元婚約者様の提案
桜の季節が終わった誰も居ない放課後の下駄箱近くの廊下。
その壁に模造用紙三枚程、巫女を必要とする神力がある者の名がそこにずらっと書いてある。
この中で、どなたが私を必要として下さるか。
やはり、女の神様が良い。
自分にも多数の神力はあれど、その力が強すぎて上手く使えない。
その為にこの高校に入っても『神力科』ではなく『巫女科』に入った。
この高校は特別でそういう神に選ばれし者の末裔達とその神の力を持つ者を助ける為に生きる霊力がとても強い者が通う所だ。
この中に元婚約者様の名はない。
良かった。そう思ってしまう自分が情けないが、それほどまでに彼とはもう何の関わりもない。
入学式の日に誰かが彼の名を呼び、思わず見てしまったが、幼き日に一度出会った頃の彼はそれはもう健やかに育ち、冷静沈着、余裕たっぷりの美男子となったのだと分かっただけで良しとした。
目の前を通り過ぎても私には一切気付かなかった彼を思い続けるのも悪いだろう。
それに彼は彼の家の都合で私と婚約をしたにも関わらず、それを破棄した後、イザナミの神力を持つ方と婚約されたそうだが、それは自分から婚約破棄をしている。
それだけの事をしていても平然としていられるのはスサノオとイザナギの神力他にもお待ちだからだろうか。
長らく見ていたが、この方だ! と思える方もいなくて、また今度見ようと思った時だった。
「バイト探しか?」
背後から落ち着いた男の人の声がした。
「え?」
振り向けばそこに私の元婚約者様が居た。
「何故ここに?」
それだけしか言えない。
何故ならここは巫女科の者しか居ない校内で神力科である彼がここに居ることはあり得ないからだ。
「入ってはダメだったか? 人影が気になって来てしまったのだが」
そんな優しさも含まれるような妙な言い方に少し驚いたが、このまま固まって、何も言わないのも失礼だ。
何か返さなければ!
それが神力科と巫女科の差だ。
神力科の者が黙るのは良いが、巫女科の者がそれをやれば罰を受ける。
何と言えば良いのか。
「いえ、そんなことは!」
無難に終えた! と思い、その場を去ろうとするとまた彼が声を掛けて来た。
「そんなに急ぐ用事があるのか?」
「いえ、ありませんが」
ドキドキする。
怖い!
あの道端で婚約者だと幼き日に紹介されて以来、まともに喋ったこともない彼にこんな恥ずかしい所は見られたくなかった。
神力ある者が巫女科など前代未聞。
それもその巫女科で最下位になっているなど知られたくない。
同じ学年に彼がいることは入学前から知ってはいたが、科が違うから会うことはないと油断していた。
「あ、あの……申し訳ありません。私、そろそろ家に帰らないといけない時間なので」
嘘八百だったが、良いだろう。
今後もう彼とは会わないのだから。
「なら、行けば良い。けれど、まだ時間があるなら、話をしよう」
「え?」
またしてもそれだけしか言えない自分が情けない。
「君が何故神力の者の巫女になろうとしてるのか不思議だが」
「それは、私が未だ自分の神力が強すぎて上手く使えず、このままだと誰のお役にも立てないと思い、それなら少しでも使える霊力を使い、役立たせたいと思いまして」
「なるほど、普通は神力のみで霊力なんてものは妖ぐらいしか持たないが、君にはあるんだな。初めて知った」
そうでしょうとも。知られないで済むのならそうする。
私の母方の曽祖父がかなりの霊力の持ち主だったそうで、それをも私は受け継いだ。
実妹は母が違うからその霊力はないし、私のように上手く神力が使えないということもなく、自由にそれを使い、深く愛されている。
私の母は正妻だが、父の愛人であった実妹の母にその座を奪われ、今は行方知らずとなっている。
私を置いて出て行くことになったのは私が一族の中で一番強い神力を持っていたからだ。
赤子の姿でそれほどとは一体どのような子になるのか? と期待されてはいたが、その力が強すぎて上手く使えないと分かるとすぐに皆、実妹を可愛がるようになった。
家のお荷物にはなるな! と皆から言われ、その霊力があって良かったじゃないかと言われ、父方の祖父が当主の時にお前の婚約者だと言われて出会った彼が失望したのかどうかも知らされないまま、お別れとなった相手に話すことなどもう何もないけれど、こんな姿になりましたとだけは見せることができて私はとても惨めだ。
「まあ、君が嫌がる事はしたくないけれど、こうしてまた出会ったのも縁だ。俺の巫女にならないか?」
「え?」
何を言っているのだろう、この人は。
「どういう意味でそうおっしゃるのですか?」
「言葉通りだが」
言葉通り?
ただ一人のこの方だ! と思う神力のある方に巫女は生涯ずっと仕えることになる。
それは自分の能力を十分理解し、思う存分役立てると思える相手だからこそ。
もういらないと捨てられるその日までずっとだ。
「誰かと間違えられたのでしょう? だって、私はあなたの元婚約者で捨てられた」
「ああ、それについてだが、ずっと言いたいと思っていたことがあるから言っても良いか?」
「何でしょう?」
「うん……」
何だか黙ってなかなか言ってくれない。
けれど、意を決したように彼は言った。
「ずっと君が欲しかった。初めて会った時からずっと君のその優しさと温もりが忘れられない。あの瞬間に君は俺を癒してくれる存在だと思えて、今もそう思い続けている。君は間違えたと言ったが、俺は間違えていない。できれば巫女ではなく、俺の婚約者に再びなってほしい」
「な、何を! お、おっしゃって?」
動揺が自分の体を固まらせて声にさせない。
「君も知っているだろう? 俺の家の者が勝手に君との婚約を決め、破棄した。そして次にイザナミの神力を持つ者と婚約しろと言って来た。冗談じゃない! 俺は絶対イザナミの神力の者とは一緒にならないと自分からそれを断った。けれど、このままではまた新たな婚約者をと言って来るに違いない。だからこそ、君を手に入れたいんだ。君のそのアマテラスを筆頭とする神力が欲しいわけじゃない。俺にとって君こそが全て。だからこそ、君が入学するという高校に入ったし、こうして君と会って話をしている。詫びを言えと言うなら言うし、他にどんな償いをすれば良い?」
そんなのしてもらっては困る。
それで許せるならとっくにしてる。
「私のことをそれほど強く思っていただいていたのはとても嬉しいのですが、私は式神に鬼を呼び出します。これがどういう意味かお分かりでしょう? あなたのおっしゃったイザナミの力とは関係ありませんが、その世界に通じる者を私は操ります。これはどう考えても釣り合わないではありませんか? それにあなたは次の当主なのでしょう? そのような方が私のような者を……変ではないですか? おかしいでしょう?」
「おかしくない。それにそのイザナミの件は初耳だ。どうしてまたそんなことをする? それをしなくとも君は大丈夫だろう? 守る者がいないと言うなら俺がこれからは守る。それにそんなに言うなら俺が次期当主にならなければ良いのだろう?」
「な、何をおっしゃって?」
「どれほど本気か見せようかと」
ダメだ、これは。
全然話にならない。
「それに俺は君以外と結婚する気はない。愛人を作る気もない。子ができなくとも構わないとさえ思っている」
「それでは家が困るのではないですか?」
「そうだな、だがそこは俺の弟に任せようと思っている。僅差で俺の方が力が強いだけで、弟の方が持っている神力の数は多い。許してくれるだろ」
いや、待って。あなたの家族が許しても私は許せない。その前にこの状況では断るのが難しい。
何故ならここは神力科の者の言葉は絶対だからだ。
嵌められた! 絶対。
「分かりました。あなたの気が済むまでそうしましょう。でも、許しはもらえないと思いますよ」
「それで良い」
彼は強引だった。
自分はそれでさえも良いと思えない。
きっとこれは遊びなのだから本気にしてはダメだ。
それなのに、彼は私の家の許しも自分の家の許しもひょいひょいともらい、晴れて私はまた元婚約者である岡見尽人の婚約者となった。




