1 入城 ~緑の月 雨曜日~ ⑤はじめての夜に
「さぁ姫さま、今日は色々とあって疲れたでしょう? ゆっくりとお休みくださいませ」
湯浴みを済ませ、寝間着のドレスに身を包む。やはり高地、ガレジアより肌寒いのでガウン代わりに肩から厚手の布を引っ掛けて暖をとる。
濡れた髪を風の魔法で乾かし、マユーラに蜂蜜色の豊かな髪を梳いてもらう。
素朴な木の作りに美しい彫りの入った天蓋付きのベッドに座ると。セレンディーナは異国に来たのだなと、改めて思った。
「マユーラ、出る前に入れた本を読みたいのだけど」
「本ですか?」
「うん、確か櫛とかと同じ荷物入れに、マルセイが入れていたと思うの」
寝るために、セレンディーナの髪をゆるく編み込みながら、マユーラは、さっき見た荷物入れの記憶をたどる。
「……開かないように布が巻かれていた、あれかしら?」
セレンディーナの髪を編み終えて、寝間着のドレスと同じ生地の紐で結わえると、マユーラは荷物入れを確認した。姉の片付け方には慣れている。
「姫さま、ありましたよ」
「良かった、……その、マユーラ、少しだけ読んでもいいかしら?」
「今からですか? ……そうですね、じゃあマルセイが、就寝の挨拶に来るまでですよ?」
交代で今、湯浴みをしているのは、アレイナの後に入ったマルセイだ。おそらく、支度もあるから挨拶は九の鐘くらいになるだろう。
そのくらいなら、さすがの姉も目くじらを立てないだろう。マユーラは口許に人差し指をあて『内緒にしますからね』と片目を閉じた。
「ありがとう、それまでにはちゃんと寝るわ」
「では、わたしもアレイナの交代で、湯浴みをして参ります、何かあったらドアの前にトゥルク殿も、続きの間にアレイナもいますから声をかけてくださいませ」
「ふふ……、わかったわ」
天蓋の薄布を引き、マユーラは『お休みなさいませ』とその場を離れた。
セレンディーナは『おやすみなさい』の挨拶もそこそこに、本のページを開き、今朝の続きを読み進めようとした。……が、はやる気持ちとは裏腹に、活字か上滑りして頭に入って来ない。
「……やっぱり、移動で疲れたのかしら?」
仕方なく本を閉じ、窓側の薄布を開けてベッドから窓の外を見る。帳が降りた空の闇は濃い藍色で、小さな星がい幾つも瞬いてるように見えた。空が近い分、星も良く見えるだろうか?
ふと、バルコニーの柵の合間から、赤い橙色の光が見えた。
「……あの灯りは何かしら?」
ベッドから降りて窓辺へ寄っても良く見えない。セレンディーナはチラリと誰もいない部屋を見やり思案する。
今なら、少しだけバルコニーに出ても気付かれないだろうか? 小さな好奇心が、ムクムクと心の中で膨らんでいくのがわかる。
寒くないように肩から厚手の布をかけ、髪の色が分からないように頭からもう一枚布をかぶり窓辺に立つ。もう一度、誰もいない部屋を確認して、窓の鍵に手をかける。
少しだけ、すぐ戻るから大丈夫!
心の中でそう唱えて、セレンディーナは音を立てないように、窓の扉を開けた。
冷やりとした外の空気が頬にあたり、かぶっていた布をぎゅっと身体に引き寄せた。辺りはシンと静まり返り誰もいないように見える。バルコニーの柵まで行き、気になっていた橙色の灯りを見下ろした。
「……火が、燃やされているのかしら?」
ガレジアではあまり見ない灯り、本の物語の中で同じように、中庭に置かれている火の表現があった気がする。確か……。
なんと書かれていたのか、思い出すように目を閉じた時。
「……篝火ですよ」
「……っ!?」
近くで聞こえた声に、セレンディーナの心臓が、身体ごと大きく跳ねて固まった。外に、人がいただなんて……。
声が漏れないよう片手で口元を押さえ、かぶっていた布を引き寄せて、自分の顔が見えないように声の方を見た。
けれど、バルコニーの横に仕切りのような壁があり、声の主を見つけることは出来なかった。
少し高い少年の声だった。……こんな時間に?
キョロキョロとまわりを確認したが、何処にも声の主を見つけることが出来ない。
取り合えず、この姿を誰にもさらしてはならない。戻らなければと、セレンディーナは窓辺へ戻り扉に手をかけた。
「あ、あやしい者ではありません! オレ、……イヤ、わたしは騎士見習いで……」
「……っ」
セレンディーナは驚いた。この国は、騎士見習いに要人の警護をさせるのだろうか? だとしたら、ガレジア帝国を軽視している事に繋がってしまう。
「あっ、イヤ、……えっと、大丈夫です、ちゃんと騎士が警護してますから!」
「……」
まずい事を言った自覚があったのか、声だけの騎士見習いは、あわてて弁明する。
「今日は人手がなくて……、食事の交代の鐘半時の間だけ、わたしが担当を任されたんですが、まさかガレジアの侍女さんがバルコニーに出て来るとは思わなくて……」
バルコニーの壁の向こうにいる騎士見習いは、どうやらセレンディーナを侍女だと思っているようだった。
確かに、警護対象の帝国の花嫁が、こんな格好で一人、バルコニーにいるとは夢にも思わないだろう。
「オレ、イヤ、……わたしと今話した事は、内緒にしていただけないでしょうか?」
「……」
騎士見習いと言った事を言っているのだろう。なんとも頼りない感じだが、お願いされたのは、セレンディーナにとって好都合だった。
姿も見られてはいないし、今のうちに中に入った方がいいと思う。けれど、せっかく侍女と間違えてくれているし、お互いに相手が見えない位置。
部屋に入る前に一つだけ、どうしても知りたい事を聞いてみたくなった。
「いいですよ、でも、内緒にする代わりに教えて欲しいことがあるの」
セレンディーナは、なるべく侍女のマルセイとマユーラの口調をまねて言ってみた。
「……教えて欲しいこと、ですか?」
姿が見えない帝国の侍女の意外な申し出に、騎士見習いの少年の声が緊張する。交換条件なのだから無理もない。
「ひ、姫さまのご結婚相手って、どなたか知っているかしら?」
「えっ……」
少年の声がそのまま沈黙してしまった。あまり時間がないので早く返事が欲しい。気持ちがジリジリしてしまう。
「知らされて、いないのですか?」
「えぇ、だから聞いているの姫さまが不憫で、……知っているかしら?」
焦ってつい、お小言の時のマルセイのような口調になってしまう。
「……そう、ですか、……オレ達もまだ、正式には知らされてないんですが、噂では第一王子のアドルフィン様だろうと」
第一王子、アドルフィン――
唯一王子の中で聞いたことのある名前に、セレンディーナは一瞬だけ唇を噛む。確か先の戦で、ガレジア帝国騎士達を苦しめた。ドルディアの英雄の名前だった。
「ありがとう、今日の事は言わないから安心してください」
「えっ? ……あっ、侍女さん?」
セレンディーナはそれだけ言うと、扉を開けて部屋に入り、急いで天蓋の薄布を開けてベッドへ滑り込んだ。
まだ部屋には誰もいないようで静か。ドッ、ドッ、ドッ、と自分の心臓が煩いくらいに高鳴っている。セレンディーナは胸元を押さえて大きく息をついた。
「緊張したぁ……」
今の姿と頭からかぶった布で、皇女とはバレることはないだろうが、万が一もある。震える自分の身体を抱きしめて、何度か大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「姫さま?」
続きの間から静かにマルセイがベッドに近づいて来た。小さな声でセレンディーナを呼び、眠っているか確認するように、そっと天蓋の薄布をめくる。
頭から布をかぶったままの彼女を見るなり、マルセイは鼻にしわを寄せて口を開く。
「何をしていらっしゃるのですか?」
「……ごめんなさいマルセイ、えっと、寒かったみたい」
「せっかくマユーラの編んだ御髪が台無しではないですか! 寒かったなら布団をかけて下さいませ、編みなおしますのでこちらに座ってください」
布を剥ぐなり、ボサボサになったセレンディーナの髪を見て、マルセイは大きくため息をついた。逆らうことなくセレンディーナは、ベッドサイドに座りマルセイに髪を編み込んでもらう。いつものお小言も、あまり耳に入って来ない。
頭の中をしめるのは、先ほど聞いた王子の名前。
マルセイに聞いたら、もう少し彼の事がわかるだろうか?
そう思いついて口を開こうとするも、突然言い出した理由を推測されてしまうと、色々突っ込まれて分が悪い。
「マルセイ」
「何でしょう?」
「あの、……婚約者の王子様は、明日になったらわかるのかしら?」
髪を編みなおしているマルセイの手が一瞬止まる。
「……そうですね、さすがにわかるでしょう、明日謁見の説明があるので、文官に聞いてみましょう」
「うん」
髪を編み終えたマルセイは、ベッドサイドに水差しとコップを置いて、セレンディーナにベッドへ入るよう掛け布団を上げる。
「さぁ、明日は謁見です、きちんと寝て、今日の疲れをとって下さいまし」
「そうね、そうするわ」
「今日はお疲れ様でしたセレンディーナ様、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、マルセイ」
布団をかけてもらい、セレンディーナは天蓋を一度見つめてから目を閉じた。瞼の裏にぼんやりと灯る篝火。頭の中をしめていた第一王子の名前が、繰り返しながら遠くなってゆく。
薄布を寄せて閉じる音がして、衣擦れと遠くなる足音を聞きながら、ゆっくりと落ちるようにセレンディーナは眠りについた。




