Code:123 微睡みの中の記憶②
* * *
秋が深まる頃、三人の関係には少しずつ影が差し始めていた。
エレナがクーレリカから、徐々に距離を置くようになったのだ。
一緒にいる時間が減り、イザベルと二人きりでいることが増えていく。
言葉数は目に見えて少なくなり、視線を合わせることすら避けるようになった。
表面上は何も変わっていないように振る舞っている。
けれど、積み上がる違和感は日を追うごとに膨らんでいった。
ある日の放課後。クーレリカは廊下の角で、不意に足を止めた。
聞き慣れた声が、向こう側から漏れ聞こえてきたからだ。
「イザベル、あの子といると危ないよ。異能所持者は……呪われてるって言うじゃない」
エレナの声だった。不安そうな警告が、廊下の壁に反射して届いてくる。
「何言ってるの、エレナ。クーレリカは友達でしょ? そんな迷信、本気で信じてるの?」
イザベルの声には、明らかな怒りが込められていた。
普段の優しい彼女からは想像もつかない、厳しい口調だ。
「迷信じゃないよ! 実際に、異能所持者の周りでは災魔の被害が多いって統計もあるし……」
「統計なんて、解釈次第でどうにでもなるでしょ。それより、クーレリカがどんなに頑張ってるか、あなただって見てるはずよ」
「でも……」
「もういい。エレナがそんな風に考えてるなんて、がっかりした」
足音が近づいてくる。クーレリカは慌てて物陰に身を隠した。
イザベルが角を曲がって去っていく後ろ姿を見送りながら、クーレリカは壁に背を預けた。
胸が痛くて、息をするのも苦しかった。
それでも、イザベルが自分を庇ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
* * *
冬の野外演習。
雪がちらつく森の中で、生徒たちは実戦訓練に臨んでいた。
室内ではない自然環境下で、投影されたホログラムの災魔を相手にした演習。
教官たちの監督の下、安全に配慮された環境での訓練。
しかし、何かが狂った。
最初の異変は、森の奥から聞こえてきた地響きだった。
木々がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。
そして——想定を遥かに超える数の災魔が、津波のように押し寄せてきた。
「総員、防御陣形!」
鉄虫種や悪鬼種、機骸種といった小型個体だけならまだ対処できただろう。
だが、巨兵種や暴鬼種、這竜種といった大型個体が群れに混じっているとなれば、話はまるで違う。
教官の怒号が飛び交う中、実戦経験に乏しい生徒たちはたちまちパニックに陥った。
悲鳴と絶叫が交錯し、訓練場は一瞬にして戦場と化す。
術式が乱れ飛び、爆発音が森を震撼させる。
だが生徒たちの術式は焦りに苛まれ、魔導粒子の制御がままならない。
的を外すどころか、魔導回路をバーストさせて自ら戦闘不能に陥る者が続出していた。
その混乱の中で、クーレリカは前に出た。
深呼吸を一つ。全身の魔導回路に膨大な量の魔導粒子が滾る。
風と雷の術式が、次々と災魔を打ち倒していく。
まるで戦女神の降臨。同世代とは隔絶した圧倒的な実力が、そこにはあった。
一体、また一体。
彼女の術式は正確無比で、大型災魔の外殻すら貫通する威力を持っていた。
「すごい……」
誰かが呟いた。
恐怖に竦んでいた生徒たちも、その圧倒的な戦いぶりに見入っていた。
最後の一体を倒し、荒い息を整えながら振り返る。
その時——
視界に飛び込んできた光景に、全身の血が凍りついた。
制服を赤黒く染めて倒れる、イザベルの姿。
追い詰められた災魔が断末魔に放った鋭い棘の弾丸——その一撃が、彼女の小さな体を貫いていたのだ。
腹部から流れ出す血が、溶け残った雪を赤く染めている。
瞳孔は開ききり、唇の端から赤い泡が零れていた。
クーレリカは慌てて駆け寄った。
介抱する生徒たちに交じり、冷たくなりかけたイザベルの手を握る。
「クー……レリカ……」
彼女は最期に、名前を呼んでくれた。
そして——それを最後に、瞳から、光が消えた。
「イザベル! イザベル!!」
緊急用の医療キットでは、もう手の施しようがなかった。
イザベルの体から、みるみるうちに温もりが失われていく。
震える指で友の頬に触れた。まだ、温かい。
でも、もう二度と、声を発してはくれない。こちらを見てくれない。
もう二度と、自らの異能を「綺麗」と言ってくれない。「友達でしょ?」と笑ってはくれない。
雪が、静かに降り続けていた。
* * *
埋葬から三日後。
重い足取りで廊下を歩くクーレリカの前に、エレナが立ち塞がった。
目は赤く充血し、頬は窶れて別人のようだった。
悲しみと憎しみを、その顔に深く刻みながら、声を荒げる。
「お前のせいよ!」
第一声が、ナイフのようにクーレリカの心を抉り抜いた。
「お前の呪いが、イザベルを殺したの! ……あんたなんかと友達にならなければ、イザベルは死ななかった!」
一つ一つの言葉が、研がれた刃となって突き刺さる。
反論しようにも、声が出てこない。
声を上げる資格などないと、自分自身が理解しているから。
「ち、違う……私は……」
やっと絞り出した声は、か細く震えていた。
「違わない! みんな言ってる! 異能の呪いだって! あんたが戦ってる時、イザベルはあんたを見てたの……あんたを心配して、注意が逸れて……っ!」
エレナの声が途切れた。嗚咽が漏れ、肩が激しく震える。
「私が……もっと強く言っておけば……! こんな奴と関わるんじゃないって……!」
吐き捨てるようにそう言って、エレナはそのまま走り去った。
走り去る足音が、廊下に長く尾を引いて消えていく。
クーレリカはその場に立っているのがやっとだった。
足が地面に縫い止められたように、一歩も動けず、倒れることもできず、硬直する。
友達を失った。
大切な人を失った。
全て、自分のせいだ。
* * *
記憶の波が引いていく。
現実に引き戻されたクーレリカは、枕が涙で冷たく濡れていることに気づいた。
いつの間にか、声を殺して泣いていたらしい。
「また……また、私のせいで……」
暗闇の中、クーレリカは自分の角を掴んだ。
純白の天角は、光を受けずともかすかに発光している。
美しくも呪わしい、自分の証。
折ってしまいたい。この呪いの象徴を。
それで何かが変わるなら、どんなに楽だったことか。
だが、角を折った程度で呪いは消えない。
異能——医学的な名称は"先天性魔導回路形成異常"。
血液と同じく全身を駆け巡る魔導回路の異常こそが災魔を惹きつける原因なのだ。
角はその副産物に過ぎない。
ベレー帽を胸に抱きしめる。
これがなければ、普通の生活すら送れない。
隠し続けなければならない。偽り続けなければならない。
——そんな人生に、どんな意味がある。
窓の外で、雨が降り始めた。
ぽつり、ぽつりと。やがて激しさを増した雨粒が、窓ガラスを絶え間なく叩く。
まるで誰かが扉を叩いているように聞こえる。
でも、誰も来ない。
誰も——本当の自分を、受け入れてはくれない。
アルトは、今夜どう思っただろうか。
村人たちと同じように、自分を化け物だと思っただろうか。
「もう、嫌だよ……」
誰もいない部屋に、悲痛な呟きが落ちて、消えた。




