3 夜会 ~緑の月 花曜日~ ④フェルテスの一礼
今は好意的だけれど、一度敵に回ってしまったら、自分などひとたまりもないだろうと思い、怖くなった。
「姫、怒らないでください、ダンスが得意ではないのは本当なのです」
視線をフェルテスに戻すと、初めて見た彼の困り顔に、セレンディーナは目を見開いた。
「わたしはこの通り、母親である王妃に似て、子供の頃は病弱だったのです」
「……」
病弱……? レチアーノ王妃がご病気で見罷られた情報しか知り得ていない。フェルテスの言葉でその事実を知らされる。
「見習いの年齢になる十歳まで、城内を歩く事を夢見て生きて来たのです」
「……夢?」
「えぇ、十歳を過ぎた頃、体力がついて来たのか、城内を歩く事が叶いました、だが王子としての責務までは届きませんでした」
「……っ」
「だから唯一出来る勉学を、詰め込めるだけ詰め込みました」
今出来る事を、一所懸命に……。
「成人して、十五歳半ば過ぎた頃、良い薬が調合されて、やっと政務をこなせる体力を得ました」
フェルテスの突然の独白に、セレンディーナは困惑していた。初対面の自分に晒す内容ではないからだ。
「……では、ダンスを覚えたのも、成人してからでしょうか?」
「そうです」
才知に長けるどころか、フェルテス殿下は努力家でも、いらっしゃる。目の前の穏やかな笑顔からは想像し得ない彼の一面に目を見張った。
気付くと、ダンスがエンディングに向かっていた。
ゆったりと流れる曲に合わせて、病弱だったと言う王子殿下に身を任せ、セレンディーナは静かに回転してからフェルテスと向き合い、終わりの礼をとる。
「だから緊張して、今日は回りをココ芋にしてしまいました」
「……っ、そ、そんな風には見えませんでした」
何とか笑うのをこらえて、セレンディーナは言葉を返す。
穏やかに笑むフェルテスに手を取られ、もう一度回転してから、彼にココ芋にされていた貴賓の方々に笑顔で挨拶をした。
割れんばかりの拍手の後。しっとりとした二曲目の演奏が始まり。会場のそこかしこで貴賓の方々が踊り始める。
「セレンディーナ姫、こちらへ」
エスコートするフェルテスに導かれて、中庭へ出て中央の噴水まで歩く。
まだ二曲目だからか、中庭には二人しか人は出ていなかった。正確に言えば、お互いの騎士が二人ずつ、中庭の少し離れた位置で護衛していたけれど。
「……お聞きしたい事が、あって……」
「? はい」
「父と……、イヤ、国王陛下と話していた物語とは、一体どう言うものなのでしょう?」
噴水の手前でエスコートの手を放し、真っ直ぐセレンディーナを見下ろすフェルテスの水色の瞳に、微かに不安が混じって見えた。
「……」
煌びやかな照明の中ではない、穏やかな笑顔の消えたフェルテスの表情が、父親との距離感を物語る。
確かに、挨拶での話の内容は、元敵国の花嫁の距離感ではなかっただろう。
頂いたドレスの由縁…―――
次の代のため、大事な思い出ごとドレスをくださった、国王の懐の大きさを感じた。
ガレジア帝国での自分と皇帝陛下との距離を思い浮かべ、セレンディーナは苦笑した。アレほどの距離は、国王とフェルテスにはないだろうと。
「恋物語です」
「……はい?」
「わたしが着ているこのドレスは、国王陛下に頂いた王妃さまのもので、レチアーノ王妃がドルディア王国に嫁いで来た日にお召しになっていたものだったのです」
「……」
「嫁いだばかりのレチアーノ様が、王太子だった今の国王陛下に恋をして、頑張ってお心を射止めたお話を、侍女長メルテンに聞いたので、ご本人の国王陛下からのお話もお聞きしたいと、先程お願いしていたんです」
「……えっ? えぇっ? ……それが先程の、その、……物語、ですか?」
「はい、良かったらフェルテス殿下もご一緒に、国王陛下からの恋物語を聞きませんか?」
「……っ!」
フェルテスが、急に俯いて自分の肩を掴み、苦しそうに何かを堪えているようだった。
「フェルテス殿下!?」
体調が悪くなったのかと心配して覗き込むと、彼はセレンディーナに背を向けて、更に堪えるように肩を震わせた。
「殿下? 体調が悪ければ、すぐに騎士を呼びますが?」
彼の騎士の位置を確認しつつ、前に回ってもう一度、フェルテスを覗き込むと、お腹まで抱えて笑いを堪えている彼の顔を見つけてしまった。
「……えっ?」
「……くっ、……あ、暗号を使って、政治的な話をしてるのかと、……っ、思っていたのでっ、くくっ、まさか、……こ、恋物語だったとは……」
息も絶え絶えに、目の前の王子殿下が笑っている。そんなに笑う所だっただろうか? とセレンディーナは困って彼を見つめた。
フェルテスの頭の中で、様々に不穏な事を想像して聞いた矢先。自分の両親である国王と王妃の恋物語を一緒に聞きますか? などと無邪気に誘うセレンディーナに耐えかねてしまったようだった。
元敵国であった帝国の花嫁と国王が、まさかそんな微笑ましい言葉のやり取りを、伏せながら行っているとは夢にも思わなかったのである。
隠していた毒気さえも、一気に抜け落ちてしまったみたいだ。
「セレンディーナ姫、体調を気遣ってくださり、ありがとうございます」
「はい、何ともなくて本当に良かったです」
疑いもなく、真っ直ぐに自分を心配したセレンディーナを、フェルテスは優しく見つめる。
「今夜貴女にお会い出来てよかった、セレンディーナ姫、これからもどうぞ宜しくお願いします」
フェルテスは、ゆっくりと膝を折り礼をとる。見たことのある礼の形にセレンディーナは違和感を覚えた。
待合室で初めて会った時の礼ではなかったからだ。
それは、第一王子筆頭文官キルディスのとったものと同じ。そして、待合室で彼の筆頭文官であるマシェロスが、遅れたことを詫びながらとった礼と同じ。臣下の礼だった。
「フェルテス殿下?」
臣下の礼をとったまま、真っ直ぐに自分を見上げて来るフェルテスに、セレンディーナは何も言うことが出来ず、彼を見つめ返すので精一杯だった。
「わたしは、先ほど言ったように身体が弱く、この国の王にはなれません、……そして、これが今、貴方に伝えられる精一杯なのです」
「……」
星明りの下、二曲目のダンスの演奏が遠くに聞こえる。噴水の水が流れ落ちる音が、やけに大きく感じるくらい辺りは静かだった。
フェルテスが伝えてくれた真実を、セレンディーナは哀しいと思いながら心の中で噛みしめた。




