Code:122 微睡みの中の記憶①
* * *
暗闇の中で、クーレリカは自室のベッドに仰向けになっていた。
闇に沈む天井を見つめる瞳には、もはや焦点が合っていない。
頬を伝う涙。一筋、また一筋と、止めどなく溢れていく。
投げつけられた石の鈍い痛み。
轟く罵声の残響。
向けられた憎悪の眼差し。
全てが頭の中で幾重にも反響し、胸を締め付ける。
呼吸すら苦しいほどに、記憶が心を蝕んでいた。
窓の外で枝がざわめき、何かが囁くような音を立てている。
まるで過去の亡霊が、今もなお彼女を責め立てているかのように。
(「どうして私は……こんな風に生まれてきたんだろう」)
疲労に押し流されるように瞼を閉じると、記憶の扉がひとりでに開く。
あの日々が——残酷なほど鮮明に蘇ってくる。
* * *
それは、クーレリカが十三歳の頃の出来事。
当時はまだ、ギルドアカデミーに通っていた。
満開の桜で彩られた、アカデミーの中庭。
花びらが風に舞い、淡いピンクの雪のように降り注ぐ。
学生たちの賑やかな声が響き渡る昼休み。
誰もが友人と笑い合い、日々の訓練について語り合っている。
その片隅で、クーレリカは一人きりで昼食を摂っていた。
彼女の周りだけ、まるで透明な壁で仕切られたように人の気配がない。
飛び級で進級した彼女は、周囲から完全に浮いた存在だった。
十三歳にして上級クラスに編入された天才児——その肩書きが、畏怖と疎外の両方を生む。
年上のクラスメイトたちは幼い天才を持て余し、どう接していいか分からぬまま距離を置いていた。
クーレリカは視線を落とし、購買部で買った弁当の中身を黙々と口に運ぶ。
周囲の楽しげな会話が、かえって自分の孤独を際立たせた。
箸を持つ手が、ふと力を失って空を切る。
その時だった。
「ねぇ、一緒にお昼食べない?」
不意にかけられた声に、クーレリカは顔を上げた。
立っていたのは、二人の少女。
人懐っこい笑顔を浮かべる青髪の少女——イザベル。
肩まで伸びた髪が春風にそよぎ、瞳には屈託のない好奇心が輝いている。
その隣で、どこか気まずそうに佇む金髪の少女——エレナ。
整った顔立ちに、生まれ持った気品がにじむ。
二人とも、クーレリカより年上の同学年。
こうして休み時間に声を掛けられたのは、初めてのことだった。
「……いいの?」
震える小さな声で問いかけると、イザベルは大きく頷いた。
「もちろん! 一人でいるの、寂しいでしょ?」
太陽のような笑顔が、春の陽射しよりも眩しく映った。
その温もりが、クーレリカの固く閉ざされた心の扉を、少しだけ、こじ開けようとしていた。
エレナは少し迷うような素振りを見せたものの、イザベルに促されて腰を下ろす。
初めてできた友達だった。
三人で囲む昼食は、クーレリカにとって宝石のような時間だった。
イザベルの明るさに引っ張られるようにして、エレナも次第に打ち解けていく。
授業の合間には廊下で落ち合い、放課後は訓練場で汗を流した。
初めて手に入れた、かけがえのない日常。
永遠に続くと信じたかった——あの穏やかな季節。
三か月が経った、ある夏の夕暮れ。
訓練場はすでに人影もまばらで、西日が三人の長い影を地面に落としていた。
汗を拭いながら休憩していた三人だったが、不意にクーレリカが意を決したように立ち上がる。
「ねぇ、イザベル、エレナ」
「どうしたの?」
「……あのね、見て欲しいものがあるの」
自分の秘密を、もう隠し通せない。
いや——隠したくなかった。
大切な友達だから。本当の自分を、知ってもらいたかった。
受け入れてもらえるかもしれない——そんな淡い期待を胸に、震える手でゆっくりとベレー帽を外す。
結い上げていた髪がほどけ、エメラルドグリーンの長い髪が夕風に靡いた。
「これが、私の……本当の姿」
そして——白い角が、夕陽を受けて燦然と輝く。
磨き上げられた象牙のような、純白の角。
天に向かってまっすぐに伸びる、美しくも異質な存在の証。
エレナの顔が一瞬で強張った。
反射的に後ずさり、握っていた水筒が手から滑り落ちる。
地面に転がる硬い音が、静まった訓練場に妙なほど大きく響いた。
対照的に、イザベルは息を呑んだまま立ち尽くしていた。
そして——
「綺麗……」
小さく零れた一言に、クーレリカの目が見開かれた。
気味が悪い。化け物。近寄るな。
これまで幾度となく浴びせられてきた言葉たちが、たった一言で色を失っていく。
喉の奥がきつく絞まり、うまく息ができなかった。
対照的に、エレナは複雑な表情のまま視線を逸らしていた。
唇を噛みしめ、何か言いかけては口を閉じる。その繰り返し。
しかし、イザベルは躊躇することなく一歩踏み出した。
そっと、クーレリカの天角に手を伸ばす。
「触っても、いい?」
恐る恐る尋ねるその声に、クーレリカは小さく頷いた。
温かな指先が角にそっと触れた瞬間——堪えていた涙が、溢れ出しそうになった。
初めてだった。自分の異能を気味悪がらなかった人。
初めてだった。自分の異能を「綺麗」と言ってくれた人。
「大丈夫、他の人には絶対言わないから」
イザベルの笑顔は、いつもと何一つ変わらなかった。
それが、何よりも嬉しかった。
「別に、気にしてないよ。私たち、友達でしょ?」
エレナは二人のやり取りを黙って見つめていた。
その瞳の奥に灯る感情は、幾重にも絡み合い、読み取ることができなかった。




