27.かさぶた
◇かさぶた(Bistecca POV)
切り揃えられた石が敷き詰められた天井。木とカビと埃の混じった匂い。ジメジメとした湿度。
変わってない。あの時からも……二時間前からも。
「……いいかげん……暇だわ」
昼寝だか朝寝だかわからないものから起床して、たぶんもう二時間。筋トレくらいしかやることないのよ……!
でもまさか、またこの地下牢に入れられるとは。シンポジオには他に監獄だってあるでしょうに……嫌なやつ。まぁ少しの辛抱ね。
ただ……あまりに暇。あまりに暇すぎて看守に話しかけまくったら、逃げられてしまった。
耳鳴りのするような静けさが、もうずっと続いてる。
「はぁ……あと二日くらいかしら。誰か歌でも歌ってくれないかしらね……」
あまり……いい状態じゃない、と思う。
わかっている。この場所のせいね。
ここには、あまりいい思い出はないもの。
どうしても記憶にこびりついている。あの、口の中がカラカラに乾き、目の端が赤く染まり、自分の呼吸しか聞こえなかったあの日を。
「…………」
わけもわからず、なぜだ、どうしてこうなった、を延々と問い続けていた。この場所にも、アタシの中にも、答えなんかないのに。
「……深呼吸、よ」
あの時と同じ……耳鳴りのする静寂。
いいえ、違う。あの時はもっと騒がしかったはず。見張りだっていっぱいいたわ。慌ただしい靴音が響いてた。軍のお偉いさんだっていたはずだし、フロンだって……フロンは、居たかしら……?
——なぁ、お前……それ、ちゃんと聞こえてたか?
「……落ち着いて。大丈夫」
嫌な記憶が、勝手に固く閉じた蓋の隙間から這い上がってくる。濁り、混じってくる。
「思い……出さないよう、に……」
——なぜだ? それはお前にとって、忘れてもいいことだとでも言うつもりか?
『死ねぇ! ビステッカ!!』
『なぜだ……?! ロスティ!』
「っ!」
——自分から、逃げられるわけがないだろう? 目を、背けられるわけがないだろう? なぜ、ロスティが死ななければならなかったんだ?
「はぁ……はぁ……」
大丈夫。ここにいるのも、きっと数日程度。ここを出さえすれば、元通り。だから……大丈夫よ。
——よく、木剣で遊んだよな? 数術と剣術。得意分野が違ったからたまに喧嘩になった。その度にフロンが仲裁しにきた。ガレットが呆れてた。ロスティは、どこにいった?
「……大丈夫。まだ……大丈夫。アタシは、大丈夫」
——なぜ、死んだ?
その問いに答えがないことは、もう知ってるわ。
ここの床の固さも、カビくさい匂いも、あの無限の時間も、知ってるもの。
アタシは、無理やり意識を奥底に沈めた。こういう時……軍の訓練を受けていて良かった、と思うわね。
沈めて、沈めて……落とす。
それが、最善。
この問いに、答えなんかないんだから。
◇
「ビステッカさん! ビステッカさん! もしもーし!」
「ん……ふぁ……あ、シオンちゃん、ごきげん……よう?」
「ごきけんよう! 大丈夫ですか? 今、うなされてましたよ?」
「え……いや、え……? なんでこんな場所にいるの?!」
一瞬、ここがどこかわからなかった。
石壁、格子、冷たい床。
ここは……コンフィ邸の牢屋……で間違い無いわね。じゃあ、目の前にしゃがんでる、アタシをつんつんしてた子は……?
「あはは……来ちゃった」
「来ちゃったって……ええ? わざわざ面会に来てくれたの?」
「違いますよ?」
シオンちゃんはチョンチョン、と足元のブーツを指でつついた。
「……もしかして、潜入してきたの?」
「リクトが、コンフィには一切情報を与えたくないんですって。でもここ、ホントにビステッカさんが脱走するとか考えても無いんですね。看守すらいないなんて」
まぁ、看守はいたのだけど……論点はそこじゃないわね。
「えっと……どうしたの? 武具解放は?」
「実は……それどころじゃなくなりました。ビステッカさん、ここを出られますか? 私には開けられません」
「え……? ええ……?」
出られないことは……ない。
ここの造りはあの頃と同じ、木製格子の牢。アタシが本気を出せば破壊することは可能だわ。
でも、だからこそ……それが制約になってる。
「シオンちゃん、それどころじゃないって……どういうこと? ここは危険なのよ」
「はい、わかっています。私がいられるのも、コンフィが私兵を連れてフロランタンさんへ定期報告に行っている今だけです。ビステッカさん、世界樹が枯れ始めています」
「な……世界樹が?!」
「はい。そして、それにコンフィが関与してる可能性を否定できません」
なるほど……話しぶりからして、この話はフロンやガレットも噛んでるわね。
でも、世界樹が枯れる……?
いえ、そこは疑っても仕方がないわ。
「その話、どこまで調べはついているのかしら?」
「私が出発した時点では、ビステッカさんが捕まったのと同じタイミングで大規模な魔力の消費があったこと、その後も小規模ながら魔力の流出が続いていること、ここまでです」
「そう……」
まだ、コンフィと直接結びつける確証は無い、ってことね。
アタシとシオンちゃんを隔てる格子を力いっぱい握ると、潰された木の繊維がミシミシと悲鳴をあげる。
壊せる。この牢に、アタシを拘束する力はない。
でも、だからこそ……今は、これを壊すわけにはいかないわね。
「シオンちゃん。ここまで来てもらったのに申し訳ないのだけど、アタシはここを出るわけには行かないわ」
「でも、ビステッカさん」
「確かに、今の状況ならコンフィは怪しいわ。でもシオンちゃん……コンフィはまだ、アタシとの約束を違えていないの。防衛軍が民衆の前でアタシを捕縛した以上、アタシの方が約束を違えれば、コンフィは正式に軍隊を動かす大義名分を得るわ。フロンはきっとアタシを守ろうとする。それにかこつけてフロンとの婚姻を迫るくらいはやるのよ、あの男は」
あの時……アタシがここを破壊して勝手に出た時。
外の景色は、白と黒が反転したみたいに変わってた。今のコンフィの権力は、あの頃とは比べ物にならない。
それに、今のアタシはピアットの所属。
国際問題に発展する。
もう、アタシ一人が国を捨てて収まるような話じゃない。
「どうしても……ですか?」
「ええ。それに、本当にいつでも出られるのよ。もしなにか危険が迫ったとして……それからでもアタシは大丈夫。ありがと、心配してくれて。それより、フロンに伝えて。コンフィを探るなら、十分に注意して、って」
「わかり……ました」
「アナタもよ、シオンちゃん。リクトちゃんたちの元に戻るまでは絶対油断しないで。詠唱歌姫だろうと、勝手に侵入したことがコンフィに知られたら……なにをするかわからないわ」
「はい。ビステッカさん……行く前に、少しだけ昔話しても、いいですか?」
「……昔話?」
「はい」
さっきまでニコニコして話していた少女が音もなく立ち上がると、いつの間にかシオンちゃんから少女の面影は消えていた。
洗練された、見られることを前提にした立ち姿……アイドル。
そこにいたのはリクトちゃんが崇拝してるアイドルのシオンちゃん。
「私……芸歴自体は長いんです。子供の頃に演技の方で一度有名になっちゃって。アイドルとして再出発して、それから……色々、ありました。私、知ってるんですよ。ちょっと自分が我慢するだけで全部が上手くいく時ってある。自分が我慢しないとみんなに迷惑かける時もある。そっちのが多いかも」
シオンちゃんの口から身の上は……初めて聞いたわね。
実はリクトちゃんが酔うと語りだすから、子役の話は知っているのだけど。
「我慢すること……悪い事じゃ、ないんですよ。痛いほどに知ってます」
「え、ええ」
でも、この話は初めてね。
でも、なんで今その話を……?
「アタシ……我慢してるように、見えるかしら?」
「少なくとも、私にはわかりません。してないんですか?」
「してないわよ」
だってこれは……我慢じゃ、ないもの。
そんなに、綺麗なものじゃないわ。
「そうなんですね。なら……これは私のお節介かも。移っちゃったのかなぁ、あの人のお節介」
「あの人?」
「ふふっ……ビステッカさん。私は、ビステッカさんに偉そうに語れるほどの人生経験ありません。まだ十六年しか生きてませんし」
「それ、ちょっと見えないのよね。たまにリクトちゃんの方が年下に見えるもの」
「あはは、そうですね。でもビステッカさん。私へここに行くように頼んだのは……そのリクトです」
「……は?」
リクトちゃんが……?
あんなに大事にしてる、シオンちゃんを……?
「ビステッカさん、私は、いっぱい応援してもらって、支えられて今の私になりました。我慢することは悪い事じゃないですけど……誰かに頼るのも、悪い事じゃないんですよ?」
シオンちゃんは、アタシの返答を待つ気はないみたいだった。
「それじゃもう、行きますね」と言い残し、素早く腰を屈め、音もなく去っていく。
す、凄いわね……なんかもう動きが洗練されてきてるわ。シーフ方向に。
そして残されたのは、もうずっと居座っている静寂。
ただ、不思議と。
「リクトちゃんが、シオンちゃんを……ここへ?」
もう耳鳴りは、しなかった。
次話 リクトの選択




