Code:124 セティリアとクーレリカ
* * *
暗い部屋の中、クーレリカは言うことを聞かない指先を動かし、DOCを操作していた。
『セティリア隊長、夜遅くにごめんなさい。明日の朝、少しお時間を頂けますか?』
返信は、思いのほか早かった。
『今日で良いよ。今から行くね』
セティリアからの即答に、クーレリカは小さく悲鳴を上げる。
慌てて立ち上がり、鏡の前に駆け寄った。
「あ、あわわ……!」
任務で乱れた髪に、泣きはらして腫れぼったくなった瞼、とても人前に出られる姿ではない。
急いで櫛を取り、絡まった髪を解こうとするが、震える手ではうまくいかない。
応急処置と言わんばかりに、ベレー帽を強引に被せる。
そうこうしているうちに、コツン、コツンと軽やかなノックの音が響いた。
「ひゃっ……!」
返事をする間もなく、鍵を掛けていなかったドアがそっと開いた。
「クーレリカ?」
ドアの隙間から、セティリアの優しい声が暗がりの中に響いた。
第七部隊隊長、セティリア・リュミエール。
同じ異能所持者として、クーレリカが心から信頼できる数少ない存在。
部隊に入ってからずっと面倒を見てくれた、尊敬するお姉ちゃんのような人。
「隊長……」
返事をした声は、今にも消え入りそうなほど小さい。
それでも、クーレリカは努めて平静を装おうとした。
敬愛するセティリアに、情けない姿を見せたくない。
ぎこちない笑顔を作り、今日の任務の成果を報告しようと口を開きかけた。
「あの、今日の任務なんですけど——」
しかし、言葉は最後まで紡がれなかった。
セティリアは部屋に入ると、何も言わずに近づいてきた。
そして、そっとクーレリカを抱きしめる。
温かい腕が、小さな身体を包み込む。
隊服越しに伝わる体温が、凍えた心にじわりと染みていく。
「えっ……?」
動揺するクーレリカの背中を、セティリアは優しく撫でた。
まるで、母親が幼子をあやすように。
「無理しなくても良いんだよ。少なくとも、わたしの前では」
その一言が、引き金だった。
温かい腕の中で、クーレリカの溜め込んでいた感情が決壊する。
必死に押し留めていた全てが、濁流のように溢れ出した。
「うわぁぁぁん!」
子供のように泣きじゃくるクーレリカを、セティリアは壊れ物を扱うようにして抱き留め、背中を撫で続けた。
起こった出来事を、彼女の辛さを、何も言わず、ただ受け止める。
やがて激しかった嗚咽が小さなしゃくり上げに変わり、静かな呼吸音だけが部屋に満ちた頃、クーレリカは蚊の鳴くような声で事の顛末を話し始めた。
「アルトさんに……見られちゃいました。私の、異能を」
顔を伏せたまま、一連の出来事を告げていく。
イリオル村での災魔との戦い、ベレー帽が外れて天角が露わになったこと、そして村人たちの反応——全てを。
言葉は途切れ途切れで、時折また涙が込み上げるのを我慢しながら。
「この異能のせいで、嫌われることが怖いんです。今は大丈夫でも、後で何かあった時に、私のせいだって言われることが怖い」
声が震え、再び涙が零れる。
セティリアの隊服の胸元が、涙でじわりと濡れていく。
「昔みたいに……また誰かが死んで、私のせいだって言われたら……そうなるくらいなら、最初から関わりたくない」
過去の記憶が、痛みとともに蘇る。
親戚の冷たい視線、ギルドアカデミーでの差別、そしてイザベルの死——全てが、まるで昨日の傷のように生々しく。
セティリアは優しくクーレリカの頭を撫でながら、穏やかな、しかし確かな口調で語り始める。
「クーレリカ、聞いて」
深く息を吸い、言葉を選ぶように慎重に。
「確かに、異能所持者への風当たりは強い。職業柄、何かあった時の理由にされることは避けられないと思う。異能所持者同士で傷の舐め合いをするしかないって、わたしも最初は思ってた」
いつものセティリアらしからぬ、悲観的な言葉の羅列。
だが、彼女はそれを打ち消すかのように、言葉を続ける。
「でもね、異能所持者じゃなくても、受け入れてくれる人はいる。最後まで、味方でいてくれる人はいる。わたしも、そういう人に出会えた」
窓の外に視線を向けるセティリアの瞳には、懐かしむような、そして、少し切ない色が浮かんでいた。
「実は、さっきアルト君と会ったの」
セティリアの言葉に、クーレリカが顔を上げる。
涙で潤んだ翡翠色の瞳が、無数の感情を綯い交ぜにして見開かれた。
「あなたのことを、とても心配していたみたい」
クーレリカは俯く。
先輩を名乗っておきながら、気を遣わせてしまった申し訳なさが、胸を締め付ける。
「きっと、変に思われてますよね……ほとんど喋らないで、逃げちゃったし」
「そんなことは、ないみたいだったけど?」
セティリアはそう言って微笑んだ。
機巧の眼帯に隠れた魔眼は見えないが、その表情には確かな優しさがあった。
それでも、クーレリカは小さく首を振る。
「でも、やっぱり怖いです。もし私が関わったせいで、アルトさんに何かあったら……」
セティリアはその言葉を継ぐように、問いを立てた。
「クーレリカ、一つ聞かせて」
空気が変わった。優しさは残しながらも、その奥に核心へ踏み込もうとする気配がある。
「あなたは、自分の異能が呪いだと本当に思っているの?」
沈黙が降りた。
クーレリカは答えられなかった。
答えたくとも、言葉が見つからない。
長年染み付いた思い込みと、心の奥底に息づく別の想いが、激しくせめぎ合っている。
「わたしは思わない。全く、ね」
セティリアははっきりと言った。断言するその声には、揺るぎない確信があった。
「異能は、ただの特徴。それ以上でも以下でもない。問題なのは、それを『呪い』だと決めつける人たちの方だよ」
「でも、実際に災魔を引き寄せる力が——」
差別する側の言葉をなぞるようなクーレリカの反論を、セティリアは静かに遮った。
「統計的には誤差の範囲。もし、異能所持者が数人いた程度で災魔の行動が大きく変化するなら、ギルドは異能所持者を交えた戦術プランを根本から変える必要があるでしょ? 戦闘のプロであるギルドがどこもそうしていないことが、何よりの証明なの」
論理的な指摘に、クーレリカは言葉を失った。
今まで信じ込んでいた『常識』が、実は根拠のない偏見だったのかもしれない——その気づきが、静かに胸の中で広がっていく。
「異能を持つ術式師がどれだけの人を救ってきたか、考えたことある?」
「それは……」
「あなたの異能は、術式の威力を飛躍的に高める。それは災魔と戦う上で、必要な力」
言葉に力が宿る。それは単なる慰めではなく、幾多の戦場で証明されてきた確かな事実だった。
「今日だって、あなたがいたから村人たちは助かった。それは事実でしょう?」
確かに、そうだった。
自分の術式がなければ、あれほど多くの災魔を倒すことはできなかった。
村人たちの命は、紛れもなく彼女が救ったのだ。
頭では分かっている。分かっているのに——
「でも……でもっ……怖いんです……」
不安に揺れるクーレリカの肩に、セティリアはそっと手を置いた。
「もし、あなたが思うその時が来ても、わたしは最後まで、あなたの味方でいてあげる」
そして、まるで秘密を打ち明けるように付け加える。
「わたしだけじゃない。あなたは知っているでしょう? アルトは見た目以上に強い。実力も、精神的にも」
確かに、アルトの戦いぶりは年齢にそぐわないものがある。
あの冷静さ、判断力、そして芯にある優しさ——全てが、ただの新人とは違っている。
それに、イリオル村で天角が露出した時から今に至るまで、少なくともクーレリカに見える範囲では、彼が異能を嫌悪する様子は無かった。
「本当に……受け入れてもらえるんでしょうか」
クーレリカの問いに、セティリアは答える。
「それは、あなた次第。でも、一つだけ言えることがある」
セティリアの手が、再びクーレリカの頭に触れた。
ベレー帽越しに、天角の感触が伝わってくる。
「自分を騙し続けることの方が、もっと苦しいの。わたしがそうだったから、分かる」
その言葉には、実体験の重みがあった。
同じ異能所持者として、同じ苦しみを味わった者として、セティリアは誰よりもクーレリカの痛みを理解していた。
「アルトと、もう一度ちゃんと話してみたら? きっと、彼なら——」
セティリアの提案に、クーレリカは小さく頷いた。
それを見届けると、彼女は静かに立ち上がる。
「今夜はゆっくり休んで。辛いことがあったら、また聞いてあげるから」
扉に手をかけて、振り返って手を振る。
「クーレリカ、あなたは一人じゃない。忘れないで」
扉が静かに閉まり、足音が遠ざかっていく。
不安は、まだ消えていない。




