食べられる花と移動方法
何の冗談だと言うのだろう。
私が岡見尽人の婚約者になったことは公にされることはなかった。
それが彼の条件だったからだ。
それでも婚約したのだからと彼は岡見家に来いと言って来た。
今日の放課後もあの下駄箱近くの廊下にやって来た彼は冷静沈着に言う。
「何故そんなに怒っているのか分からないが、これは花暖の為だ。それとも君はあの阿左美の家に嫁ぐ日まで居たいと?」
強気発言に私は少し身震いした。
「もし、そうしたいと言ったらどうするのですか?」
「俺としては何も困らないが、君の方は困るんじゃないか? 俺だってこんなに簡単にまた君を俺に差し出すとは思ってなかったさ。それでも君をくれたことには感謝しているが。どうする? 花暖」
私に決めさせて、その真意を見ようというのか。
「できればあなたの家に厄介になりたい。けれど、それは許されないでしょう。婚約者になっても私はまだ他家の者ですし、それに前の時は神力が上手く使えないとは聞いていたがこんなにまでとは! という理由で婚約破棄されたのですよ。甘くはないと思っています」
「そうか、では、そのようにしよう。何、問題はないよ。本家で暮らさなければ良いだけのこと。ちょうど分家の者が使っていた家がある。そこに花暖は暮らせば良い。そうすれば俺も行きやすいし、今から阿左美の家に思い知らすこともできる。これ以上、君にあの家で過ごしてほしくない理由はね、ただ一つ。その心を深く傷付けられることがないようにしたいんだ。いくら身体が綺麗でも心が穢れてしまっては意味がないからね」
そう言って、高校一年生らしくない彼は下校の時間だと言って、私を外に連れ出した。
皆が居る時間にわざわざ神力科から巫女科に来るのだけはやめてほしいと事前に頼んでいたおかげか、彼がそれを破ったことはない。
けれど代わりに私がその時間、神力科に行くことになった。
それについては君は俺の巫女ということになっているから問題はないと言っていたけれど、彼が何故あの紙に名を書いていなかったか問えば必要ないからだと言った。
そんなものをここで見つけても、家に帰ればそれはもうすでに大勢いる。
そんな顔はするな。君だけは違うから――と少し悲しくなった私の頬に彼は自分の手をそっとやり触れて来た。
ドキッとした。
何故そんな事をするのかと問えば、彼はしたかったからだとそれだけ答えた。
その触れ方から感じられたのは彼が本当に私を愛しく思っていてくれていることだけ。
だから私はひょいひょいと付いて来てしまっているのかもしれない。
簡単な女だと思われているのかも。
それでも良いと思えど、この怒りは許せない気持ちでいっぱいだった。
彼がまだ大人になり切ってないからそうなってしまったというだけなのに。
もし、私以外の人と良い感じになっていたとしても何も言えないのはこの国の人の数が全然足りないせいだ。
少しでも増やす為にはそのような方法しかないとまた昔に戻るみたいになった。
生き残りたければやる事は一つ。
そうして少しずつ数を増やして来た。
それしかなかったのか? と言えばそうなのだろう。
だから皆その事に関しては暗黙のまま見過ごしている。
それが許せないと怒っているのだろうか、私は。
母の事を思い出すから?
だけど、彼は遠回しに言った。
私しか愛さないと。
それを信じれば良いのに、過ぎ去った過去をまだ根に持っている。
そうは思っていなかったのに、心の奥では深くそう思っていたのだ。
もう良いのに、開放して穏やかに生きれればそれで良いのに。
「花暖、大丈夫か?」
「何がです?」
「少し顔色が悪いような」
「いえ、別に大丈夫です」
「あまりいつまでもぷりぷりしていると気が滅入るぞ」
切り替えろと言う。
そんな言葉数が少ない方法でよく彼は今まで人付き合いができていたものだ。
「あなた様が何故私を婚約者だと言いふらさないのか考えていました」
「それはとっても簡単なことだ。君が他の男に知られてしまうのを阻止する為だ。俺の婚約者だと分かれば一目どんな子かと見に来る奴等がいるからな。そんな事は絶対させない」
何故それほどまでに強く言えるのだろう。
「君は自分が思っている以上に美しいんだ。気付いてないだろう?」
「へ?」
寝耳に水とはこの事だ。
「どうして私が美しいのですか?」
「君にはコノハナサクヤヒメの神力もあるだろう? それがそうするのかは分からないが、見た目が地味になっていてもその匂いですぐ分かる。あの入学式の日も懐かしいその匂いにすぐに気付いたが、他の目に入れたくなくて無視をした。すまなかったな」
「いえ、そんな理由があったのですね」
「ああ、他にも思う所はいっぱいあるんだが、聞くか?」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮は良くないぞ?」
「言いたいだけですか?」
「そうかもしれない」
ふっと彼はふいに笑った。
その顔があまりにも普段とはかけ離れていて惹き込まれる。
「でも、一番は君が可愛い。それが一番大きいんだ。あの幼女がここまでになるとは。さぞ、君の母親も美しいのだろうな」
「そうかもしれませんね。今はもうどこに居るのか分かりませんけれど」
「まだ見つかってないか?」
「はい」
彼は知っている。私の母親が今の母親とは違うこと。そして行方知れずであることを。
「思い出したくないか……」
「それはあり得ませんけれど、私の記憶の中には残っておりません。そのくらい小さい時に出て行ったのです。写真というのも今はこの世にありませんから分からないですし。母親がいたら……と思ったことは何度かありますけど、でもそれ以上に私は何かを思うことがありませんでしたからあまり思い詰めないでくださいね」
「分かった。それより君はいつも校門で別れて行くが、神力で帰らないのか?」
それは聞いてほしくない事だった。
「私はその……鬼の道を使って帰っているので」
彼から顔をそらして言った。
「は? あ、鬼? それはその……前に言っていた君が呼び出して式神にしているというその鬼か?」
「はい。私にそういう芸当はできません。だから巫女科にいるんですよ!」
胸を張ってそれは言える。
「自慢することじゃないが、そうか……それで君はいつもここで別れるのか。やっと分かった。まあ、そうだな。皆そうだ。霊力が高いという者でさえ、この方法は使えないと言う。神力を使える者だけなのか……」
「そうですね、それは神力をお持ちの方で再びの国造りをされる方にだけ使えるものだと思います。神様からの心付けですね」
「心付け……。そう考えたことは今までになかった。いつもできることだったから。そうか、君はできないのか……。今日は俺と一緒に帰るか?」
「何故そうなるのですか?」
「ほら、分家の者が使っていた家とか見に行かないか? 時間は十分にあるだろう? 君は俺の巫女でもある」
「巫女はそれをできるのですか?」
「している者もいる。国造りをする時に手伝いとして連れて来たとか言って」
「それは余計に神力をお使いになってそうですね」
「まあ、そうしても疲れることはないからな」
それはかなり強い力をお持ちの方なのだろう。
普通は少し神力に触れただけで酔うこともあるというのに。
そういえば、尽人様の神力も普通の人が触れればすぐに酔いが回るようにくらくらとめまいのような気持ち悪さに襲われるほどのものだ。
霊力が高い者でもきっと顔に布か紙をやってそれを直接受けないように防ぐだろう。
それぐらいしか回避する方法はないから失礼ながらも仕方ないけど。
なら、私がそうならないのはやはり神力がちゃんとあるからか――。
「あの、尽人様……少しお願いがあります」
「何だ? というか初めて俺の名を呼んだな!」
喜んでいらっしゃる……。
「そんなに喜ぶことですか?」
「ああ! 当たり前だろ! とっても嬉しいに決まってる!」
にっこりと笑い、そう言う彼は年相応に見えた。
それだけで輝いて見える。
いや、今はそれを置いといて。
ちゃんときっと向き合う時なのだろう。
いつも霊力の方に逃げていたけれど――。
「あの……私にも、その神力を使って帰れるか、試してみたいのですが!」
「ほーう、それは良い心掛けだな。やっとその気になったか」
それはずっと待っていたということになる。
「呆れていましたか?」
「いや、逃げてはいないだろうが、早く一緒に国造りがしたいとは思っていた」
「それは叶わない願いかもしれませんよ?」
「それでもだ。まあ、良い。今日はどのくらいの腕前か見る為にも一度君が神力を使う所が見たい」
使えないと分かっているのにそう言うのか。
「分かりました。すぐにできるのは……」
そう言いながら私は両手の中に薄紅色をした八重咲椿を一つ出すと、その一枚の花弁を取り、口に持って行った。
「食べられるのか?」
「はい、とても良い匂いで花弁を取らなければずっと生花なのですが。味はほのかな甘味のある砂糖菓子のようで、これができるのも母方の祖母が持っていた食べ物を出す神力のおかげなのですが」
「ふーん、とっても綺麗な花だ。これは心が綺麗な証拠なんだろうな。それに、やっぱり君と同じ匂いがする。優しくて甘い、とても良い匂いだ」
そんなに嗅がなくても! というか、その花を自分で持つことなく、私の手の中にあるのをずっと嗅いでる……!
思う存分嗅いだのか、彼は顔を上げると私を見た。
「さて、次にこれ以上の神力は使えないと言うのなら、俺のを見てもらうか。まあ、これは序の口。何もしなくてもできることだ」
そう言うと私の手を取り、彼はそこへ飛んだ。
飛んだという表現はおかしいのかもしれない。
別にジャンプをしたり、走ったり歩いたりしたわけではない。
きっとその場で思った所に自動的に行けるのだろう。
世に言う神隠しに遭ったというような方法だ。
今までそこに居たのに突然見知らぬ田舎の方にあるらしい二階建ての日本家屋が素晴らしい一軒家に着いた。
「ここは?」
「さっき話した岡見の分家の者が使っていた家だ。本家からもそんなに離れてはいない。まあ、今日は鍵がないから中に入れないけれど、どんな所かは事前に見といた方が良いだろう? 心配はいらない。この話をする前に父には言ってある。ここを使わせてもらえないか? って。そしたら二つ返事で良いぞと言われた。気に入ったのなら、今日の帰りにでもこの家の鍵を渡そう。そうじゃないなら今度の休日、改めてきちんと中を確認した上でそう思ってほしい」
「いいえ、その必要はありません。こんなにも素晴らしい所に住めるのなら今すぐにでも住みたいと思いますが、何せ今日は荷物がありませんし」
「本気で言ってるのか? こちらが用意したのだから断れないと思ってるんじゃないだろうな? ここが嫌なら他を探しても良いが」
「では、何故ここなのです? その理由が知りたいです」
「ここは俺が住む本家とも近いし、この裏にある山の中には岡見の家が最初に作った小さな小川がある。それを見守る為の大事な家でもあったんだが、近頃新たに家ができてな。そちらに分家の者は移った。それでもここを取り壊していないのはそれだけここで暮らした者が居て、思い出深い所だからだ。そんな所を君に任せたいと思ってな」
「なるほど、それは大変身の引き締まるお話ですね。早くも私に岡見家の者になれというのですね」
「簡単ではないと思う。それにここから学校までは見ての通り、かなり遠い。だからこそ、その移動方法が必要になるのだが」
「無理やりそうさせて、私の神力が使えるようにしてしまおう! ということですか? 何とも甘くない話ですね」
「怒っているか?」
「いいえ、ただ私はその方法を知らないですし、できるかも分かりませんし、遅刻したらどうしよう! というのしか今はありません」
「大丈夫だ、そこは俺が毎朝来て、できるまで連れて行くし、俺が来れない時は信用できる誰かを必ず行かせる。もちろん、帰りもだ」
「至れり尽くせりに感謝します」
と言えば早速と彼はまたしても来たことがない場所へと連れて行った。
「この大変立派な家はどちら様のなんですか?」
「ああ、ここが俺の家だ。分家よりはるかに大きく広い。それだけに人に会うことはほとんどないから良いが。待っていろ、今、鍵を持って来る」
そう言って行こうとしてしまう彼の服をもろに掴んでしまった。
「お待ちください! 尽人様! ここに一人は嫌です!」
「じゃあ、一緒に来るか?」
「あ、いえ……それは遠慮しておきます。まだ岡見の者ではないですし、誰にも会わないとは言っておりませんから用心して」
「まあ、鍵は明日でも良いか。どうだ? 帰りたくなって来たか?」
「もしかして、わざとですか? ここに私を連れて来たりしたのは」
「何の事やら」
「白を切らないで下さい」
「じゃあ、練習してみるか。早くしないと人が来てしまうかもしれない」
この方はもしかしなくとも虎穴に入らずんば虎子を得ずな考え方なのではないか?
「どうした?」
「いえ、ですから、やり方が分からないのですが」
「やり方なら見せただろう?」
「見て覚える系は私にはできません」
むーっとなって尽人様は黙った。
「口で説明するのはなしですか?」
できればそちらの方が要領が良く、早いのだが。
「……そうだな、行きたい所をまず思うんだ」
行きたい所――そんなのない。
「ダメです! 私にはありせん!」
「だったら、岡見のあの家にすれば良い。あそこまで行けたら今日は良しとしてやる。まあ、無理ならこの家で一晩過ごせば良い。安心して居てくれ、婚約者殿」
にこりとされて、私は思う。
「むっ!」
無理! とは言えないのはここが岡見の本家だからだろう。
だから仕方なく、やってみることにする。
あの場所を思い出せ、そしてあそこに行きたい! と強く願う……。
しんとする時間。
だけど何かが変わった感じもしないし、神力を使った! という感じもしない。
「できてないですよね? 私」
「ああ、そうだな。たっぷりと時間はあるから焦らずやってくれ。それに夜遅くなったとしても俺の巫女として手伝いをしていたでも、俺の家で花嫁修行をしていたとでも言えば良いだろ。阿左美の家には」
「そんな嘘、言えません」
「嘘ではない。こうして神力を使おうとしていることこそが君の手伝いだ。上手く使えないとは言うが、あんな綺麗な花を出せる。それこそが君の能力だ。あんな繊細に出す者はそんなにいないぞ?」
褒めてくださった。初めてだ、そんな事で言われるのは。
「私、頑張ります!」
「ああ、頑張ってくれ」
それから幾度も頑張ったが無理だった。
その間も尽人様は私の側に居て下さり、安心して集中できた。
「はぁー、やっぱり、ダメですね」
自分から根を上げて、その場に座り込んでしまった。
辺りは夕方からもう夜になろうとしている。
これなら鬼を出し、その道で帰った方が楽そうだ。
「また余計なことを考えているだろう?」
「え? 何の事です?」
「鬼を使おうと思ったのではないか?」
「何で、お分かりに?」
「そのような顔をした。はあ、ここは岡見の本家だ。鬼は出さないでくれ」
「はい、申し訳ありません」
「別に謝ってほしいわけじゃない。イザナギの神力がそういうのが少しでもあれば反応するんだ。あのイザナミの最後の言葉のせいか……。まあ、誰も分かってはくれないがな。俺ぐらいのもんだし、この力を今、岡見で持っているのは」
それは何とも心苦しいことだろう。
「ごめんなさい」
「いや、だから謝らないでくれ。それに君は本当に霊力を使う必要があるのか? 少しの神力でも神力科に来る奴はいるぞ? 君のそれだったら十分神力科で通用するだろ」
「でも……」
私の家はそれを許さない。
何とちっぽけな神力だろう。
これで人の役に立てるのか?
非常食にもならないわよ! こんなのじゃ――。
永遠に聞かされ続けて来たあの人達からの言葉の数々がより一層堪えて私をそうしてしまったのかもしれない。
阿左美の家の者は生まれて来たその瞬間からかなりの神力を発する。
それは代々の神力が強いせいもあるが、それだけの自信の表れでもあるのだろう。
隠せることなんて何一つないのに。
「私の神力はこれだけなのです。本当に」
諦めてしまっているのだ。もう心のどこかで、それ以上をしなくて良いように。
「決めつけるな! 花暖!」
え? 急に尽人様に怒鳴られた。
「自分が思う以上にその力は絶大なのかもしれない。けれど、ずっとその霊力頼りでは神力が可哀想だ」
かわいそう? そんなこと一度も思ったことがない。
なくなれ! とも思ったことはないが、神力があっても……と思ったことは何度かある。
「ちゃんと自分の神力の良さを感じたことがあるか? 君が出したあの花のように、それを愛でる心のように、自分の神力を心から信じたことはあるか?」
その問いに素直に頷けはしない。
「信じる……?」
「そうだ。それが最初だ。自分がそれ以上を望む前に自分の中にあるものを信じろ!」
私の中にあるもの? それは一体何だろう。
途方に暮れる。
私はどうしてこの花だけは神力を使い、出せるのだろう?
コノハナサクヤヒメの力だけではこうはなりはしない。
桜ではなく何故椿なの?
勝手にいろんな神力を混ぜ合わせおって! と厳しい祖父に怒られたこともある。
だから、私はそれぞれの力を大事にすることにした。
そうすれば怒られなくて済むから。
それでもこの花だけはいつも出てくれた。
「何故?」
その問いに尽人様は答えてくれない。
自分で出せとその顔は言っている。
――私の名と同じ物が出るからか。この名を付けてくれたのは行方知れずの母だと聞いている。
だから出てくれるのか?
「分かりません。私は無意識にこの花にすがっていたのでしょうか? 私が母に会いたくて、繋がっていたくて、それで出していたものなのでしようか?」
そう思うと勝手に涙が出て来る。
何年ぶりの涙だろう?
もう厳しい祖父もいないから出すことはないと思っていたのに。
しくしく、ポロポロと泣き続ける私にこれで涙を拭けとハンカチを差し出して来た尽人様は言う。
「それで少しは気が楽になったか?」
「え?」
「君が強い嫌味を永遠に聞き続けていると聞いた時は気が気じゃなかった。嫌な思い出は今全部受け入れてしまえ。その方が楽になる。逃げてもまた同じ事が繰り返されるだけだ」
何ともおかしな事を言う。それが救いになるのだろうか?
それに誰からそんなことを聞いたのやら。
「尽人様は誰か私の家に紛れ込ませているのですか?」
「それを知ってどうする?」
「少しばかり阿左美の家に居やすくなります」
「そうなら言わない」
ということは居るのかもしれない。
「居ないとは断言なさらないのですね」
「そうしてほしいなら阿左美の家に居ても苦しくないようにしろ」
それはつまり、この神力をきちんと使えるようになれということだ。




