Code:114 取り戻されたはずの平穏①
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森を抜ける風が、焼け焦げた臭いを運んでくる。
アルトは村の北側へと駆けていた。
クーレリカが交戦に入ったという連絡から、既に十分ほどが経過している。
大型の災魔相手に一人で戦うのは危険だ。
アーカイブに登録された相手とは言え、魔導プラントで現れた術式を使う災魔のようなイレギュラーが起こらないとは言い切れない。
だが、森を抜けた先の景色が目に入った瞬間、アルトの足が止まる。
地面を抉るクレーターのような窪みに、巨兵種だったものの残骸が横たわっていたからだ。
全身を貫く無数の風穴から、魔導粒子が薄煙となって立ち昇り、静かに溶けていく。
戦闘は、もう終わっていた。
「おお、もう一人の術式師様も来られたか!」
振り返ると、村人たちが次々と集まってきている。
老若男女が入り混じり、恐怖から解放された安堵の表情を浮かべていた。
その輪の中心に、エメラルドグリーンのツインテールが揺れている。
「アルトさん!」
クーレリカが振り返った。
勝利の高揚で興奮気味なのか、その様子はいつもより五割増しで誇らしげだ。
村人たちの間を抜けるように駆け寄ってきた彼女は、被ったベレー帽こそ少し傾いているものの、外傷らしい傷は見当たらない。
「私、一人で巨兵種を倒したんですよっ!」
鼻高々に胸を張るクーレリカ。
その背後では、村人たちが感嘆の声を上げている。
「信じられん……あの恐ろしい怪物を、こんな若いお嬢さんが」
年老いた男性が腰を抜かしそうな勢いで、呆然と言った。
「本当にありがとうございます!」
若い母親が幼い子供の手を引きながら、深々と頭を下げた。
子供は母親の服の裾を掴みながら、キラキラと光る瞳でクーレリカを見上げている。
「お姉ちゃん、すごい!」
子供の無邪気な賞賛に、クーレリカの表情が綻ぶ。
アルトは緊張を解き、小さく息をついた。
「お見事です、クーちゃん先輩。僕の出番はありませんでしたね」
穏やかな笑みを浮かべながらそう告げる。
しかし内心では、名状し難い違和感が鎌首をもたげていた。
(「この短時間で、巨兵種を……?」)
DOCの戦闘ログを素早く確認する。
遭遇から撃破まで、わずか二分と少し。あまりにも短い撃破時間。
クーレリカの実力が秀でていることはアルトも認めている。
風と雷の二属性を自在に操る彼女の戦闘能力は、C2ランクという枠を遥かに超えたものであることも事実だ。
だが、巨兵種は決して弱い災魔ではない。
大型の災魔の中でも耐久力に優れた種であり、その外殻の硬度は並大抵の攻撃では傷を付けることすら至難の業。
複数の術式師で集中砲火を浴びせるか、単騎なら極めて破壊力の高い術式でも使わなければ、これほど短時間での撃破は困難なはずだ。
それこそ、ランクAクラスの実力でも無ければ。
破壊された導力灯周辺の痕跡も合わせて、疑念は尽きない。
しかし今、この瞬間にそれを口にすることは——
(「……やめておこう。老害じみた考えだ」)
仮にも転生前はSランクだった自分が、次世代の活躍に水を差すような真似をするなど、みっともないにも程がある。
アルトは内心の疑念を封じ込めた。
「本当に凄いですね。一人でこれほどの災魔を」
素直に称賛を送ると、クーレリカの顔がぱっと輝いた。
「ふふん、これが天才の実力です!」
そこへ、村長トルステンも駆け付けた。
これまでずっと険しかった表情も、今は感謝と安堵で潤んでいる。
「術式師様、本当に、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるトルステンに続き、村人たちも次々と礼を述べ始めた。
「命の恩人です」
「これで安心して暮らせます」
「ギルドの方々には感謝してもしきれません」
その温かい眼差しと心からの感謝の言葉に、クーレリカは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「当然のことをしたまでですから」
格好付けてそう言うも、彼女の表情には隠しきれない喜びが見え隠れしている。
「せめてものお礼に、夕食を振る舞わせてください。粗末なものですが、我々の感謝の気持ちです」
「そうですそうです!」
前に出てきたのは、恰幅の良い中年女性だった。
手に持った籠から漂う香ばしい匂いが、彼女の生業を物語っている。
「焼きたてのパンと、畑で採れたばかりの野菜がたくさんありますから」
他の村人たちも次々と頷き、それぞれが何か持ち寄ろうと家へと走っていく。
「子供たちも、お礼が言いたがっています」
若い母親の言葉通り、子供たちがクーレリカの周りに集まってきた。
「お姉ちゃん、かっこよかった!」
「怪物をやっつけてくれてありがとう!」
「また来てね!」
純真無垢な子供たちの言葉に、クーレリカの表情が和らぐ。
まるで本当の姉のように、優しく子供たちの頭を撫でる。
結局、二人は村の集会所へと案内された。
集会所は質素だが清潔で、壁には村の歴史を物語る古い写真が飾られている。
長いテーブルには、村人たちが持ち寄った料理が所狭しと並べられていった。
採れたての野菜を使った煮込み料理、焼きたてのパン、自家製のチーズ、燻製肉、季節の果物、そして村特産の蜂蜜を使った甘味。
「こんなにたくさん……」
クーレリカが目を丸くする。
「いやいや、命を救っていただいたんです。これくらいは当然ですよ」
トルステンの言葉に、村人たちが口々に同意する。
食事が始まると、集会所は温かい雰囲気に包まれた。
村人たちは到着時とは打って変わって陽気な様子で、代わる代わる二人に話しかける。
「私の息子も術式師を目指しているんです。あなた方と比べたらまだまだ未熟者ですが、今日のお嬢さんの戦いを見て、きっと憧れるでしょう」
「うちの旦那も術式なんて使えないくせに、災魔が出たら大斧で追い払ってやると息巻いていたんです。けれど、本当に出てきたら腰が抜けてしまったみたいで。まったく、情けないったらありゃしない」
子供たちの注目は災魔と戦ったクーレリカに向いているようで、彼女を取り囲み戦いの様子を聞きたがっていた。
「どうやって飛んだの?」
「雷はどうやって出すの?」
「怖くはないの?」
矢継ぎ早の質問に、クーレリカは得意げに答えていく。
時に身振り手振りを交えながら、子供たちにも分かるように説明する姿は、まるで本当のお姉さんのようだった。
「君たちも頑張れば……きっと、術式師になれますよ」
クーレリカの励ましに、子供たちの瞳が輝く。
本当は、術式師になるには生まれ持った適性や資質が不可欠だ。
努力だけではどうにもならない、残酷な現実がある。
それをクーレリカも十分に理解している。
だが今、子供たちの純粋な憧れの眼差しを前にして、そんな現実を突きつける必要があるだろうか。
クーレリカは優しく微笑んだまま、先生のように一人一人の質問に丁寧に答え続けた。
やがて完全に日が沈み、窓から差し込んでいた光が消える。
トルステンが立ち上がり、ランプに火を灯した。
「どうか今夜は、我が村でお休みください。部屋も用意させていただきます」
心のこもった申し出だった。村人たちも口々に賛同する。
「そうですよ、ゆっくりしていってください」
「明日の朝食も用意しますから」
しかし、クーレリカは申し訳なさそうに首を振った。
「お気持ちは本当に嬉しいのですが、明日も任務がありますので」
アルトも静かに続ける。
「それに、ギルドの飛行艇を勝手に一晩置いておくわけにもいきませんから。規則違反になってしまいます」
実際、飛行艇の管理規定は厳格だ。
無断で放置すれば、始末書では済まない。
「それは……残念です」
トルステンの表情に、心底からの落胆が浮かぶ。他の村人たちも同様だった。
「でも、お気持ちは十分にいただきました」
クーレリカが優しく微笑む。
「皆さんの温かいおもてなし、忘れません」
外に出ると、村人たちが玄関前に集まっていた。
それぞれが手にした松明の灯りが、温かな光の輪を作り出している。
「本当にありがとうございました」
「お元気で」
「また必ず来てくださいね」
「今度はゆっくり泊まっていってください」
口々にかけられる言葉。握手を求める手。子供たちの「バイバイ」という声。
全てが、この村の温かさを物語っていた。
二人は何度も振り返りながら、飛行艇の着陸場所へと向かう。
久しぶりに、後味の良い任務だった。
災魔を倒し、人々を救い、感謝される。術式師の理想的な仕事の形だ。
そんな感慨に浸りかけた、その時だった。
DOCが突如、けたたましい警告音を発する。
幾重にも重なった違和感の正体が、その貌を覗かせるように。




