第十四話 影の法官の失墜
「外交特権……!」
公聴会の議長が、信じられないものを見るような目でゲッツの手にある書状を睨みつけた。
外交特権。それは国家間の取り決めにより、他国の法による逮捕や裁きを免除される絶対の盾だ。
その金色の封蝋が押された書状が本物である限り、エルベルト連邦の衛兵は彼に指一本触れることができない。
ゲッツは再び、あの不快なほど穏やかな笑顔を取り戻していた。
「おわかりいただけましたかな? 私は西の諸国連合の特別顧問に就任している。この書状は、彼らが私に与えた外交特権の証明書だ。君たちエルベルト連邦の法律がどうであろうと、私には適用されない。残念だったね、リーゼロッテ嬢。君の用意した証拠は、法廷ではなくゴミ箱にでも捨てることだ」
ゲッツは勝ち誇ったように私を見下ろした。
法という盤面で追い詰められれば、盤面そのものをひっくり返して別の国のルールの裏に隠れる。
それがこの男のやり方だ。三十年間、そうやってあらゆる追及を逃れ、他人を地獄に突き落としながら自分だけは安全な場所で笑ってきたのだ。
広間は重苦しい沈黙に包まれていた。
コンラートが絶望に顔を覆い、フィーネが悔しそうに唇を噛みしめている。
議員たちも、この理不尽な法の抜け道の前で沈黙するしかなかった。
だが、私はその様子を見て、思わずクスッと笑ってしまった。
「…ふふっ」
「……何がおかしい」
ゲッツの笑顔がぴくりと引きつる。
「いえ。やっぱり、あなたは私の前世…いや、以前の上司によく似ていると思って。自分が用意した逃げ道が、絶対に塞がれることはないと思い込んでいるその傲慢さが、そっくりそのままですよ」
私は、後ろで控えていた外交官のライナに目配せをした。
「ライナさん、お願いします」
「ええ」
ライナは静かに頷き、手元にあった革の鞄から、一通の分厚い封書を取り出した。
それにもまた、金色の封蝋が押されていた。
「議長。そしてゲッツ・フォン・アイゼンベルク殿。こちらを御覧ください」
ライナの凛とした声が、静まり返った広間に響いた。
「これは、本日未明に西の諸国連合の最高評議会からエルベルト連邦政府に届いた、公式な通達です」
ゲッツの目が、その封書に釘付けになった。
「通達……?馬鹿な、そんな話は聞いていない。私には特権が……」
「その特権についての通達ですよ」
ライナは冷たく言い放ち、封書を開いて中身の羊皮紙を読み上げた。
『西の諸国連合最高評議会は、ゲッツ・フォン・アイゼンベルクに対して付与していた特別顧問の地位および一切の外交特権を、本日をもって剥奪する。同時に、同氏を国際的な詐欺および資金洗浄の容疑で指名手配とする』
「な……っ!?」
ゲッツの口から、間抜けな声が漏れた。
彼はよろめき、手にしていた自分の書状を取り落とした。
「は、剥奪だと!?そんな馬鹿なことがあるか! 私は彼らに多額の資金援助と、法的な便宜を図ってきたのだぞ! 彼らが私を切るはずがない!」
「ええ、少し前まではそうだったでしょうね。あなたが『有能な資金源』である間は…」
私は一歩前に進み出た。
「でも、あなたが連邦の公証人たちに賄賂を贈り、不正な裏金を作っていた『コンラートの裏帳簿』の写し。あれを私たちが今日初めて出したと思いましたか?」
「ま、まさか……」
ゲッツの目が大きく見開く。
「ええ、そのまさかです」
私は彼に、とどめを刺すように冷酷な事実を突きつけた。
「私たちは数日前、あの裏帳簿の写しと、あなたが諸国連合の資産を密かに横領して私腹を肥やしていた証拠を、諸国連合の最高評議会にこっそり送っておいたんです、特使を使ってね。
彼らはあなたが『有能な資金源』ではなく、『自分たちの懐から金を盗み出していた泥棒』だと知った。……泥棒に外交特権を与え続けるお人好しの国なんて、どこにもありませんよ」
「き、貴様……!」
ゲッツの顔が真っ赤に染まり、彼はギリリと歯ぎしりをした。
彼が三十年かけて築き上げた絶対の盾は、私が数日前に打ったたった一本の楔によって、脆くも崩れ去っていたのだ。
法廷で証拠を出す前に、彼の「法廷外の逃げ道」をあらかじめ塞いでおく。
前世で法務部として、悪質な取引先と戦ってきた私にとっては、常套手段に過ぎない。
「さらに言えば」
私の隣で、カスパルが一枚の書類を掲げた。
「ゲッツ・フォン・アイゼンベルク。あなたの連邦内にあるすべての銀行口座、不動産、および隠し資産は、今朝の時点で連邦裁判所の命令により完全凍結されています。国境の関所にもすでに手配書が回った。あなたの逃げ道は、文字通り『ゼロ』です」
ゲッツは後ずさりした。
彼の目には、かつての余裕など微塵も残っていなかった。
あるのはただ、自分の足元が崩れ落ちていくことへの、純粋な恐怖と絶望だけだ。
「ば、馬鹿な……私が、この私が、こんな小娘どもに……素人たちに、出し抜かれたというのか……!」
「私たちは素人じゃありませんよ」
私は彼に近づき、彼の耳元で静かに、だがはっきりと告げた。
「私たちは、あなたが道具として見下し、遊び半分に踏みにじってきた『法』そのものに仕える者です。法を嘲笑う者は、最後には法によって首を絞められる。それがルールというものでしょう?」
ゲッツは力なく膝から崩れ落ちた。
彼の足元に、かつて彼が絶対の盾だと信じていた金色の封蝋が押された書状が、ただの紙切れとなって転がっていた。
「……衛兵。彼を拘束し、重罪犯の地下牢へ連行しろ。二度と日の光を見せないようにな」
議長の厳格な声が響いた。
衛兵たちが歩み寄り、ゲッツの両腕を乱暴に掴んで引きずり起こした。
彼はもはや抵抗する気力もなく、ただ虚ろな目で宙を見つめたまま、広間の外へと引きずられていった。
三十年間、二つの国をまたにかけて法を遊び道具にしてきた男の、あまりにも無様であっけない幕切れだった。
広間は静まり返っていた。
誰もが、この歴史的な瞬間を息を呑んで見つめていた。
「……やっと、終わったんですね」
フィーネが、私の隣で震える声で言った。
彼女の目からは、とめどなく涙が溢れていた。
それは悲しみの涙ではなく、長年の呪縛から解き放たれた、喜びと安堵の涙だった。
私はフィーネの肩を優しく抱き寄せた。
「ええ、終わったわ。あなたの家族の土地も、きっとすぐに取り戻せるはずよ」
「お嬢様……!ありがとうございます……本当に、ありがとうございます!」
フィーネは私の胸に顔を埋め、声を出して泣きじゃくった。
私は彼女の背中を撫でながら、カスパルの方を向いた。
彼は眼鏡を外し、目頭を指で押さえていた。
「……見事でした、リーゼロッテ嬢。僕一人では、決して彼をここまで追い詰めることはできなかった」
カスパルは深く頭を下げた。
「何を言っているんですか。カスパルさんが法的手続きを完璧に整えてくれたからこそ、あいつの退路を断つことができたんですよ。私たち、結構いいコンビだったんじゃないですか?」
私が笑いかけると、カスパルは少しだけ頬を染め、咳払いをした。
「……コンビ、ですか。まあ、そうですね。悪くない……いえ、非常に優秀なパートナーでした」
ライナも歩み寄ってきて、私に微笑みかけた。
「あなたをこの国に呼んで、本当に正解でした。これでエルベルト連邦も、少しはまともな国になるでしょう」
「ええ。これからは、あなたたち次第ですね」
私は大きく伸びをした。
肩の荷が下りて、急に心地よい疲労感が押し寄せてきた。
法廷での戦いは終わった。
でも、私の人生はまだこれからだ。
私は前世の記憶を思い出しながら、この世界で自分が為すべきこと、そして自分が立ちたい場所を、はっきりと見据えていた。
【続く】




