最終話 国境を越える弁護人
ゲッツ・フォン・アイゼンベルクが地下牢へ引きずられていったあの日から、一ヶ月が経った。
三十年間、二つの国をまたにかけて法の裏側で暗躍してきた『影の法官』の失脚は、世界に大きな激震を走らせた。
連邦政府は即座に特別調査委員会を立ち上げ、ゲッツが残した裏帳簿を元に、彼と結託していた公証人や悪徳貴族たちを次々と摘発した。
法廷を私物化し、自分たちの都合のいいように無実の者を罪に陥れてきた者たちが、今度は正当な法の手続きによって裁かれていく。
それまでの腐敗しきった社会の空気が、嘘のように浄化されていった。
「お嬢様! 見てください、これ!」
滞在先の宿屋で、フィーネが朝から弾んだ声で部屋に駆け込んできた。
彼女の手には、公証人役場から届いたばかりの分厚い封書が握られている。
「土地の権利書……ついに戻ってきたのね」
私が微笑みかけると、フィーネは目を潤ませながら何度も頷いた。
「はい! 架空の借用書は無効と判断されて、没収されていた私の家族の土地が、すべて正式に返還されました! これで……ようやくお父さんとお母さんのお墓を、自分たちの土地に建て直すことができます」
「本当によかったわね、フィーネ」
「いいえ、お嬢様のおかげです……あの時、私を信じて、一緒に戦ってくださったから……」
フィーネは私の手に自分の手を重ね、ぼろぼろと涙をこぼした。
あの最初の裁判。
王太子に脅され、震えながら偽証をさせられていた小さな少女は、今や自分の足で立ち、家族の誇りを取り戻したのだ。
「私のおかげじゃないわ。あなたが勇気を出して、過去と向き合った結果よ」
私は彼女の頭を優しく撫でた。
その日の午後、私は連邦法務省の執務室に呼び出されていた。
重厚なマホガニーのデスク越しに、法務大臣が私に一枚の羊皮紙を差し出した。
「リーゼロッテ・ヴァイス嬢。この度の一連の事件における貴女の多大なる貢献に対し、エルベルト連邦政府を代表して深く感謝申し上げる。つきましては、これは連邦議会からの特例措置だ」
受け取った羊皮紙には、見慣れない国の印章が押されていた。
「これは……」
「我が国における、正式な弁護士資格の証明書だ。通常、外国人には認められないものだが、貴女の実績と高潔な精神は、もはや国籍を問わず我が国の法曹界に不可欠だと判断した。今後は臨時許可など必要なく、いつでも連邦の法廷に立つことができる」
私はその羊皮紙を両手でしっかりと握りしめた。
前世で法務部のOLだった頃は、資格を持たないただの社員だった。
いくら法律の知識があっても、法廷に立つことは許されなかった。
でも今、私は自分の力で、この異国で『弁護人』として認められたのだ。
「……ありがとうございます。謹んでお受けいたします」
私は深く頭を下げた。
法務省を出ると、石畳の通りには柔らかい午後の日差しが降り注いでいた。
空は高く、澄み切った青色がどこまでも続いている。
ふと、通りの向こうから見慣れた長身の影が歩いてくるのが見えた。
黒いスーツに身を包み、神経質そうに眼鏡を押し上げる仕草、カスパルだった。
「リーゼロッテ嬢。手続きは終わりましたか」
彼は立ち止まり、私の手にある羊皮紙を見てわずかに口角を上げた。
「ええ、おかげさまで。これで私も、晴れて連邦の弁護士です。先輩、よろしくお願いしますね」
私がからかうように言うと、カスパルは少しだけ眩しそうに目を細めた。
「先輩、ですか……。あの影の法官を追い詰めたあなたに教えることなど、もう僕には残っていないかもしれませんがね」
「そんなことないですよ。連邦の法律はまだ知らないことだらけですし。それに、あの時カスパルさんが法廷で規則を読み上げてくれなかったら、ゲッツを拘束することはできなかった。私たちはいいコンビだったんですから」
「……コンビ、か」
カスパルはぽつりと呟くと、突然、私の手を強く握った。
「えっ……」
「リーゼロッテ。君はこれからどうするつもりだ。祖国に帰るのか? それとも……この国に残るのか?」
彼の声は、いつもの冷静な響きを失い、どこか切羽詰まった熱を帯びていた。
「えっと……資格ももらったし、両国の法廷を行き来する弁護人になろうかと。ハーゲン卿やフェルディナントにも会いたいですし、エルミナ様からも『新しい紅茶を見つけたから早く帰ってきて』って手紙が来てますから」
私がそう答えると、カスパルの手にさらに強い力がこもった。
彼の一歩が、私との距離を詰める。
「……両国を行き来する、か。それはずいぶんと忙しいことだ。だが、僕はもう、君を一人で戦わせるつもりはない」
「カスパルさん……?」
彼は私の手を引き寄せ、真っ直ぐに私の目を見た。
その瞳の奥には、決して揺るがない、重く暗いほどの強い執着が渦巻いていた。
「僕はこれまで、法という冷たい論理の中だけで生きてきた。だが、君に出会い、君の戦う姿を見て、僕の世界は完全に覆された。君がいない法廷など、もはや僕には耐えられない」
「ちょ、ちょっと、カスパルさん、顔が近――」
「君が祖国に帰るというなら、僕も行こう。君がこの国に残るというなら、僕が君の足場を作る。君がどこで誰のために戦おうと、僕は必ず君の隣に立つ。……君の弁護は、僕が一生涯かけて引き受ける」
それは、法律家である彼なりの、あまりにも重く、そして不器用な『誓い』だった。
一生涯の弁護。それが何を意味するのか、鈍感な私でもさすがに気がつく。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打ち始めた。
顔が熱い。前世でもこんな風に真っ直ぐに情熱をぶつけられたことなどなかった。
「……ば、馬鹿なこと言わないでください」
私は照れ隠しに、わざと冷たい声を作ってそっぽを向いた。
「私を助手にしようだなんて、百年早いわよ。私の方が実績も勝率も上なんだから、あなたが私の下働きになりなさいよね」
精一杯の強がり。
でも、そんな私の言葉を聞いて、カスパルはふっと柔らかく笑った。
「ああ、構わない。君の助手でも、下働きでも、なんだって喜んでなろう。……ただ、君の隣という特等席だけは、誰にも譲るつもりはないがね」
言うが早いか、カスパルは私の腰に腕を回し、力強くその胸に抱き寄せた。
「きゃっ……! ちょっと、白昼堂々、道端でなんて……!」
「法に『道端で愛する人を抱きしめてはいけない』という規定はない。もしあるなら、僕が君の弁護人として無罪を勝ち取ってみせよう」
彼の耳元での囁きは、甘く、そしてどこまでも独占欲に満ちていた。
カスパルの腕の力は強く、私はもう逃げ出すことすらできなかった。
……というより、本当は逃げ出したくなんてなかったのだ。
彼の胸から伝わる鼓動は、私の鼓動と同じくらい速かった。
理屈っぽくて面倒くさいこの弁護士が、こんなにも不器用で、熱い心を持っていることを、私は誰よりもよく知っている。
「……本当に、勝てるんでしょうね。負けたら許さないんだから」
私が小さく呟きながら彼の背中に腕を回し返すと、カスパルは満足そうに低く笑い、私をさらに強く抱きしめた。
高く澄み渡る空の下、遠くで教会の鐘が鳴り響いた。
それはまるで、新しい始まりを祝福するかのようだった。
断罪裁判の元被告人で、異世界に転生した元法務部OL。
私の武器は剣でも魔法でもなく、法律と論理だ。
どんな理不尽な権力が立ちはだかろうと、声を上げられない人がいる限り、私は何度でも法廷に立つ。
「異議あり!」
そのたった一言で、絶望を希望にひっくり返すために。
【終】
【作者あとがき】
『悪役令嬢は断罪裁判で泣かない——ちょっと「異議あり」って言ってみたかったのよね』
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました꒰ ´꒳` ꒱
読み切り短編の方では自分が思っていたよりもたくさんの反応があって嬉しかったです!
「魔法や剣じゃなくて、法律と論理で物理的に(?)殴り倒す悪役令嬢を書きたい!」と思って始めたお話なんですけど、皆様の温かい応援のおかげで、無事に完結まで駆け抜けることができました!(途中行き詰って更新止まってしまっていましたが…)
リーゼロッテとカスバルの今後についてですが……きっと二人は、有能すぎる弁護士コンビとして法廷でもプライベートでも甘々にもだもだしながら両国を飛び回ってくれると思います♡
そのあたりの後日談というか、おまけとかも描けたらいいなと思うのですが、一旦は週三回の更新をやりきって余裕ができるようになったらで…꒰ ×͈ω×͈。 ꒱
毎週 月水金曜日18時ごろに読み切り短編や連載小説を投稿しています。よければ他の作品も読んでいっていただければ幸いです!大半が読み切り短編なので、通勤や通学、色々なスキマ時間に読みやすくなってます!ぜひ~꒰ *ฅ́˘ฅ̀* ꒱
では改めて…最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!




