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Democratic Empire 〜民主帝国の皇帝〜  作者:
エスターライヒの残像
8/9

民主帝国とN-W-E

 アルカナ連邦の併合式典は、静かなものだった。

 ハバロフスクの政府庁舎。かつてアルカナ連邦の旗が掲げられていた場所に、エスター民主帝国の旗が上がった。集まった市民は、声一つ上げなかった。拍手もなかった。ただ、旗が変わるのを、黙って見ていた。

 エルヴィンがロニーの隣で、その光景を見ていた。

「……複雑だな」エルヴィンは小さく言った。

「何がだ」

「喜んでいない。でも、抵抗もしていない」

 ロニーは言った。「人間は、変えられない現実を前にすると、感情を止めるのかもしれない。」

 エルヴィンは黙った。

 式典が終わり、エスターの旗が風に揺れた。



 問題は、ギール地方で起きていた。

 国号変更と政治体制の発表から一週間、首都ヴェルナでは連日デモが続いていた。

 「帝国への逆戻りだ」「民主主義を返せ」「エスターライヒの亡霊が蘇った」——

 報告書を読みながら、ハルトが言った。「想定の範囲内だが、規模が予想より大きい。早めに手を打つべきだ」

「わかっている」ロニーは言った。「広場を押さえろ。俺が話す」



 二日後、ヴェルナ中央広場に人が集まった。

 デモ隊も来ていた。プラカードを持ち、声を上げていた。警備兵が広場の周囲を固めていた。

 ロニーが演台に立った瞬間、広場が静まった。

 デモ隊の怒声が飛んだ。「帝国主義者!」「独裁者!」

 ロニーはそれを一切無視して、口を開いた。

「皆さん、帝国という言葉を聞いて、何を思いましたか」

 広場が静まった。

「暴君。独裁。民衆を踏みにじる支配者——そういうものを、思い浮かべた方が多いでしょう」

 誰も答えなかった。

「正しい恐れです」ロニーは続けた。「歴史上、帝国が腐敗するのは、頂点の存在が暴走するからです。皇帝が一人で全てを決め、議会も、民衆も、その声を届ける場所がなくなる。だから帝国は滅びる」

 広場が静まり返っていた。

「しかし——」ロニーは一拍置いた。「民主主義だけでも、国は弱い。議論が続く間に敵は動く。決断が遅れ、国家は漂流する。皆さんはギール共和国の混乱を、覚えているはずです」

 デモ隊の一人が叫んだ。「それでも独裁よりましだ!」

「独裁ではありません」ロニーは静かに言った。「民主主義による議会が存在する。皇帝はその議会と均衡をとる。民衆の声は議会を通じて国政に届く。そして皇帝は、その声を背負って決断する」

 ロニーは広場を見渡した。

「それが——民主帝国です」

 沈黙が落ちた。

 やがて、広場の一角から拍手が起きた。最初は少数だった。しかしそれが広がった。広がり続けた。

 デモ隊の声は、徐々に拍手の波に飲み込まれていった。

 ロニーは演台に立ちながら、内心で静かに思った。

 これがデモクラシック・エンパイアだ。

 民衆を熱狂させながら、民衆を操る。矛盾が、完璧に噛み合っていた。

 口の端が、わずかに上がった。



 夜、大統領府の作戦室にロニー、エルヴィン、アーシャ、ハルトの四人が集まった。

 机の上に、アジアの地図が広げられていた。

 ロニーが口を開いた。「新大東同盟と戦争をする」

 エルヴィンが顔を上げた。「え?」

 アーシャが地図を見つめたまま、静かに言った。「……本気か」

「本気だ」

 エルヴィンが立ち上がった。「待ってくれ。アルカナを併合したばかりだぞ。軍も、国民も、まだ疲弊している。それに新大東同盟は——極東自治国、長海大公国、アセアン連合国を加えた四カ国同盟だ。兵力も領土も——」

「知っている」

「なら——」

「エルヴィン」ロニーは弟を見た。「勝つ方法が、1つだけある」

 エルヴィンは黙った。

 アーシャがロニーを見た。「聞かせろ」

 ロニーは地図の上に手を置いた。

「N-W-E作戦だ」


 ロニーは地図の三点を順に指した。

「北、西、東。この三方向から同時に攻める。敵に1つの戦線に集中させない。それが基本構造だ」

 ハルトが地図を覗き込んだ。「北から詳しく聞かせろ」

「ハルト、北の作戦はお前に考えてもらいたい」

 ハルトは少し驚いた顔をした。それから、地図を見つめた。しばらく無言で考え、口を開いた。

「……バイカル湖だ」

「続けろ」

「冬季軍を極東自治国に集中進軍させ、バイカル湖を目標に南下する。バイカル湖は極東自治国のほぼ中央に位置する。そこに到達すれば——」

「自治国が南北に両断される」ロニーが続けた。

「北部は孤立し、補給が断たれる。自然と降伏する」

 ハルトは言った。「南部に後退した極東軍は、そのまま大東亜国の首都方面への南下を迎え撃つ形になるが——」

「手こずれば、W・Eに移る。北はその時点で保留だ」

 ハルトは頷いた。「これは——いける」


「次、西だ」ロニーは長海大公国の位置を指した。

 アーシャが言った。「エスター軍だけでは難しい。西からの進軍ルートは補給線が細すぎる」

「わかっている。だから——」ロニーは華東共和国の領域を指した。「華東共和国と手を組む」

 エルヴィンが目を丸くした。「華東と?」

「華東は長海大公国と国境を接している。しかも長海は大東亜国の傀儡だ。華東にとっても、長海の存在は喉元の刃だ。利害が一致する」

 アーシャが少し考えてから言った。「華東との協力、それは使える。華東軍が重慶に向けて電撃戦を仕掛け、エスター軍が後方から支援する形にすれば——補給線の問題も解決できる」

 ロニーはアーシャを見た。「それを採用する」

「西の奇襲は、相手が予知していないことが絶対条件だ」ロニーは続けた。「華東との交渉は極秘で進める。情報が漏れた瞬間、作戦は死ぬ」


「そして東だ」ロニーは台湾の位置を指した。「海上から台湾を攻撃し、上陸する。スムーズに制圧できれば——」

 アーシャが地図を見ながら言った。「台湾を押さえれば、大陸沿岸部への上陸拠点になる」

「そこから大陸沿岸に上陸し、北・西・東から大東亜国を包囲する」

 ロニーは地図の上で三本の矢印を描くように指を動かした。

「包囲が完成した時点で、大東亜国に選択肢はなくなる。長期戦になる前に、終わらせる」

 作戦室が静まった。

 エルヴィンがゆっくりと地図を見つめた。北からの南下。西からの奇襲。東からの上陸。三つの矢が、大東亜国に向かって収束していく。

「……これ、本当に勝てるのか」エルヴィンは呟いた。

「勝てる」ロニーは言った。

 アーシャが静かに言った。「条件が揃えば——可能だ」

 ハルトが頷いた。「華東との交渉次第だが、筋は通っている」

 エルヴィンはしばらく地図を見ていた。それから、深く息を吐いた。

「……しかたがない……のか」

 ロニーはエルヴィンを見た。弟の目に、まだ迷いがあった。しかしその奥に、諦めではなく、覚悟があった。



 作戦室が解散した後、アーシャだけが残った。

 地図を片付けながら、静かに言った。

「ロニー」

「何だ」

「N-W-E、成功する確率は本当にどのくらいだと思っている」

 ロニーは少し間を置いた。

「六十パーセントだ」

 アーシャが顔を上げた。「……正直だな」

「お前には嘘をついても意味がない」

 アーシャはしばらくロニーを見ていた。それから、小さく笑った。

「その六十を、百にするのが私の仕事か」

「そういうことだ」

 アーシャは地図を丸めた。扉に向かいながら言った。

「任せろ」

 扉が閉まった。

 ロニーは一人、作戦室に残った。

 地図の上に、三本の矢印が残っていた。

 北。西。東。

 エスターライヒは、ここから再び始まる。

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