9-2 「ソフィ」
「……………………え?」
スイレンは、思っていたのと全く違うことを言われた困惑で、悲しみさえも吹き飛んだ。
監視員たちはこの時点で、配信の一つを停止した――ちょうど二人にフォーカスを当てていたところで、もはや自然なごまかしなど不可能だった。
本来の流れであれば、傷心のコハルをスイレンが慰め、自分の部屋に誘う流れだった。二人とも今朝はホルモン調整薬を大量に摂取していたし、スイレンには念入りにインストラクションをしておいた。
それなのによりにもよって、ここに来て再びの放送事故――
「ソフィ」――その名前は、最大の禁忌。
「何、言ってるの……そんなこと、私言ってな——」
「言ったんですよ!って言うか、前から何度か私のこと、違う人と間違えてたじゃないですか!」
ここ二か月の間、スイレンは何度か、違和感のある勘違いを繰り返していた。コハルの髪型を間違える、誕生日を間違える、年齢を間違える——
「教えてください……『ソフィ』って、誰なんですか…………!私とその人、似てるんですか…………?」
「…………知らないわよ、そんな、『ソフィ』、い――」
そこまで言って、スイレンは思考が停止した。まるでそれ以上、その名前のことを考えてはいけないと、命じられているかのような――
だが、コハルはスイレンの異変には気づかずに、やるせない感情を吐きだし切った――言ってしまった。
「先輩にとって、私は…………その人の、代わりなんですか!?」
「ち、が…………あ、あぁ……?」
スイレンは激しい頭痛を覚え、右手で頭を押さえる。
代わり…………代わり、に?
『ソフィ』、の代わりに、『コハル』、を…………違う。コハルはずっと『コハル』だ。私の大事な、大事な…………ずっと、同じ…………ちが、う……?
視界がぐらぐらと歪む。頭の中で、二つの少女の姿がオーバーラップする。
桃色の髪で……明るくて、不器用で、一生懸命で…………スイレンのことが大好きな、あの、ドールは――
『――どうしてもっと、私のことを見てくれないんですか…………?』
『嫌嫌嫌嫌嫌嫌っ!!!!私の傍から離れないで!ずっとぎゅうってしててください!勉強とか部活とか友達とか将来とか!そんなの全部っ、どうでもいいですよ!24時間365日、ずっと私と一緒にいてくれないと!』
『我慢できないんですっ!死んじゃいそうなんですっ!そう言う風にっ、私は作られたから…………!』
『見捨てないでくださいお姉さま……!このままだと私、ほんとに死んじゃいます!死にますよっ、良いんですかっ…………!?お願いですソフィを見殺しにしないでくださいお願いだからほんとにお姉さましかいないんです大好きなんです大好きなあなたしかっ、あなたにしか救われない大好きな人と結ばれて幸せにっ、そうじゃないとじゃないとじゃないとじゃない、とっ――わ゛た゛し゛、はっ!』
スイレンの頭の中に、その声でいくつもの呪詛が響き渡る。
「あぁ、あぁぁぁ…………!違うっ、違う、ソフィ、私、は………!」
「…………せん、ぱい……?え、ちょっと、大丈夫ですか…………!?」
コハルは床に倒れ伏したスイレンに駆け寄り、手を差し出す――スイレンはその両腕を、それぞれしっかりとつかんだ。
「だ、いじょうぶ、よ…………そう、大丈夫、だから……私が、一緒にいてあげるから…………。」
「え…………?」
「だからお願い、嫌いにならないでっ!また置いて行かないでっ、お願いだから……!」
スイレンは突然体を起こして、コハルに迫ってきた――まるで、頭の中の彼女に憑依されたかのように、
「っ!?ちょっと、先輩……離してください!痛っ――」
「私もっ!私もあなたがいないとだめなの……あなたを守ってあげられないと、私は、私のままでいられない、駄目になっちゃうのっ、そんなスイレンじゃっ、駄目なの…………!!!」
「っ~~~~~~!!?」
周りのドールたちが驚いて踊るのをやめていた。
傍から見ればただの痴話喧嘩のようにも見える――監視員達は今のうちにと、彼女たちの周辺が映らないように調整を始めた。
だがコハルたちを見ていた視聴者は、ネット上で何があったか言いふらすだろう。
直ちに情報統制の要請がなされた。
P達は既に動いていたが、踊っている無数のドールたちに阻まれて、なかなか現場に辿り着けない。
課長はブォエンにも緊急連絡をしようとするが、あいにく彼はガブリイルらと共に調査委員会に召喚されている最中で、連絡が取れない。
挙句、ガブリイルらに加え、先日弾劾委員会に呼び出された面々もこの場にいない――圧倒的、人員不足。
前回の放送事故から、わずか2日後。監視課は再び、大パニックに陥っていた。
スイレンはなおもうわ言のように叫び続ける。
続行中の配信ではAIが彼女の音声だけを消そうとするが、あまりにも声が大きかったため、不自然に音が途切れて視聴者たちを不審がらせる。
「ようやく……ようやくまた会えたんだから!私の!私の妹!私のパートナー!大丈夫だから……もう寂しくないからっ、ね!?もう一人じゃない!私お姉さんだもん!」
「やめてっ、ください…………!どうしちゃったんですか!先輩っ!?」
コハルは恐怖に顔を引きつらせて、スイレンの手を振りほどこうとする。
「お願いっ、逃げないで、嫌いにならないで…………!ソフィ、ソフィと私、お姉さま、パートナー、二人でひとつもっとずっといっぱい、じゃないと寂しくなっちゃうよねっ。寂しいの駄目、お姉さまには妹が必要……スイレンが、スイレンになるためにはっ、あなたが必要なの…………!!!」
「っ~~――知らないよっ!そんなことぉっ!」
コハルは涙交じりに怒号を上げ、スイレンを蹴飛ばした。
倒れた彼女を見向きもせずに、ホールの外へと駆けていく。
「待ってっ!お願い、ソフィ――――!」
泣きながら駆けていくコハルの姿が、他のカメラワークに次々と映り込む。
なんで……なんでこんな風になっちゃったの…………!?先輩も、キャサリンちゃんも…………!
P達がスイレンを取り押さえるのを見て、ドール達はパニックに陥る。
もはや収拾がつかなかった――すべての視聴者が、異変に気付いてしまっている。
もはや責任の所在を探すどころではない。
この日、調査委員会の懸念は確信へと変わった――我々はとっくに、ドールのコントロールの限界を超えてしまっていたのだ、と。
キャサリンもスイレンも、無理に薬物を投与しすぎたのだ……そして、それに近い摂取量の個体は、学園全体の4割に上る。
それが意味することは、ただ一つ――学園ドラマはもう、完全に破綻していると言うことだった。




