付、不審な宝石の重量。
あとはこの証拠を法廷で、どう見せるか。
ここからが、私の腕の見せ所だ。
~つづく~




