2 謁見 ~緑の月 風曜日~ ⑥セシルを目指す騎士
夕餉後の湯浴みが済み、セレンディーナは寝間着に着替えさせてもらった。九の鐘の就寝の挨拶までベッドの上で本を読もうと開いてみるが、昼間の興奮が冷めていないようで、また活字が上滑りしてゆく。
「今日も、ダメみたい」
息を付いて本を閉じると、ふと夕暮れ前に見たテラスの景色が目に浮かぶ。赤い旗と青い旗。民の歓迎の証。
「……本当に、そうだったらいいのに」
トゥルクの言葉を真に受けるほど、セレンディーナも楽観視はしていない。けれど、この居心地の良い人々を、ドルディアの民だからと憎むことは出来なかった。
何となく昨日のように布をかぶり、テラスへ出てみた。九の鐘前だから見られても問題ない姿だが、何となく見られないようにした。
侍女二人と女騎士は交代で湯浴み中だった。少しなら怒られないだろう。
外へ出ると冷たい風が頬を撫で、息が白かった。見上げると、ガレジアでは見ることのないくらいの、たくさんの星が瞬いていた。その美しさに、しばらくセレンディーナは見入った。
「……きれい」
「あっ……」
思わず声を上げると、隣の見えないテラスからも声が上がった。聞いたことのある声、昨日の見習い騎士のものだった。セレンディーナは、隣に護衛がいるのをすっかり忘れていた。
また、見習い騎士さんなのかしら? 昨日だけと言っていたのに。
「あのっ、昨日は! 言わないでくれてありがとう、……ございました」
「二日間も見習いさんだなんて、こちらも不安だからトゥルク殿に苦情を言わないと……」
話しかけられてしまったので、仕方なく、マルセイの口調をマネて冷たく言ってみる。姿は見えないとはいえ、昨日と違う十六歳の姿だから落ち着かない。早めに戻りたい。
「本当に今、人がいないんです! 第一王子はまだ戻られていなくて騎士もおらず、第三王子の騎士達は今日領地で崩落事故が起きて現場に向かってしまって……」
必死の言い方だが、王子付きの騎士がいないくらいで騎士がいないとは、この城の守りを不安視してしまうだろう。
「この国には、騎士がいないのですか?」
「要人の警護はセシルの称号が必要ですので……」
セシルとは、この世界の王侯貴族に使える事の出来る、騎士の最上級の称号のことである。一定以上の剣技と礼節を重んじた厳しい試験をクリアした者のみに与えられる誉。
セレンディーナ付きの二人の騎士、アレイナとトゥルクはもちろんセシルの称号を持っている騎士だ。
「見習いさんは、セシルの称号を持っていないんでしょう?」
「一つだけ、クリアしました」
セシルの称号は、成人するまでに取ることが出来たら、就職率も跳ね上がるので、見習いの内に試験を受ける者がいると聞いたことがある。
それで、交代要員になれたと言うわけなのね……。実力はあっても、成人していなければ見習いである、この世界の決まりなのだ。
「……そう、見習いさんが交代要員なのは納得しました、ではさようなら」
この見習いさんが護衛であることに不安はなくなったけれど。これ以上仲良く話をするのはマズいだろうと、セレンディーナは踵を返して部屋へ戻ろうとした。
「侍女さん待って!」
「……なんでしょう?」
「オレ! ……イヤ、私は騎士見習いでセシルを目指している、ドレィンと言います、あのっ、お名前を聞いても?」
「……っ」
名乗られてしまった。困った。
帝国の皇女の侍女は実質二人しかいない。二人の名前を言う訳にはいかないし。無視して部屋に入って、他の騎士達に帝国の侍女の悪い噂を流されても困る。
仕方がない。セレンディーナは、覚悟を決めて口を開いた。
「……ディナよ」
「ディナ……、さん」
覚えるかのように、名前をつぶやかれてしまった。まずい、このままじゃ大変な事になるかも知れない。セレンディーナは頭を抱えたくなった。
「ドレィン、お願いだから、この事は誰にも言わないで」
「えっ?」
いるはずのない侍女。偽りの名を名乗ってしまった。セレンディーナは部屋へ駈け込み、ベッドのなかへ深く潜り込んで猛省した。




