4.二人の『夜紡ぎレゾナンス』
◇4.二人の『夜紡ぎレゾナンス』
「ボアちゃんたち……もう大丈夫よね? そこ、邪魔よ。どきなさい!」
エルフの隊長が一喝すると、怯えたジャイアントボアが一目散に逃げ出した。
だがもう、彼はジャイアントボアを一瞥すらしない。
ゴクリ、と自分が生唾を飲み込む音がいやに大きく聞こえる。
ジャイアントボアがいなくなった戦場。
あれだけ大きな生物がいなくなったというのに、そこは前より狭く思えた。
中央に居座り、こちらをジッと見ている異形の存在。
なんかコイツ……見ているだけで気持ち悪くなってくる。生理的に受け付けない。無理やり泥の塊を飲まされてる気分だ。
逃げ出したいのに、何をしてくるかわからない恐怖で動くことができない。
「詠唱歌姫、聞いてください……アレが我らを脅かす種族、アヴァンツィです」
「あれが……あれは、生き物……なんですか?」
「わかりません。ただ、アレには物理攻撃も魔術攻撃も効きません。そして……周囲に負の感情を振り撒き、汚染します。さきほどのジャイアントボアのように」
ゆっくりと、少しずつ。
魔族が、こちらをジッと見据えながら少しずつ距離を詰めてくる。折りたたんだ手足を器用に使い、這うように。こいつが進むたびに、ドロドロとした吐き気が強くなる。視界が揺らぐ。
マドレーヌさんの言う”汚染”がコレなんだろうか。
俺は手に爪を食い込ませて必死に耐えた。それしかできなかったから。
「気を強く。本来生き物が閉じ込めている負の感情が増幅されます。アレはまだ下級のアヴァンツィなのでそれ以上のことはできません。今のうちに、貴方の歌を……えっ?!」
無表情だった魔族が突如その目を見開いた。
その瞬間、重力を何倍にもしたような重さが両肩に圧し掛かってきた。
強烈などす黒い怖気を伴うそれは、数秒のことだった。だがその怖気がそのまま身体を蝕んでいく。
キツイ、吐きそうだ。立っていられない。
「マドレーヌちゃん! まずいわ、コイツ、魔術を……!」
「まさか魔術を使える個体だなんて……はっ! いけません、兵士たちが!」
突然響く、打撃音と呻き声。
振り返ると兵士たちが……隊列を組んでここを守っていた兵士たちが、殴り合いを始めていた。
いや、違う。一部の兵士が一方的に隣にいた兵士を襲っている。真っ赤に血走る目を見開いて。
何が……起こっている?
こいつは、なにをしたんだ?!
「え、なに? なにが起きてるのっ?!」
「アヴァンツィの魔術です! 怪我の痛みを利用されました!」
「ちょっとアンタたち! しっかりしなさいっ!」
気が変になりそうだ。
怪我をした腕で、血まみれの身体で。隣にいた味方を殴りつける兵士。殴られた方の鎧がひしゃげている。あんな力で殴ったら、殴ってる方の身体が先にぶっ壊れる。
エルフの隊長が止めに入ってるけど、反撃なんかできるわけない。
だってさっきまで……味方だったんだ、その兵士たちは。
魔族は、なおも表情を変えずにのたりのたりと距離を詰めてくる。
足が、もう言うことを聞かない。ガタガタと震えるだけで、立っていることしかできない。
「マドレーヌちゃん! 破魔結晶は?!」
「魔術を使われてはもう通常の破魔結晶では無理です! 詠唱歌姫の詠唱歌でなければ……詠唱歌姫! 歌ってください!」
「え?! う、歌?! い、いまですか?!」
俺、マドレーヌさん、エルフの隊長、まだ無事な兵士。
ツキシオに、視線が一斉に集まる。
困惑しているツキシオ。
何を……言ってるんだ、こいつらは。
歌え? ツキシオは、戦場なんか知らない……十六歳の少女だぞ?
おかしいだろ。
どう考えたってそんな状況じゃない。
「う、うた? 歌をうたえば、いいの? う、うた……えっと……っ………! っ…………!」
それでも彼女は歌おうとした。
でも目をつむり懸命に歌おうとしても……パクパクと動く口元から吐き出されるのは空気だけだった。
足が震えてる。息がちゃんと吸えてない。
歌えるような状況じゃない。
無表情だった魔族の目が、スゥーと細く歪む。
笑って……いるのか。
「つっ……なん、で……っ……! っ…………!」
殴り合う音も、悲鳴も。どんどん大きくなる。
なおも懸命に歌おうとするツキシオ。
なぁ……逃げたって、いいじゃないか。
俺は、何度も逃げようとした。逃げられなかっただけだ。
怖い、よな。ツキシオだって。
それが普通だろ。
でも……逃げないんだよな。俺、知ってるじゃん。
彼女は一度だって舞台から逃げたことなんかない。自分で舞台を降りたりなんかしない。
どんな状況だって。いつだって。
ツキシオの瞳が、零れ落ちそうな涙で揺れている。
……なぁ。
俺。なにやってんだ、ここで。
ここに来て……なにした?
居るだけだ。ただ立ってただけだ。
俺もツキシオも、なにひとつ教えて貰えなかった。
なんでこの世界に呼ばれてきたのか。
なんで今、襲われているのか。
なんでこんな状況で、歌わされているのか。
ツキシオだって、なにひとつ知らない。
でも、逃げない。
月ケ瀬詩音は逃げることを選択しない。
だから……推したんだ。
あの日、あの雨の中で独り歌う彼女を見て、俺は人生を決めた。
そうだよな?
おい、オタク野郎。推しが……泣きそうだぞ。
俺は! ここで今、なにをやっている!
推しが必死に頑張ってる時に、なにもしないファンがいるのか!!
≪発動条件を達成しました。特殊スキル”おうえん”を発動可能です≫
突如、直接頭の中に機械的な音声が響いた。
それと同時に、なにか、膨大なものを無理やり身体にねじ込まれているような負荷が襲ってくる。
強制的に何かをインストールされていく感覚。
わけがわからなかったが……でもどうでも良かった。
推しが、頑張ってる。
なら、今は推しを推すこと以外はすべてがどうでもいい。
原理はわからないが、身体は自然に動いた。
両手に意識を集中すると光の中から応援のマストアイテム……二本のサイリウムが具現化される。
俺ができるのはこのサイリウムの色を自由に変えることだけらしい。そもそもサイリウムにそれ以外の機能なんか無い。
ツキシオのイメージカラーはライトブルー。
このデカいサイリウムなら昼間でも彼女に届けることができるはずだ。
曲は……あの曲がいい。ツキシオが初めてセンターを務めた曲。
ノクティスはライブでのファン交流を大事にしている。ファンとアイドルの一体感。ゆえに俺たちファンのためにも曲ごとに違った振り付けが存在する。
そして、その振り付けを、俺は寝ながら踊れるほど練習してきた!
推しが頑張ってる時に俺ができることはなんだ?
推しを、推すことだ!
「ツ、キ、シ、オ――――っ!!」
「な……ちょっとアナタ! なにやってるの、的になるわよ?!」
その戦場にいた、全員の視線が俺に注がれる。
ここにはステージもない。伴奏もない。スポットライトもない。
今あるのは二本のサイリウムとこの身体ひとつのみ。
曲は……彼女が初めてセンターパートを務めたアイドルユニット【Noctis Aura】3rdシングル、『夜紡ぎレゾナンス』。
頭の中を流れる伴奏に従い、静かにサイリウムを頭上へ。この曲は静かな前奏パートから一気に激しいサビへ流れ込む変調曲。その曲調に従い両腕を大きく広げ、前へ。
「え……? なに……?」
不思議と、恐怖はどこかへ消えていた。
というより、どうでも良かった。
推しを推してる時に、推すこと以外を考えるファンなんかいねぇ!
「あ……うそっ! この曲っ!」
ツキシオの足の震えが、ピタリと止まった。
ひとつ、大きく深呼吸。
そして目をつむり、俺の動きに合わせてビートを刻む。
……届いた!
ならば……全力だ!
軽やかにサイリウムを回し、身体を捻り、舞う。
今は……俺が彼女の歌のステージで、伴奏で、スポットライトだ。
できるかできないかじゃねぇ、やるんだ。
推しを支えることこそ、ファンの本懐!
曲調は静かな前奏から激しいサビパートへ。
再び瞳を開けた時……そこにはもう、怯えた少女はいなかった。
異世界の舞台に降り立った、アイドル。
彼女はノクティスのサブリーダー、月ケ瀬詩音。
そして、戦況は一変する。
『──響けよ、夜を裂いて 奏でた鼓動が導く方へ!!』
俺の頭の中のタイミングと寸分違わず、暗雲を裂くように"夜紡ぎレゾナンス"が戦場に響き渡った。
その声量たるや、流石の現役トップアイドル。
マイクもなしにビリビリとした振動が鼓膜を揺さぶる。
それは、汚染で苦しんでいた兵士たちを飲み込んだ。
みんなツキシオの歌に聞き惚れるかのように、一斉に動きを止める。
戦場を包み込む、淡い光。
それはさっきの結晶の光より何倍も綺麗で、何倍も優しい。
戦場に立ち込めていた暗雲を、吹き飛ばしていく。
さっきまでそこにいた魔族まで。文字通り、跡形もなく。
「なにが……起こったのです、か? なんですか、この詠唱歌の異常な出力は……」
「……魔族が……存在ごと、蒸発したわよ……?」
ツキシオがサビパートを歌い終わったあと、残ったのはマドレーヌさんとエルフの隊長のつぶやきだけだった。
魔族は……閃光にかき消されるように消えてしまった。
同士討ちの声ももう聞こえない。
ぞくぞくと救護隊と思われる人たちも駆けつけてきた。
多分……もう大丈夫だろう。
緊迫していた空気が徐々に、和やかなものに変わっていく。
良かった、どうやら乗り切ったみたいだ。
「終わった……んだよな。それにしてもコレ……どういう原理だ……?」
ガタガタと遅れて震えている足は無視して、手元のサイリウムを確認する。
それは、サラサラと光に溶けて消えてしまった。
魔法……みたいなもんなのだろうか。
手をグーパーしてみる。確かな質感の残滓が手に残っている。不思議な現象だ。それに身体中がダルい。全力疾走した後みたいだ。
「えっと……えいっ! ほっ!! うーん、出し方もわからんな……」
もう一度出そうとしてみても、俺の変な掛け声が響くだけだった。
周りの状況がわからんのに、自分がなにしたのかもわからん……。
「あはははっ! すごいね、振り付けカンペキっ! さっすが、”最後尾の踊り子さん”!」
「……へ?」
油断していた。大いに油断していたと言っていい。
さっきの不可思議な現象に囚われていた俺はまったく気づいていなかった。
ついさっきまで前線で歌い続けていた、最推しの接近に。
「え、あ……へ? ほぁ? え、最後尾の……ふおぉ?」
「”最後尾の踊り子さんっ!” そっか知るわけないか……この呼び方してるの私たちとスタッフだけだもんね。あのね、キミ、メンバー内で結構有名人なのよ? ライブの時いっつも最後尾でキレッキレのダンス踊ってる人!って」
「へ……えぇ?!」
これは後から知ったのだが。
曰く、ライブ中全曲ぶっ通しで完璧に振り付けを合わせてくるのに何故かいっつも最後尾にいる人、として俺はメンバー全員から認知されていたらしい。
目立ちたくなくていつも最後尾を陣取っていたはずなのに……逆に目立ってた、だとっ?!
「へへ……なんでかな? 今……まるでステージにいるみたいだった。ありがと……えっと、名前、教えて欲しいな。いつまでも”最後尾の踊り子さん”ってわけにもいかないし」
「え……NAMAE?」
眩暈がする。今、俺は何を聞かれたんだ?
NAMAE……ナマエ? 名前?!
それはとどのつまり、ありえないことではあるが俺の名前を聞かれているということでいいのだろうか。
ツキシオが? 俺の?
そんな……そんなの……。
「そんなのは……解釈違いです! 俺のことは"オタク野郎"とでも呼んでください!!」
「え……えぇー?」
許されないだろう、そんなことは。許されていいはずがない。
崇高なる推しには触れない、話しかけない、適切な距離を保ち己を主張しない。それが原則にして鉄則である。
推しの健やかな笑顔と活動を見守り応援すること、それだけが一ファンに許されることなのだ。
俺個人の名前をツキシオに呼んでもらうなど、いったいどれだけの握手券を用意すれば……。
「流石にそれはちょっと呼びづらいんだけど……まぁ名前は後で誰かに聞けばいっか。それじゃ、これからよろしくねっ!」
スッと目の前に差し出されるツキシオの細くしなやかな手。
……手、だな? なんぞこれ?
「……?」
「なんで不思議そうな顔してるの、普通に考えて握手でしょ、あ、く、しゅ!」
「AKUSHU~?!」
「そ、そんなに驚くこと……?」
「あの、すいません……握手券はさっきのでもう……」
「なんで私が握手券カツアゲしてるみたいになるの……もう、元の世界の人は私とキミだけなんだから、あまりかしこまられても困るでしょう? ほら!」
「あ……ふぁぁぁ?!」
強引に俺の手を取りブンブンと妙に力強い握手を繰り出すツキシオ。
あ、手ちっちゃ……体温尊い……あ、やばい……これ、死……あ……あ……。
静かに、そして唐突に訪れた死。
死因は推しの突発性ファンサ過剰摂取である。
まぁ厳密にはこれはファンサではないのだが、俺が死ぬことにはなにも変わりはない。
「ふふっ、じゃあ改めてよろしくねっ!ってあれ? ……もしもーし?」
「きゅう」
次に目を開けたときに見えたのは、なんか知らない天井だった。
誠に情けない限りであるが……これが俺とツキシオの最初の物語。
これから始まる冒険譚の、最初のお話。
次話 獣人娘 タルト




