4 教育 ~緑の月 星曜日~ ②切ない事実
ノックの音もそこそこに、扉の向こうの護衛騎士トゥルクの声が廊下から響いた。
あわててセレンディーナは布を被り、天蓋の中、ベッドの上へ駈け込んだ。
「モルフェン殿、どうされましたか?」
ベッド前の衝立を直してから、対応したマルセイが迷惑そうに、扉の向こうにいるモルフェンを見る。
「重ね重ね失礼いたします、こちらを宰相フェローの夫人から、渡すよう頼まれておりましたのを思い出して……、皇女殿下にお渡し下さい」
「……っ?」
開けた扉の前に立ったまま、モルフェンが若草色の美しい封筒を、両手でマルセイに手渡した。
えんじ色の蝋で家紋が押され、封がされた手紙には『招待状』とあり、裏には女性らしい字で『ミスティーナ・フェロー』とサインがされてあった。
「承りました、……が、もう忘れ物はございませんか?」
「……っ、はい! もう大丈夫です」
呆れが出てしまったマルセイの問いに、生真面目に直立してから謝罪の礼をとり『失礼いたします』とモルフェンが再び退出した。
***
「ふふふふ……、本当に筆頭文官なのが不思議なくらいに、抜けていらっしゃいますね」
扉が閉まって直ぐ、我慢出来ずにマユーラが笑い出してしまう。
「渡し忘れで再度訪問とか、ミルナがいたら嫌味の一つでも言わせるのに、心臓に悪いったら!」
あまりの事に、マルセイは帝国に置いて行かざるおえなかった、セレンディーナの文官の名を出してしまう。
「まぁまぁ、これで今日一日姫さまはこのままで過ごせるんですから良しとしましょう」
「……まぁ、そうね、お茶でも飲んで落ち着きましょう」
「姫さま、お茶にするので一応布を被ったまま、ベッドから出て下さいまし」
そのままマルセイはお茶の用意を始め、マユーラはテーブルを片付ける。
「……あら? ……姫さま?」
「どうしたのかしら?」
呼んでも無反応な衝立の向こうを心配して覗き込むと、ベッドの上でセレンディーナは先程の文官の置いていった紙に夢中だった。恋物語でもないのに珍しい。
「……姫さま?」
いつも勉強に後ろ向きな主が、ここまで食い入るように勉強の紙を読むとは……。
侍女二人は思わず顔を見合せて、無表情天然ボケ文官、イヤ、モルフェンが描いたであろう地図と資料を改めて覗き込んだ。
「これ、とても見やすくて、わかりやすくて面白いの」
「……面白い、ですか?」
「うん、面白いわ」
「……そうですか?」
そんなに面白いのか? と半信半疑で地図を読むと……。
「あぁ、……確かに、字だけではなく、小さな絵も描かれていますね?」
「そうなの、地図に数字と絵が描かれていてね、この小さなお城の絵の横に城の名前と領主の名前、ここのトルソワとの国境付近の①だと、へレスタ城・領主:シャラーテ 白パンの絵が三つ並んでいるから穀物の生産がさかん、あと羽の氷で覆われる夜の季節には織物を作っているみたい」
「ん? ……それは、何処に書かれていますか?」
「もう一枚の紙の①の所よ、このへレスタ城は国境に面していて、ドルディア城より高い塀に囲まれた城塞だって書かれているわ、どんなお城なのかしら? 気になるわ」
楽しそうに説明をしてくれる主に、侍女二人が目を見張る。
「凄い事です」
「……なにが?」
この姫さまが、すでに一つの領地をここまで把握して説明出来ている事がすごい。しかもさっき見たばかりの他国の地図なのだ。
「姫さまがお勉強で、こんなに楽しそうにされるのが凄いんです」
「……、だって地理の授業って、淡々と読むだけなんだもの、眠くなっちゃう」
「確かに、ガレジアの地理の本は、文字の羅列ばかりで頭に入りずらいですもんね、壁に掛けた地図を先生が授業で指すくらいで……」
二人とも、自分たちが侍女見習いでガレジア帝国に来た時に、地理を覚えるのに苦労したことを思い出していた。
「見て! ココ芋は、この領地で作っているみたい」
「……地図だけで、何故わかるんですか?」
「さっきも言ったわ、ほら、ココ芋の絵が四つ並んでるでしょ?」
「あぁ……、そう言えば!」
「ではこっちの領地はココ芋の絵が二つと魔石のマークが三つあるので、ココ芋を育てながら魔獣が出る森で狩りが盛んなのでしょうか?」
「えっと……、違うみたい、魔石を加工する工場がこの街にあって、王都や主要の街の魔法道具屋さんに卸しているみたいよ」
気付いたら、お茶も忘れて三人で、その紙の内容に夢中になっていた。
「へぇ、本当に面白いですね、魔石加工とココ芋の領地、バレー城・領主:レイナード・ロ・ガング・ドルディア」
「あれ? レイナードって第三王子殿下の名前でしたよね?」
「そうね、さっきモルフェンが言っていた名前だわ」
「第三王子なのに、ガレジア帝国との国境の領地を任されているなんて……」
「英雄の第一王子の仮の領地ならわかる気がするけど……」
「王都のドルディア城から遠い辺境の地、戦では最前線のお城ですね」
名を聞く事はなかったけれど、やはり第三王子殿下も最前線に出ていたのだろうか? 会ったことのない、彼に思いを向けてみる。
「あら、王都のすぐ隣にフェルテス様の、第二王子殿下の領地がございますよ?」
『マルロー城・領主:フェルテス・ロ・ガング・ドルディア』
「本当だわ、王都城下町シエロがここの城下町ドニプレにも近いから、商いが盛んな街みたいね? 宿屋も大衆食堂もあるみたい」
こんな大きな街を治めるのは、身体の弱いフェルテス殿下には大変ではないのか? と彼の顔を思い出して色々考えてみる。
「そう言えば、フェルテス殿下以外の王子殿下とは、夜会でお会いできたのですか?」
「……うぅん、会えていないわ」
それドコロではなかったのもある、けれど……。
ふと先日の夜に、バルコニーで騎士見習いのドレィンが話していた言葉が頭をよぎった。
『第一王子はまだ戻られていなくて騎士もおらず、第三王子の騎士達は今日領地で崩落事故が起きて現場に向かってしまって……』
どちらもまだ、戻られていないのかも知れない。
「夜会なのに王子殿下一人ですか……」
「そうそう、フェルテス殿下は、どうでしたか? キラキラした素敵な方でしたけど、姫さま昨夜落ち込んだ感じでしたので心配したんですよ? 特にマルセイが」
「マユーラ?」
軽口をたたくマユーラを咎めるも、心配顔でセレンディーナを見つめるマルセイは、亡き母より自分に心を砕いてくれている侍女だった。
命の保証もないかも知れない自分の婚礼。その地まで、一緒に来てくれた少ないこの従者を、こんな風に心配させてはいけない。
今後の事もあるから、フェルテス殿下の事を話さなくてはいけないなと。セレンディーナは心に決めた。
「姫さま、何か哀しい事でもございましたか?」
「もしかして、フェルテス殿下、顔はいいけど性格最悪でした?」
「マユーラ!?」
なんて不敬な事を! と言う目で睨むマルセイと、あわてて口を押えるマユーラを目の前にして、セレンディーナはつい我慢できずに吹き出してしまった。
「あはは……大丈夫、フェルテス殿下は、気遣いのあるとても素敵な方でしたよ? ……でもね、残念な事があったの」
「……残念な、事ですか?」
「うん」
「フェルテス殿下は王妃さまに似てるでしょ? そして……、レチアーノ王妃さまは、とても病弱な方だったそうなの」
何となく言いずらく、遠回しに言ってしまう。
「……っ、もしかして」
「フェルテス殿下も?」
「うん……、そうなの、だからフェルテス殿下は、この国の王様にはなれないんだって……」
「まぁ」
「それで姫さまは、落ち込んでいらっしゃったのですね?」
「うん」
キレイで優しくて気遣いのある王子様。身体が弱かったからきっと、前戦で戦う事もなかっただろう。
セレンディーナは、戦でガレジアの騎士と対峙していない王子殿下が良いなと思っていた。それが叶いそうもなくなり、残念だったのだ。
「では、姫さまと結婚する王子殿下は、御二人に絞られましたね」




