11-9 幼生
P達は廊下で、暴走したヘレンと対峙していた。
「ガッ……ガアアァァッ!」
ヘレンは縦に裂けたくちばしを開き、無数の尖った歯をむき出しにする。昆虫のように黒い外骨格の隙間から赤い肉が弾け出し、背中には透明な翅が生えている。
四本の腕は、どくどくと脈打つ心臓のような臓器で膨らんでおり、手の甲からは鋭く長い針が飛び出す。
頭部には複眼と触角――その容姿はつまり、今は自然種がほとんどいない、「ハチ」と呼ばれる昆虫にそっくりだった。
だが奇妙なのは、肉体が変化しただけでなく、その「服装」までもが変わっていたことだった。黒いコルセットに黄色い半透明フリルのスカート――それらは身にまとっているというより、肉から直接生えているようだった。
ヘレンは廊下を高速で飛び回りながら、P達の体を切り裂き、貫き、毒で息の根を止めていく。テーザーガンは効かず、レーザー銃の狙いも定まらない。
動体視力が良い校長が、辛うじて彼女の左肩をレーザーで打ち抜く。
「ギャアアアァァァッ!」
化け物は地面に落下し、のたうち回る。
「ひるむな!撃て――!」
校長がそう言った次の瞬間、廊下全体がビリビリと、無数の振動に共鳴した。P達はめまいを覚え、バランスを崩しかける。
何が起こった――と思う暇もなく、廊下で気絶していた生徒たちが次々と怪物に姿を変えていく。更に放送室の壁が砕け散り、数名のP達が巻き添えになった。壁の向こうの室内から、更に別の怪物たちが現れる。
「なん、だと…………!?」
不意打ちを食らったP達は、あっという間にそれらの毒牙にかかって全滅した。
校長が逃げ出そうとしたとき、背後からヘレンが飛びかかって床にたたきつけた――鉛でできているかのように、重い。
そしてヘレンの体は突然、鉄鋼炉のような高熱を発し始めた。コルセットの六角形の網目模様が赤く光る。
「……あぁっ!?あ゛っ、熱いっ!あああああぁぁぁっ!!!」
校長は彼女の焼きごてのような胸に押しつぶされ、煙を上げながら息絶えた。
その上を、半透明のピンク色の流体が飛び越えていく――薄い皮膚から血管が透けて見えているのだ。
眼窩からは大きな黒い瞳が飛び出し、髪の隙間からは角のような外鰓が伸びる。胴体からは、鰭と区別がつかないような、シースルーのドレスが生えている。
人の少女の輪郭を残した、グロテスクながらも奇妙に艶やかな幼生。愛らしさと性機能を歪に縫い合わせた縫いぐるみのような、不確かな存在――コハル。
コハルは知性を失いながらも、しなければいけないことを本能的にわかっていた。
今のドールたちは、本体の指令に従って殺戮を行う機械でしかないはずだった。
だがごく一部の者は、最後に抱いていた強い感情により自分だけの行動原理を獲得していた。一年前のソフィが、スイレンを手に入れることを忘れなかったように。
コハルは遠くにいながらも、傷ついている仲間の声を耳にしていた。廊下を水のように滑り行き、P達の足元を通り抜ける。
何人かがレーザーで仕留めようとするが、体のどこを吹き飛ばしてもすぐさま再生してしまう。
純白の廊下は、七色の体液と死体に塗れた地獄絵図と化していた――さながら、前衛芸術。
P達、怪物になったドール達、人の姿のまま殺されたドール達、そして大した功績も残さずに破壊された警備ロボットたち――
コハルは数分とかからずに、ドール達が避難していたはずの体育館に辿り着いた。
そこはさっきまで、最も激しい戦闘が行われていた場所だった。
あちこちに破壊と爆発の傷跡があり、壁や天井はところどころ、人とドールの断片が張り付いている。
だがその中央からは、全ての障害物がはじき出されている。一人の男が電流を帯びた鉄製の鞭を振り回し、近寄る怪物どもを次々と薙ぎ倒していた――フリューゲル寮の寮長、ネールだ。
一方、少し離れたところでは、別の戦闘が終わるところだった。何名かのP達が、頭部を水色のゼリーのようなものに包まれ、溶かされて息絶える。
それらの物体はあたかもそれぞれ意思を持っているかのように宙を飛び交い、本体の体に戻って吸い込まれていく。
本体は同じく水色のスライムだが、辛うじてかつての少女の輪郭を保っている。
風船のように膨らんだドレスから生えた四肢は、曖昧な長い二本指を有している。
その顔と思わしき部位には、目や鼻がぐちゃぐちゃな配列で浮かんでいた。
ネールはあらかた処理が終わると、スライムの方に向き直り、鞭を構え直す。
「……随分おイタがひどいですね、エリー。あなたはもっとおとなしい子かと思っていましたよ。」
エリーは前かがみになって「ぐぽぽ……。」と警戒音を立てる。そして背中から伸びる大きな尾を振り回し、スライムの群れを弾丸のように打ち出した。
だが、それらは全て電気鞭で弾かれた。組織としてのまとまりを喪失し、弾けた液体が床にびちゃびちゃと零れ落ちる。
「電気に弱いか。ちょうどいい。」
ネールはエリーの体を鞭で斜めに切り裂く。エリーは体の形が崩れたため、液状になって空中に逃げ出す。
ネールは彼女の質量が減っていることを見逃さない。
……あと数撃で、仕留めるっ!
だが、空中に投げ出された鞭の先端は、どこからか飛んできた火の玉に弾かれた。
ネールは新たな刺客の姿を視認し、仮面の裏に貼られたグラスでその生態識別番号を確認する。
「……コハルですか。二人共フリューゲルとは、偶然ですね。それとも、友達を助けに来たのですか?」
ネールは自分で言ったことに苦笑した。
「……化け物にそんな冗談言っても、通じないよな。」
全く、全てが笑える。やけくそだった。
監視員からも委員会からも政府からも、一切の指示が途絶えてしまった――つまり、「ケースブラック」級の事案。
もう何もかも終わりだ……ドールも、人間の社会も。
だが、これはこれで悪くないかもしれない。クソガキ共の馴れ合いに付き合うのももう終わりだ。好きなだけ壊し、殺し、終わらせることができる――
ネールは暗殺兵だった少年時代を思い出し、この上ない生の喜びを感じていた。
「さあ、いらっしゃい!二人仲良く葬ってあげましょう!」




