9.例えそれが、貴方にとっては当たり前でも
◇9.例えそれが、貴方にとっては当たり前でも
デカい。以上だ。
圧倒的な質量の生き物と出会ったとき、それ以外の語彙は死ぬ。
爪……あれだけで何キロだ? 俺の腕なんかより余程太い。脚……建造物だろ、こんなの。
「グルルルル……」
そして、それらに確かな命の鼓動を感じる。生き物である。動いてる。
生きている圧倒的な質量の前に、言えることなどこれしかないのだ。
「でけぇ……!」
「うわー……わー!! すごい、すごーい! 本物の飛竜だ!!」
「ビステッカ隊長! "ヒスイ"並びに"コハク"、離陸準備整っております!」
「ん、ありがと。下がっていいわよ」
「はっ!」
そうでもなかった。流石です。
俺なんかとでは比べることすらおこがましい。
ドラゴンですよ、ツキシオ。目の前にドラゴン。
イノシシの時も思ったが画面の中と実物では存在感が桁違いだ。
そして、このある種の”恐れ”すら感じる生き物が管理下にあることもよく分かった。
”伏せ”してる。
大聖堂の裏庭で行儀よく並んで"伏せ"だ。リビングで飼い主とテレビを見てる大型犬だ。
しかしヘリポートみたいに開けた裏庭だとな、とは思ってたんだ。こんな用途があったのか。
「な、なぁビステッカ……か、噛みつかない、よな……?」
「噛みつかれたら、即死ね」
「噛みつかないかどうかの答えになってない!」
これに……乗る? マジか。マジかよ。
「リクト、この子たちは生まれた時から本国で育てられた子たちです。噛みついたりはしません……よほど美味しそうな見た目じゃない限りは」
「食べられるルートがある……?!」
はぁ……乗る以前に近づきたくもないのだが。
が、そんなことはどうも凡人の発想だったらしい。
あ、あれ……行っちゃったぞ……?
お、おいそれは大丈夫かツキシオ! ツキシオが一番美味しそうだぞ!
「あ、瞳の色が名前の由来なんだね? じゃあキミがヒスイだ。よろしくね、ヒスイ」
「グルルルル……」
差し出された彼女の手に飛竜が鼻の頭を擦り付ける。まるで甘えるように。
この瞬間だけ、圧倒的だった質量が消えた。美術館で絵画を見ているようだ。
「ほんと……ボアちゃんの時も思ったけど、とんでもなく肝の座ってる子よね、シオンちゃん」
「……ヒビリで面目ない」
「いいえ。貴女方にとっては未知の生物なのですから、危険予測、防衛本能としてはリクトが正解です。護衛としては……シオンさんの方が心配です」
「そうね……さて! シオンちゃん! ちょっと説明するから戻ってらっしゃい!」
「あ、はーい!」
なるほど、そういう視点もあるのか。俺としては純粋にすごいなぁ、と思うんだが。
ツキシオが手を振ると飛竜の目がスッと細くなる。
……懐いてないか?
「さて、そろそろ出発しましょ。騎手はアタシとタルトちゃんね。それで……ごめんなさいね、本当は女の子同士で組ませてあげたいのだけど、この子たち本来は一人用の小型飛竜なの」
「へ……小型?!」
「はい。竜種は一番大きい個体ですと城と大差ないものまでいます。もっとも、そういった個体は人類を完全に見下しているので人を乗せて飛ぶことなどありませんが。ホントに食べられちゃいます」
ま、マジか……おまえら小型だったのか……。
この大きさでか?
あ、アクビしてるな……なんかそう言われるとちょっと可愛く思えて……こないわ。牙えぐ。
「アタシとリクトちゃんだと流石に重量オーバーなのよね。だから組み合わせはアタシとシオンちゃん、タルトちゃんとリクトちゃんね。まぁ初めは少し怖いかもだけど……こっちの世界の人も飛竜に乗れる機会なんてそうないわ。空の旅、楽しんでちょうだい!」
「はーい!」
「お、落ち着け俺、きっと社員旅行のレクで乗った馬みたいなもん……いや無理がある」
いや、馬の高さでも結構怖かったんだが……?
◇
せっせと準備をしているタルトに隠れるように近づいてみる。
あ、こっち見た……反らした。俺に興味は無さそうである。なるほど……なにをしてくるのかわからない怖さはないな。知的で理性的だ。
あ、あれが鞍か……一人用だな、確かに。
「おまえは……コハクだった、よな? 頼むぞコハク。落とさないでくれよ……あと、俺は美味しくないぞ……」
「あの……リクト」
「ん?」
振り返ると神妙な面持ちのタルトがいた。なんだろうか……なんか元気ない?
「あの……それほど怖がっているのに、騎手が私で大丈夫ですか? 今ならまだ……その、もう一騎飛竜を用意してもらって別の騎手を付けることもできます。リクトくらいでしたら細身の男性騎手でも大丈夫です。重いのはビステッカ隊長の方ですから。だから……」
え?……はぁ?!
なに言ってんだコイツ、なに言ってくれちゃってんだコイツ?!
なぜだ……? 俺がビビってるのはわかってるんだよな? そうだよ、怖いんだよ! でも頑張るしかないんだよ、だってツキシオが! 無理やり頑張るには支えがいるの!
なんで支えが自ら辞退しようとしてんだ?!
「……いやだぞ? いやだ! 断固拒否だ! そんなどこの馬の骨ともわからんやつの後ろになんか乗れるか! 俺はタルトの後ろじゃなきゃ乗らないぞ! 絶対、断固拒否だ!」
「え、いや、あの……私が騎手の方が、その、不安なのでは……ないのかと……」
「なんでだよ?! いやだぞ! 俺はタルトの後ろじゃなきゃ乗らない! 絶対乗らないっ! 騎手がタルトじゃないなら騎乗拒否っ!」
驚いたように一瞬見開いた瞳。
なんだ、どういうことだ? 伝わってるのか、これ、伝わってるよな? その支えは外したら折れるやつだぞ? 折れるからな、俺が! 頼むよタルトもういっぱいいっぱいなんだよ! コレに乗らないとダメなんだよ、お願いします助けてください!
「本当に……へんなひと。でしたら……準備を始めましょうか。さぁ二人に置いていかれますよ!」
「お、おお……た、タルトが、前か? ほんとに?」
「ふふっ、もう……貴方がそう言ったんですよ?」
つ、伝わったの……か?
大丈夫だよな? なんかやたら機嫌良くなってるけど、これ大丈夫なやつだよな?
いや……大丈夫ではない。なんかわからんが今日のタルトは機嫌がコロコロ変わる。
出発だ。いますぐに。
無心だ。心を殺せ。
でかい?硬い?高い? それタルトがいないより怖いか?
「簡易的ではありますが、今回はタンデム仕様に変更してもらっています。ですからこのロープは掴まって大丈夫なロープです」
「わかった!」
「あと、これを腰に着けてください、命綱です。はい、そうです。それで大丈夫です。万が一振り落とされでもしたら、宙ぶらりんのまま目的地まで行くことになりますのでくれぐれも気を付けて」
「望むところだ!」
「……? 望むのですか?」
オーケー。オーケーだタルト。
"タルトが前"。この前提条件が変わらないなら全部のむ。
さぁ出発だ! もう出発しよう! 出発さえすればこっちのもんだ!
「それでは……出発します。ちゃんと捕まっていてくださいね」
「おう、やっとくれぃ!」
「では……コハク、”Preparing for takeoff”」
タルトの命令に従い、飛竜・コハクの両翼が大きく開かれる。さぁ出発だ。タルトが前は確定した。もう揺るがない。
…………まて。
なんだこれ……でけぇ。とんでもなくでけぇ! なんだ、この生き物は。
俺は今、何に乗ってるんだ? 視界の半分が翼で埋まってる。
でかい、とにかくでかい!
まて……今、出発するって言ったか?!
「た、タルト、やっぱ、ちょ、ま……」
「コハク! ”Take off”!」
瞬間、身体が重力から解き放たれた。それは一瞬のことだったが時間が凍りついたような浮遊感。
頭の中でけたたましく警鐘が鳴ってる。今、自分の隣には死がいる。冗談でも漠然としたものでもない、はっきり輪郭を帯びた死が隣に座ってやがる。
動くな。
死ぬぞ。
浮遊感は一瞬だけだった。そしてその一瞬の後に訪れる、身体を押し潰す強烈な重力の鎖。世界の理が大地へと縛り付けようとする、問答無用な圧力。
ソレを引き千切る、力強い生命の咆哮。
「グォオォォォォっ!」
「う、うわぁーーーーっ!!」
経験したことのない、空気の壁が顔面を叩きつける感覚。食い込む鎖でバラバラになりそうだ。身体中の関節が悲鳴をあげている。
怖いとか、もはやそういう次元ではなかった。
死ぬ。本当に死ぬ。死にたくない。俺は生きたい。なんとかして生きたい!
「え? やっ……ちょ……り、リクト! ロープに……私じゃなくてロープに掴まってください!」
「う、うわぁーーー! うわぁーー! むひょわーーー! ひょぉぉーーーー!」
タルトがなんか言ってるが、風でなんにもわからん。
叫べ。とにかく今は叫べ。気を失ったら死ぬ。叫んで意識を繋げ。
怖いなどという次元は遥かに超越している。気流で目も開けられない。力を抜いたら吹き飛ばされる。
だから叫べ! 生き残りたいのなら!
「うわぁぁあーー! わーーっ!!」
「リクト、ちょと……落ち着いて……操縦が……ああもう! 落ちますからしっかり捕まってください!」
「グォオォォォォっ!」
時間にして、十数秒。いままで生きてきた中で一番長い十数秒。
そしてその瞬間は……唐突に訪れた。
俺を大地に剝ぎ落そうとするかのように叩きつけてきた気流が、重力が。その瞬間、ピタリと……止んだ。
頬を撫でる、穏やかで柔らかな風。
「ふぅ……巡航高度に達しました。もう……大丈夫ですから、目を開けてください、リクト」
「……はぁ、はぁ……はぁ……もう、だいじょうぶ……?」
ああ……タルトの声だ。やっぱりタルトで良かった。怖かった、怖いなんてもんじゃなかった。
あ…………。
安堵と共に視界に、飛び込んできたもの。それを表す言葉を俺は知らなかった。
でも俺はきっと、それを一生忘れない。
「…………す、すげぇ。すげーーー! うぉぉーーー!」
眼下に広がる広大な新緑と雲。
俺たちの下を鳥が飛んでる。めいっぱい広がった飛竜の翼が風を切り裂き、前を遮るものなんか何もない。
似たような景色はどこかで見た。誰かが切り取って、フレームに収めて、共有した景色。
だけど……こんなにも。自分の目で見る、とはこんなにも違うものなのか。
言葉が……出ない。言葉などいらない。
「ふふ……すごい、ですよね。私も、何回乗っても感動します」
「ああ! すげえ……本当に……!」
「ふふっ……それはそうと、あの……リクト」
「ん?」
「あの……そろそろ離して、欲しいのですが……その、腕を……」
「え……腕?」
言われるがままに視線を空から腕へ。
タルト……だな。腕の中にすっぽりとタルトが収まってる。
…………え?
段々と行方不明だった体の輪郭が戻ってくる。
"離してください"と言わんばかりにタルトの尻尾が俺の足をポスン、ポスンと叩いていた。
サーっと血の気が引いていく音が聞こえる気がした。
「たいへん……申し訳、ございません」
「まぁ、あの様子でしたし、怒ってはいません。ただ私も流石に、この態勢はちょっと恥ずかしいというか……リクト?」
「どうしよう……動けない……」
「……え?」
腕を離そうと試みるも……腕の力を抜くことができない。完全に固まっている。腕の代わりに石でも付いてるのか?というほどミリも動かない。
どうしよう……どうするんだ、これ。
「ご、ごめん、もうちょっとだけ待って……」
「ふぅ。あの……そんなに、怖かったのですか?」
そんなに怖かったのか?
恥も外聞もなく年下の子にしがみつき、あまつさえ手を離すことも出来ない。
もはや取り繕う意味すら無い。
「うん……実は、現在進行形で、怖い」
ひとしきり景色に感動できている時はまだ良かった。
今となってはこの高さは恐怖以外の何者でもない。
景色がいいのと、高いの怖い、は住んでる場所が違う。
「こうしていれば、少しはマシなんですか?」
「え……?」
いつの間にか、タルトの尻尾はもう俺の足を叩いていなかった。
「離せるようになったら、ちゃんと離してくださいね、私だって、その……恥ずかしいんです」
結局。
俺がタルトではなく手綱に捕まれたのは、行程を半分も過ぎた頃だった。
さて……腹を切るか。
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