9-4 人形劇
「――ではカミラさん、他の人のために、解法を黒板に書いてください。」
「はい。」
カミラが立ち上がり、教壇に歩み寄る。キャサリンの件から一週間近く経って、ようやく授業に復帰したばかりだった。
思ったよりも落ち込んでいる様子はなかったが、むしろ何か考えこんでいる事が多い。
一方のコハルは……カミラ以上に様子がおかしかった。ずっとコンソールに視線を向けているが、全く授業に集中できていない。
近くの席からエリーが心配そうに視線を送っている事にも気づかない。
真実を知った今のコハルは、彼女だけにしかわからない恐怖と戦い続ける羽目になっていた。
見られていたのだ――何もかも。
自分たちの生活の人生のあらゆる一瞬一秒が。一挙手一投足が言葉が気持ちが関係が体も心もどれだけ恥ずかしいことも隠したいことも何もかも。
どんなことを考えているかもわからない誰かもわからない男たちに訳の分からない理由で全身360度一瞬一秒24時間365日くまなくすみからすみまで何もかも。
何かを探し当てるかのようにあら捜しをするかのように訳の分からない基準で評価され採点され審判される――侵犯される。
気持ち悪い…………気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…………!
コハルは不定期に思い出してはこみあげてくる吐き気を押さえつけながら、周囲にそっと視線を走らせる。
あの「本」の人物が言うには、今は「配信」はほぼ停止状態にある一方、スイレンの身近にいたコハルは、ときどき特別に様子を見られている可能性があるらしい。
どこかで見られてはいないか。様子がおかしいことがバレたら、怪しまれるかもしれない。「気づいている」ことに気づかれてはいけないのだ。普段通りに振る舞わなくては……!
もし何か一つを致命的に間違えれば、欠陥品として廃棄されるのだ。地下に放り込まれて永遠に友達にも会えなくなりすべての夢は壊れる。
酷い時は生まれつきの設計ミスだが何かのせいで自分が自分で無くなって誰かを殺傷し、そのせいで失敗作扱いされて最初から「存在しなかった」ことにされる。
まるで絶対に留まることが許されないレースみたいに。
…………そう、今まで頑張ってきたことも乗り越えてきたことも楽しかったこともつらかったことも仲良くなれてうれしかったことも全部、そのレースの得点でしかないのだ。
そのために何もかも用意されおぜん立てされていたにすぎない。遺伝子も環境も行動も脳みそも。どこかの誰かが望む通りに笑い泣き怒り愛し恋に落ちるように、あの「教育」もあの「文化」もあの「自分らしさ」も――今までコハルの人生を作ってきた何もかもが、全てが設計された作り物でしかないのだ!
そう考えていくと、今の自分を構成している要素において、自分で選びとったものなどひとかけらも残っていないことに気づく。
コハルはそのことに気づいた時、周りの世界がすうっ、と奈落に落ちて行くような感覚を覚えた。
私に自由なんて、最初からなかったんだ……。
いや、私だけじゃなくて友達もみんなそうだ。
私たちにとって大事なものは何もかも、ただのみんなを喜ばせるための材料でしかなかったんだ。
そう考え続けている内に、何もかもが色あせて見えてきた。
あの子も、あの子も、あの子も…………ここにいる全てが、作り物。
あるいはそうなるように仕組まれた、ただの機械――ただの、人形。
もはや何の意味も価値も、感じられなかった。
そんな最低最悪の絶望と混乱に陥りながらも、コハルはその感情を吐きだすことは許されない――見られては、いけない。
だがやはり、あらゆる場所にカメラとマイクが隠されているとわかっていて、気にしていないふりもできない。
ここ数日、コハルは監視の目を気にするあまり、睡眠不足になっていた。
眠っている間もいつ誰に見られているかわからない。暗闇から誰かの視線が常に自分を追いかけている気がする。
そして眠れない夜を何とか超えて朝起きると,更なる地獄が始まる。
睡眠不足で投薬量を増やされた。飲みすぎたら、自分もソフィと同じ運命をたどるかもしれない。だから、飲むふりをして鞄の中に隠していた……どこに捨てればいいかわからない。
そして着替えるために、服を脱がなければいけない。それもまた一瞬一瞬、誰かの晒し者になっているかもしれないのだ。
トイレに行っても同じ。狭い空間が架空の誰かの目玉に覆われてますます息苦しくなる。壁や天井を見回しても当然見つかるはずはない。でももしかすると便器の中の下の方から見られているのかもしれない。
でも仕方なかった。今まで通りを装って普通に生活するしかなかった。
薬を飲まなくなってから、とても体が重くなってきた。やはりドールにはアレが不可欠らしい。
今朝、いっそこの方が気が楽になるかな、と思い、薬を喉に押し込んだ――
そうすると、確かに心拍数が落ち着いて、また以前にように体が軽くなってきた。
心では絶望しているのに、体だけが勝手にうきうきしている。そのうち訳もなく楽しくなってきた。
……だがしばらくすると、その矛盾した感情に挟まれたせいで、むしろ気持ち悪くなってきた。
けっきょく一時間もしない内に、トイレで朝食のスープと一緒に全て吐いてしまった。
コハルは便器の水に浮かぶ、ピンク色の吐瀉物を見て、
――ああ、私の髪と同じ色だな、と思った。




