Code:128 異変の真相①
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翌日、午前中の出来事。
朝の出撃ラッシュが引いた後のロビーは、嵐の去った浜辺のように静まり返っている。
受付カウンターでは、マリーが端末を叩きながら時折、欠伸を噛み殺していた。
そこへ、術式師の隊服とは明らかに異なる身なりの男がロビーに足を踏み入れた。
二十代半ばの青年。
着ているのは仕立ての良い旅装だが、肩口に付いた汚れがここまでの距離を物語っている。
「失礼します」
青年は律儀に一礼してから、まっすぐカウンターへ歩み寄った。
「私はイリオル村から参りました、ニコラスと申します」
田舎の出と名乗りながら、背筋の伸びた所作はむしろ都会の書記官を思わせる。
言葉遣いにも相応の教養が窺えた。
マリーは営業スマイルを浮かべながら、内心で疑問を浮かべた。
イリオル村——昨日、アルトとクーレリカが災魔の討伐に赴いた土地だ。
任務は完結したはず。今更何の用だろう。
ごく稀にだが、被害が出たことへの逆恨みでクレームを持ち込む者もいるため、マリーは少しばかり身構えた。
「イリオル村……ああ、昨日の」
「はい」
ニコラスは深く頷いた。表情の奥に、切迫した何かが透けている。
「昨日、災魔を倒してくださった術式師の方にお会いしたいのですが」
「ご用件は?」
「……村人たちの、非礼を詫びに参りました」
マリーの愛想笑いが止まった。
村人に怪我人が出たとは聞いていたが、何かトラブルがあったのだろうか——いや、それ自体は珍しくない。
しかし、苦情ではなく謝罪。このパターンは記憶にない。
「少々お待ちください」
マリーはDOCを取り出し、最初にクーレリカをコールした。
呼び出し音が一度、二度、三度——やがて画面に「応答なし」の文字が冷たく点滅する。
(「なんか、昨日からずっと落ち込んでるみたいだけど……大丈夫かな」)
小さく唇を噛み、続けてアルトへ繋いだ。
「アルト君、ちょっと受付まで来てもらえる? イリオル村の人が来てるんだけど」
イリオル村、という名前を聞いて、通信の向こうでアルトの声が一瞬止まる。
「……分かりました。すぐ行きます」
短い返答を最後に通信が切れた。
訓練場にいたアルトは、タオルで首筋の汗を拭い、足早に受付へ向かった。
ギルドの応接室は、高い天井から吊り下げたランプの灯りが柔らかく落ちていた。
銀のトレイの上で、紅茶が二つ、薄い湯気を立てている。
「アルト様、突然の訪問、失礼いたします。私はニコラスと申します」
向かい合って座る前に、ニコラスが深々と頭を下げた。
九十度——いや、それ以上か。
額が床に触れそうなほど深い。垂れた黒髪が顔を完全に覆い隠した。
「昨日は、村の者たちが大変失礼なことを……本当に申し訳ございませんでした」
肩が細かく震えている。
握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込んでいるのが見えた。
恥と悔恨を、そうやって身体に刻みつけているようだった。
アルトは軽く目を見開いた。
てっきり苦情を持ち込まれるものと身構えていたのだ。
昨日の村人たちのあの敵意を考えれば、そう予想するのは当然だろう。
だが、目の前の青年の様子は、あの時の村人たちとは少し、いや、だいぶ異なっていた。
「あなたは、あの場にいなかったようですが」
アルトはそれとなく、推理するように尋ねる。
ニコラスはゆっくりと顔を上げた。
口元に浮かんだ笑みは、苦い。
「帰ってきて事情を聞き、愕然としました。まさか命の恩人に、あんな仕打ちをするなんて」
表情に色濃く浮かぶ後悔は、少なくとも作り物には見えなかった。
転生前の記憶も含め、長年術式師として培った直感が「嘘はない」と告げている。
「座ってください。それで、今日はどんなご用件で? まさか、謝罪のためだけに遥々ここまで来たわけではないでしょう」
アルトは穏やかに促した。
済んだことを責めても始まらない。
紅茶に口をつけ、カップ越しに相手の挙動を観る。
ニコラスは深く息を吸った。
重荷を肩から下ろすように、ゆっくりと語り始める。
「実は——ギルドにご相談したいことがあって参りました」
言葉を選びながら、慎重に。
一つ間違えれば、取り返しのつかない事態を引き起こしかねない——そんな緊張感が漂っていた。
額に汗が浮かび、何度も口元を手で拭う。
「どういった内容ですか」
アルトはテーブルに肘をつき、指を組んだ。
「三年前から、村に奇妙なことが起きているんです」
——三年前。
アルトの背筋が自然と伸びた。
椅子に座り直し、指先が無意識にテーブルを叩く。
その年はアルスフリートが命を落とした年だ。
勿論、それだけなら偶然でしかない。
脳裏に仮面の集団がよぎったが、先入観は意識して振り払った。
「ちょうど三年前の秋でした」
ニコラスは鞄から古い手帳を取り出した。
皺のついた紙面に、びっしりと文字が詰まっている。
ある日付のところで指が止まった。
「アドラールという男が、村にやってきたのです。歳は三十代くらいで、物腰は柔らかく……いつも黒いローブを羽織っていて、一見すると学者のような風貌でした」
「ええ、それで」
先を促す声には、隠しきれない緊張が混じっていた。
アルトの指が、テーブルの下で拳を作る。
「彼はイリオル村に着くなり、村長のトルステンにこう言ったそうです」
手帳のページを繰り、当時の記録を確認する。
「『この村は太い地脈の上にある。数年以内に大規模な災魔襲撃で壊滅する恐れがある』——と」
地脈の流れと災魔の出現には一定の相関がある。
だが、それを年単位で予測する技術など存在しない。
莫大な予算を注ぎ込んでいるギルドの研究部門ですら「長期予測は不可能」と結論づけている。
その前提を踏まえれば、詭弁もいいところだ。
——そして、"地脈"というワード。
ヴァラムが推測した、仮面の集団の行動原理とも符合する。
一気に、キナ臭い雰囲気が充満してきた。
「彼は言ったそうです。『それを防ぎたければ、私を雇え』と」
声音や表情から察するに、少なくともニコラスにとっては不本意だったらしい。
「なるほど。それだけ聞けば、脅迫に聞こえますね」
アルトの声も低くなっていた。
弱い立場の者を脅して利を得る——最も唾棄すべき手口だ。
「私もそう思いました。村人たちも、同意見の者が多くいました」
ニコラスは苦々しく目を伏せた。
当時の村の会議を思い出しているのだろう。
老人たちの怒りの声、若者たちの不安な表情、そして最終的に下された決断を。
「最初は誰も信じませんでした。しかし——」
言葉を切って、窓の外に視線を逃がした。
声が、囁きに近くなる。
まるで、壁に耳があることを恐れるように。
「彼には、災魔の出現を予知する力があったんです」




