11-5 終わらせるために
SIRIES管理委員会、本部。
両手を上げた最高顧問は、反乱軍の指導者たちに銃を突き付けられながらエレベーターのロックを解除する。
委員会とごく一部の研究者しか立ち入りが許されていない、秘密のエレベーター——SIRIESの最深部、「コア」と呼ばれるシステムの中核に続いている。
老齢の最高顧問は歯ぎしりしながら、後ろに立つ人物を睨みつける。
「一体何をするつもりだ……ブォエン!」
「いいから黙って乗れ。」
ブォエンは冷酷な声で命令する。
それにしてもこれまでは、実に長い道のりだった。
ドールたちへの薬の投与量が多すぎるということは、一年も前から生体管理課が警告していた。だがブォエンは、上の注文に敢えて彼らを服従させ、ドールたちの精神の不安定化を促進した。
仲間の薔薇の子達もその立場を利用し、ドールの管理体制やサイバーセキュリティに、ありとあらゆるひずみを生じさせ、工作を重ねてきた。
調査委員会にかこつけてガブリイルを排除し、スイレンの異常を敢えて放置した。
予想外だったのはコハルの変化だったが、幸いその事実はブォエンの手で握りつぶすことができた。
また、後付けの作戦ではあったが、「本」を使った通信法でドール達を扇動することで、下劣な視聴者どもに吠え面をかかせることにも成功した!
ジオフロンティアではこの後も戦闘が続き、多くの死傷者が出るだろう。
フェーゲライン愛嬢希望学園では、P達が暴走した生徒たちを処分し始めるだろう。
だが、それでいいのだ。
地上と地下、あらゆる場所で起きている混乱に乗じて、薔薇の子だけが目的を果たす。
すべては計画通り。何も問題はない。
もうすぐ我々の望みが果たされる——これまで受けた、すべての恥辱への報いが。
**************************************
ブォエンはスラムの風俗街で、ドールの母親から生まれた。
彼が幼いころ、母はよく病床でこう言っていた——『たくさん勉強して、賢くて偉い人になってね』、と。
彼女はいつも、自身の貧乏で地位が低い、惨めな生活を疎ましく思っていた。だからその分なんとしてでも、息子には他人の上に立つ権威を得させたいと願っていた。
『あなたはとっても賢い子よ。そうに決まってるわ。だから絶対出世する。私にはわかるの。だからお願い、頑張って。母さんをがっかりさせないで——』
以降、ブォエンの人生は、母の願いと言う呪縛から逃れられなくなった。
彼は母の死後、SIRIESの徴用を受け入れた。
頭脳労働、それも他者を管理する立場にならなくてはならない。訓練所で寝る間も惜しんで勉学に励み、監視員の職を得た。
そこで目にしたのは、若き日の母のようなドール達。
だが、彼女とは徹底的に違う。彼女たちはひがむことも、人間に頭を下げることもない。ただ無邪気に学び、遊び、交友し、未来を語り合う。
人類の希望。崇敬の対象。天上の女神たち——
そんなドール達を、監視し、管理し、操作する。それはブォエンにとって、母の復讐の代わりには成り得なかった。結局、これもすべて地上の人間たちのためにやっている事なのだから。
……それでも彼女たちに対する嫉妬と憎悪は、生涯消えることは無かった。
待っていろ、今にもっと偉くなってやる。お前たちだけじゃなくて、他の頭の悪いデブリ共も支配してやる。そしてやがては、あの金持ちたちにも頭を下げさせてやる…………!
そんな時だった。ブォエンが当時の副センター長に、初めて呼び出されたのは。
最初は、自分が何をさせられているのかよくわからなかった。
よく知りもしない男の体温。耳元でささやきかけるいやらしい声と、ひどいニコチンの匂い。脂ぎった醜い肌が触れる感触。そしてあの痛み——嫌悪。嫌悪嫌悪嫌悪…………!!!
だが、悲鳴を上げる訳にはいかなかった。えらいひとには逆らってはいけない——それが母の言いつけだったからだ。
その頃もまだ、夢の中に死んだ母親がよく出てきた。ブォエンが彼女に慰めを求め、恐いよ、嫌だよと言っても、彼女はあの脅迫的な表情で『頑張ってね』と言い募るばかりだった。
それから、しばらく感情が死んだように働き続けていたブォエンは、ようやく気付いた。
ああ、私は…………けっきょく母さんと、同じ目に合っているのか、と。
ブォエンは母の言いつけに忠実に従い、その男の寵愛を利用してのし上がった。
夢の中の彼女は笑っていた……だが、ブォエンは彼女を怨嗟のこもった視線で睨みつけ、消えろと念じ続けていた。
出世すれば、幸せになれる——ブォエンは母に言われたことを、ずっと信じ続けてきた。
だが現実には、絶望を知っただけで、幸福になどなれなかった。
そして今さら気づく——それは結局、母自身の幸福でしかなかったのだと。
早く母の願いを叶えて、自分の中の彼女の怨霊から解放されようとしていたのに……結局ブォエンはずっと、彼女の操り人形でしかなかったのだ。
その結果、母と同じように、人間たちに尊厳を売り払う道をたどった——何たる皮肉だろうか。
どれだけ吐いても、喉の奥にあの男の精液がこびりつく感触が消えない。顔を上げて、鏡を見る——母に似た自分の顔が、この世で最も汚らわしいものに見え始めた。
いいや、自分だけではない。あのドール達も……自分の母親も。
ドールさえ、いなければ……自分などが生まれてくることも、無かったのに。人が美しい姿かたちなど求めなければ、こんな醜い社会もなかったのに。
画面の向こうでドールたちが笑う。
人間たちを喜ばせる、笑顔のパッケージ——友情・恋・懸命・自己成長・女体・性愛・可憐・可愛さ・感動・夢・個性・未来・金・社会・人間…………ああ、「人間」っ!人間の欲望っ!人間らしさっ——!
この世のあらゆる美しさも地位も愛も何もかも、全て人の欲望で価値づけられた虚飾に過ぎないのだ!
そうだ。ドールだけではない。そもそも人間の社会が無ければ…………!
人類はドールにそれらを託し、ドールによって幸福を生み出し続ける。そして彼女たちが生む子ども達にも、また同じものを求めるだろう……今度はもっと、上品な形で、かもしれないが。
穢れは全て、ブォエンのようなごく一部の者に押し付ければよい。
あるいはより進歩した未来では、少年愛も過去のものとして忘れ去られているのだろうか?
どちらでも同じことだ。そうやってずっと、人間は己の欲望を美化し続けるのだろう。
もういい…………もうたくさんだ。
いつしか、母親の夢は一切見なくなっていた。
人間も、ドールも、デブリも、何もかも——文明などと言う欲望の戯れは、いい加減終わらせるべきだ。




