Code:110 村に潜む怪異①
* * *
飛行艇の機内は、魔導式エンジンの低い振動音に包まれていた。
雲海の切れ間から覗く大地は、まるで緑の絨毯のように連なり、時折現れる川が銀糸のように煌めく。
操縦席を離れた2人は、向かい合う座席に身を沈めていた。
「イリオル村まで、もう少しですね」
DOCに視線を落としながら、クーレリカが呟く。先ほどまでの無邪気な高揚は影を潜め、声の端に微かな緊張の色が滲んでいた。
「アルトさんと初めての災魔討伐任務——楽しみです」
そう言いながらも、握りしめた拳がぷるぷると震えている。
窓の外を見つめる横顔には、隠しきれない不安が浮かんでいた。
アルトは黙って、その様子を観察していた。
(「無理もない、相手は正体不明の災魔だからな。運が悪ければ、あっさりと殺されることもあり得る」)
術式師が命を落とす瞬間——その大半は、己の力量を見誤った時だ。
極論、ランクに見合った強さの災魔が相手なら、ミスを犯さない限り負けることはないだろう。
しかし、災魔は外見に強さの表示をぶら下げているわけではない。
今回のように解析されていない災魔と戦うということは、交戦の中で敵の力量を推し量る必要があるということ。
プライドに固執してそこを誤れば、歴戦の術式師であれ、あっさりと死ぬ。
(「クーレリカも、それは理解しているはずだ」)
アルトは何も言わず、ただ静かに窓の外へと視線を向けた。
下手な励ましは無用だろうと、そう思ったからだ。
それから、数分が経過した。
「少し、外の様子を確認してみます」
クーレリカはそろそろ目的地が近いことを察してか、機内の窓へと歩み寄る。
「着陸地点に災魔の姿がないか、念のため確認しておかないと」
窓に顔を近づけ、眼下の森を注意深く観察し始めるが――
『間もなく、目的地上空に到達します。着陸態勢に入ります』
機械音声が響いた直後、飛行艇がゆっくりと旋回を始めた。
「きゃっ!」
立ったままだったクーレリカは、急な揺れにバランスを崩してしまう。
アルトは反射的に手を伸ばし、倒れかけた彼女を支えようとする。
だが、シートベルトで身動きが取れず、引き寄せるしかない。
気付けば、自分の膝の上で抱き留める形になっていた。
「あ、あの……」
吐息が触れ合うほどの至近距離。
対の双眸が、一瞬の永遠を共有する。
クーレリカの顔が、朝焼けのように赤く染まっていく。
「ご、ごめんなさい! すぐに——」
慌てふためき、身を起こそうとするクーレリカ。
だが、アルトの腕は彼女を解放しなかった。
「危ないですよ」
囁くような、それでいて有無を言わさぬ低い声。
「機体が安定するまで、じっとしていてください」
懇願のようでいて、有無を言わさぬ命令のような響きにクーレリカは言葉を失った。
思考回路が焼き切れたように停止し、ただ目をぐるぐると回すばかり。
(「あ、ぁぁぁ……男の人に、こんなに近くで……」)
早鐘を打つ心臓の音が、きっと相手にも聞こえているに違いない。
アルトの体温が、腕の感触が、全てが異様なまでに鮮明に感じられて、頭の中が真っ白に塗り潰されていく。
しかし、アルトの意識は彼女と同じ思考にはない。
(「やはり、そういうことか」)
眼前にあるクーレリカの頭部——ベレー帽に隠された部分から、真相を感じ取る。
(「彼女が、それを隠す理由は」)
薄々感づいていたものが、確信に変わった瞬間だった。
「あの……アルトさん?」
消え入りそうな声に、アルトは目線を下に移す。
クーレリカは顔を真っ赤に染めたまま、潤んだ瞳でこちらを見上げている。
「そろそろ、離してもらえませんか……?」
「ああ、すみません」
ようやく腕を解くと、クーレリカは弾かれたように飛び退いた。
向かいの座席に逃げ込むと、両手で顔を覆い隠す。
時々、指の間から薄目で覗きながら、ぼそりと呟く。
「支えてくれたこと、感謝しますけど……」
「どういたしまして」
「あの、その……いきなりそういうことをするのは……アルトさんのえっち……」
「いえ、それほどでも」
「褒めてませんっ!」
耳まで朱に染まった彼女の姿は、まるで巣穴に逃げ込む小動物のようで、思わず庇護欲をそそられる愛らしさだった。
『着陸態勢に入ります。シートベルトを締めてください』
無機質な機械音声が響く中、飛行艇は静かに高度を下げていく。
窓の外、深い森に抱かれるように佇む小さな村が、次第にその姿を現し始めた。
イリオル村——そこに潜む脅威の正体は、まだ霧の向こうに隠されたままだ。
飛行艇が村の入り口に設けられた広場に着陸すると、湿った土と青草の匂いが機内へと忍び込んできた。
都会では決して味わえない、生命力に満ちた大地の香りといったところか。
「お待ちしておりました」
タラップを降りると、複数人の男たちが緊張した面持ちで集まっていた。
その中央、白髪交じりの髪をした中年の男が深々と頭を下げる。
「私がこの村の長を務めております、トルステンと申します」
威厳と不安が入り混じった声に、クーレリカが毅然とした態度で応じる。
「ギルド【オルフェウス】所属のクーレリカです」
「同じく、アルトです」
「まさか、このような若い方々が……いえ、失礼しました。ギルドから派遣されたということは、相応の実力をお持ちなのでしょう」
「詳しい状況をお聞かせいただけますか?」
「はい、それでは私の家へ。目撃者も呼んでおりますので」
トルステンに導かれ、二人は未舗装の道を進んだ。
古い木造家屋が軒を連ねる通りでは、窓の隙間から不安げな視線が注がれている。
女性たちは幼子を抱きしめ、老人たちは祈るように手を組んでいた。
その恐怖は、まるで疫病のように村全体を覆い尽くしている。
村長の邸宅は村の中心部に位置する、ひときわ大きな建物。
重い扉を開けると、既に数名の村人が待ち構えていた。
「それでは、順を追って説明させていただきます」
トルステンが震え声で語り始める。
「事態が発覚したのは、今朝の早朝でした」
卓上に広げられた古い地図を指しながら、続けた。
「いつものように散歩をしていた村人が、血相を変えて私のところへ駆け込んできたのです。森の奥から、今まで聞いたことのない——まるで谷の底から響くような、不気味な鳴き声が聞こえると」
トルステンは一度言葉を切り、震える手で額の汗を拭った。
「私はそれを聞いて狼や熊でも出たのではないかと思いました。この辺りでは、さほど珍しいことではありませんから」
隣に控える猟師の男も、重々しく頷く。
「それで、腕に覚えのある者たちを連れて現場へ向かったのです。念のため、武器も持参して」
猟銃や剣鉈、単なる山狩りに行くなら申し分ない武装だろう。
「しかし、森へ向かう途中で、我々は信じられないものを目にしました」
「何を見たんですか?」
クーレリカが身を乗り出すと、トルステンは唇を噛みしめた。
「導力灯です。村の外れに設置してある導力灯が……まるで捩じ切られた針金のように、完全に破壊されていたのです」
アルトの表情に、初めて険しさが宿る。
「導力灯は特殊な魔導合金で作られています。野生動物に破壊されることは、まずありえません」
その言葉に、猟師の男が掠れた声で付け加える。
「俺は長いことこの村で猟師をしているが、あんな壊され方は見たことがない。少なくとも、獣の類じゃねぇんだ」
室内に、墓場のような沈黙が降りた。
「それで、我々は身構えました。これは普通の獣ではない——災魔だと」
トルステンの声が、今にも消え入りそうなほど小さくなる。
「さらに、その時でした。霧が立ち込める中、森の奥で……何かが動いたのです。並び立つ木々よりも大きい、巨大な影を」




