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8-4 君が幸せになるために

 読書会も、そろそろ通算10回目だ。

 オットーは睡眠時間まで削って様々な幸福論について読み漁り、デイビッドとの議論も繰り返してきた。だが、結局のところ「幸福とは何か」と言う「正解」ですら、手に入りそうにない、と言うことがわかってきた。


 デイビッドが言うように、幸福にも様々な種類がある。であれば、今のオットーが望む幸福とは、なんなのか。あるいは、望んでいなくても「そうなった方が良い」ような幸福があるのだろうか。


 あるいは、オットー以外のデブリの幸福は?ドールの幸福は?


 どれもオットーにはわからない。あるいは、その全てを包み込み、誰もが望むことができるような「幸福」があるのだろうか――



「――色々読んでみるとさ、少なくとも、大切な誰かの幸福のために生きることとか、誰かと幸福を共有する、みたいなことが最も『良い幸福』だって言う結論が多くて、俺も確かにその通りかな、って思うんだけど……でもさ、もしみんながそう言う生き方をしたとして、それは本当に、みんなにとって『いいこと』になるのかな、って言うか……。」


「……どういうこと?」


 ハンナがオットーに尋ねる。二人は最近よくこうして、会が始まる前に廊下で座って話す事が習慣だ。

 この二か月で、オットーは今までの誰よりもハンナと親しくなっていた。……彼女が人間でないということを、忘れそうになるほどに。……いや、むしろもう、そんなことはどうでもいいのかもしれない。


「だってさ、大切にできる他人なんて、ごく一部だろ?その人たちを幸せにしたからって、他の人まで幸せになれるとは限らないし……単に利害がぶつかるって言うだけじゃなくてさ……本当にみんなで、共通する目的、とか理想とかのために生きるなんて、無理なんじゃないかなって……。」


「……なんとなく、わかる。私も、友達以外のドールの幸せなんて、そもそも考えたことないし……。」


 ハンナは相変わらず、あまり目を合わせずに前を向いたまま話す。だが、それは以前のように顔を隠すためではない。

 目を合わさずとも、オットーはただ隣にいて、言葉を交わしてくれる――いつしか、そのコミュニケーションが心地よくなっていたのだ。


「でも、デイビッドは『僕は人類に共通の善があるのだと信じてる』って……それが本当にあるなら、目指した方が良い、って思うけど……。」


「…………計画に、参加したいの?」


 ハンナはおずおずと尋ねる。オットーは否定的なニュアンスで言われた、と思い、弁明した。


「ううん。いや、って言うか…………だから、迷ってるんだよな……もっと狭い範囲での個人的な幸せは、『人類の幸福』とか関係ないような気もしてるし……。それに、ほら、その『人類の』幸福の中にドール達がどうやって入るのかも、わかんないだろ?」


「うん…………そう言えばさ、オットーにとっての、『個人的な幸せ』ってどういうの?」


「え…………?俺の、幸せ、は……………………ああ、そっか。」


 オットーは考えてみて、ようやく気付いた。


「今、こうやってハンナと話すこと、かな……。」


「え?」


 ハンナは思わず顔を上げて、オットーと顔を合わせる……そしてまた、目を逸らす。オットーは少し照れ臭かったが、いまさら言うのを躊躇うこともない。


「……こうやって、誰かと思ってることを言い合って、共有できて…………それで、どうやったらこの人は幸せになれるのかな、って考えられるのが……別に、楽しいとは限らないけど、でも、大切なことだって、思う……君の幸せが、俺の幸せだよ。」


「っ~~~…………あ、ありがとう…………あ、あのね。」


「?」


 ハンナは顔を赤くしながら言う。


「わ、私も……お、オットーと一緒にいる時間が、幸せだよ…………学園にいた時は……みんなと一緒に人間の社会に出たかったし……け、結婚して、子供も産みたかったし……。今はもう、諦めてるけど…………でも、やっぱり私も、少しで良いから人間と同じような幸せが欲しいな、って……」


 結婚と、子供か――オットーが今までの人生で、一度も見たことがない種類の幸福。

 子供……まさに、人類に未来をもたらすもの。彼らはデイビッドが言うような希望を運ぶのか。それとも、ドールの遺伝子と共に呪いも受け継いで行くのか……。


「…………じゃあ、もし反乱が成功して、地上に出られたら…………君の旦那さんになってくれそうな人を、探そうか?」


「ち、違う。そう言うことじゃなくて……つまり、私は幸せになんか慣れないって思ってたから……こうやって誰かとつながっていられるのが、すごくうれしい、って、それだけで…………それに、旦那さんなんていらないし……オ、オットーと、一緒が良い、よ……。」


 オットーは子供を作ることはできない。だが、そんなことは彼女にとって関係ないのだろう――オットーも分かっていた。


 二人は、どちらともなしに肩を寄せ合い、頭で触れ合う。


「…………ねえ、私たち、この先どうすればいいと思う……?」


「さあ……わかんないよ…………でもそう言えば、前にデイビッドが言ってたんだ。」


『思うに、どんなによくできた思弁や緻密な倫理の体系も、決して完璧ではない。』


『むしろ、それだけではなくて……例え完璧なんてなくても、目の前の現実にに向き合うことが大事なんじゃないかと思う。そうやって誠実に問い続けた者だけに、真実は与えられるのではないだろうか。』


『例えそれが、言語的に理解しがたい形だったとしても、ね。旧世界でそうした経験をした思想家や宗教家の例にはいとまがないよ。』


 現実に、向かい続けた者だけが――


 この人と一緒になら、自分もこの現実に立ち向かっていけるだろうか……。


 二人はそう思いながら、そっと手を握り合った。



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