勇者レオンの敗北と、降り注ぐ『愛』の雨
「……なんだ、この臭いは」
王都のメインストリート。パトロール中だった勇者レオンは、鼻を突く異臭に顔をしかめた。
ドブと、腐った肉と、薬品が混ざったような――いつかゴミ捨て場で嗅いだ、あの気味の悪い生き物と同じ臭い。
だが、あの時とは濃度が桁違いだ。
ズズン……ッ! ズズン……ッ!
地鳴りと共に、王都を囲む巨大な城壁が、紙クズのように内側へ向かって弾け飛んだ。
舞い上がる土煙の中から姿を現したのは、山のように巨大な赤黒い肉塊。無数の腕が蠢き、黄色い膿を垂れ流しながら、ズリズリと王都へ侵入してくる。
「キャアアアアアッ!?」
「魔、魔物だぁぁぁ!」
逃げ惑う民衆。その一人が転び、巨大な肉塊から零れ落ちたスライム状のヘドロを浴びてしまった。
「あああっ! 溶け、ヒィィィ……え?」
ヘドロを浴びた男は、痛みに顔を歪めるどころか、恍惚とした表情を浮かべて立ち上がった。その腕は奇妙にねじ曲がり、余分な関節が三つほど増えている。
「あぁ……治る……痛みが、消える……。魔王様の、愛が……」
男は完全に正気を失い、肉塊に向かって祈りを捧げ始めた。
「な、なんだあの禍々しいオーラは……! レオン様、危険です!」
「あれはただの魔物じゃない! 存在そのものが世界を汚染しています!」
女騎士とシスターが武器を構え、レオンを庇うように前に出る。
レオンは聖剣を引き抜き、純白のオーラを纏った。
「下がっていてくれ、二人とも。僕が浄化する! ――『極大聖閃』!!」
レオンの剣から放たれた、街一つを包み込むほどの神聖な光の奔流。
それが巨大な肉塊に直撃し――ジュウウウッ! とけたたましい音を立てて肉を焼き焦がした。
効いている。誰もがそう確信した。
『アァ……キモチ、イイ……』
肉塊の奥底から、脳を直接かき回すような、ねっとりとした声が響いた。
『もっと、痛くして……。そしたら、もっと気持ちよく治せるから……。レオン……お前も、俺の愛で、満たしてやる……』
「なっ……僕のフルパワーの聖魔法が、通じない……!?」
レオンの端正な顔が、初めて驚愕に歪む。
聖属性の魔法は『邪悪』を討つものだ。しかし、今のタカシに『悪意』は一切ない。あるのは、自分が魔女にされたことと同じことをしてあげたいという、純度100%の『善意と慈愛』なのだ。
悪意なき狂気に、正義の剣は通じない。
『ほら……おいで、俺の、ヒロインたち……』
「きゃあっ!?」
「いやあっ! 触らないでぇぇっ!」
肉塊から伸びた無数の触手が、悲鳴を上げる女騎士とシスターの手足を絡め取り、空高く吊り上げた。
かつて、少し触れようとしただけで汚物を見るような目を向けた女たち。
だが今、彼女たちは恐怖と絶望に染まった顔で、タカシの触手の中で無様に震えている。
『フヒッ……可愛いねぇ。今、魔女様がしてくれたみたいに……腕をもいで、内臓を溶かして、綺麗に治してあげるからねぇ……』
「やめろぉぉぉっ! 彼女たちを離せ!!」
レオンが絶叫し、聖剣を振りかざして飛びかかる。
『レオンも……順番待ち、しててね……』
ドゴォォォォンッ!!
タカシの巨大な腕の一振りが、ハエを叩き落とすようにレオンを地面に叩きつけた。
あの完璧だった聖鎧はひしゃげ、自慢のイケメンフェイスは血と泥に塗れ、無様に地面を這いつくばる。
『さぁ……世界中のみんなで……最高にキモチイイ、お遊戯会を始めよう……!』
王都の空が、絶望のドス黒い瘴気に覆われていく。
チート勇者も、高潔なヒロインも、この底なしの狂気の前ではただのオモチャに過ぎない。
王都陥落。それは、終わりのない『愛と解剖の無限地獄』の始まりを告げる鐘の音だった。




