6-7 「色落ち」
オットーにとって初めての読書会は、素晴らしかった。
今は失われてしまった人類の様々な文化、思想、知恵――特に文化について。
今の時代にも残ってはいるが、「まさかそんな起原が!?」と驚かされることも多かった。
会が終わった後、全員が半分ずつに分かれてエレベーターに乗る――カードが一枚しか使えないためだ。
オットーは後半組だった。デイビッドから借りたコンソールを、鞄の中に隠している。
すぐそばに、さっきまで目の前に座っていたハンナがいる。オットーはずっと、彼女の様子が気になっていた。
「あのさ……君の名前、ハンナ、だっけ?」
「……う、うん…………。」
ハンナは驚いたようにこちらを見て、またすぐに顔を伏せた。顔の傷をよほど見られたくないらしい。
「ハンナはさ、どうしてこの会に参加してるの?」
「…………楽しいから。昔の、人類の話……。」
「…………そ、そっか。そうだよね……俺も、聞いたことない話ばっかりで、すごいなって思ったよ。」
「うん…………。」
「……………………。」
「ていうか……。」
「?」
「面白いって言うのもそうだけど、現実逃避、なんだよね……。」
「………………。」
ハンナは少しだけ顔を上げながらも、目を合わせないまま話す。
「私って、こんなんだから……もう、ドールとしての価値も、何にもないから……今に期待できることは、何にもなくて……でも、本の中には、明るい世界が広がってるから……。」
「…………そっか。」
オットーはかける言葉が無かった。しかし、彼女がわざわざ心中を吐露したのも、会の最中にずっと、オットーがあからさまに彼女に関心を向けていることに気づいていたからだろう。
ライデンシャフトの悲劇の、生き証人……いらなくなって、捨てられたドール……俺たちが作った、ドールが、俺たちと同じデブリの成りになって、日陰でうつむいて、生きている……。
「あなたも……今の世界が、嫌いなんだね。」
「……まあ。」
「……ごめんね。その……私たちドールだけ、ずっといい思いして……私、『色落ち』になるまで、デブリの人たちのことなんて、全然知らなかった……。」
「そ、そんなの、謝る必要ないだろ……君は悪くないよ。ていうか……俺より君の方が、ずっとひどい目に遭ったんじゃないか……責められる奴なんて、いないだろ。」
「ありがとう…………。」
ハンナは苦笑する――段々と、こっちを向いてくれるようになった。
オットーは、自分たちデブリの、ドールへの羨望と嫌悪を振り返りながら自問する。
彼女が、いい気味だと思うか……?それとも、ドール様が自分と同じようになってくれて、嬉しいとか……?
否。
そんな感情は、全くなかった――自分でも意外なほど。
ただただ、信じられない感覚があっただけだ。ずっと天上にいた女神が、突然翼をもがれて目の前に落下してきたと言う事実に。
だが、数時間一緒にいるうちに、その感覚も消えた。やはり彼女のようなドールも、自分たちとあまり変わらないのだ――そんな気がしてきた。
この前、ドールが何を考えているのかわからない、と怯えた自分が馬鹿みたいに思えた。
だからと言って、軽々しい親しみも同情も、湧いては来なかったが――そんな資格は、オットーには無い。
エレベーターが下りてくる音がする。二人の周りには、他の色落ちたちが何人も一緒にいた。
「……君たちは、デイビッドさんとはどこで知り合ったの?」
「…………私たちの監督が、教えてくれた。」
そんな話をしている内に、エレベーターの扉が開き、エリックの仏頂面が出てきた。
「監督が、って……もしかして、デイビッドさんもそうだけど、立場がある人がけっこう何人も関わってる感じ?」
「……わからない。でも、少なくはないみたい。」
エレベーターに乗り込みながら、二人は話し続ける。エリックは特に解説を加えてこない。……まだ、秘密がありそうだった。
「…………ねえ、オットーはさ、この世界が……壊れちゃえばいい、とかって思う?」
目の前に立つエリックが、一瞬固まった気がした。……だが、何も言わない。
「え……?どうだろう、そこまで思ったことは無いかな…………。」
「だよね。私も…………もし壊そうとしても、たぶん何も変わらないし……。」
ハンナは諦めですらない、使い古されたような弱弱しい笑みを浮かべる。
他の色落ちたちは、床に視線を落としたまま沈黙している。
オットーは、「ああ」、と返事をするべきかどうか、迷った――迷った末、恐る恐る、気まずい沈黙を破る。
「……そう、かもね…………でも、もし……もし、変われるとしたら……デイビッドさんが言うみたいに、もっと良い未来があるとしたら……俺は、それを見てみたい気がする……。」
「……そう…………デイビッドさんは、すごいよね……昔の人類の哲学も、すごいし……でも、それはもう過去の人類のことなんだよね。本の中の思想も、社会も、今はもうないし…………私は、人間じゃないし。」
「……………………!」
やっぱり、気にするのか、それ……。
「もうドールでもないし……私たちのための社会とか、幸せの哲学なんて、過去にも今にも、どこにもないよ。」
エリックがとつぜん振り返り、ハンナを睨んだ。
ハンナは明らかに、新しい世界が開けたように思って期待を膨らませかかっていたオットーに、冷や水を浴びせていた。
決して否定するつもりではない。ただ、オットーに気にかけてもらえたから――つい、もっと理想よりも不幸の方を向いて欲しくなってしまったのだ。
オットーは……オットーはつばを飲み、思い切って言ってみる。
「…………じゃあ、さ……!新しく、探すのはどう?」
「…………え?」
エレベーターが止まり、ドアが開く。
色落ち達が、一斉に振り返った。
オットーは一瞬たじろぐ。
だが、エリックが外に出ようとしない――その間に、オットーはもう一度ハンナに向き合った。
今やオットーのずっと抱いて来た疑念が、確信に変わりかけていた。
彼女たち――ドール達にも、新しい何かが必要だ、と。
「君が、幸せになれる方法……!一緒に、探せないかな……!?」
「いっしょ、に…………?」
一瞬、ハンナの目に光が戻る。
『一緒に頑張ろう』――かつての友人たちの言葉が、思い起こされる。
もう二度と、聞けるはずはなかったのに。
「あ、いや別に……俺だけじゃなくて、その、読書会のみんなで、ってことだけど……あっ。」
格好つけていると思われたくないオットーの弁解は、エリックが突然歩き出したので最後まで言えなかった。
オットーとハンナのおどおどとした会話が続く――だが、さっきまでとは少し様子が違うようだ。
――それを背中で聞くエリックは、こっそり微笑を浮かべていた。




