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Democratic Empire 〜民主帝国の皇帝〜  作者:
エスターライヒの残像
7/11

ギール・アルカナ戦争

 冬が、戦場を支配していた。

 大北進計画が発動した日、半島から冬季軍がアルカナの領土へ向けて進撃を開始した。気温はマイナス十五度を下回っていた。吹雪が視界を奪い、地面は凍りついていた。

 最初の一ヶ月、戦線は膠着した。

 アルカナ連邦の守備隊は、地形を熟知していた。山岳地帯に陣を張り、冬季の補給路の細さを突いてきた。ギール軍は前進できず、損害が積み重なった。

 報告書が毎日届いた。ロニーはそれを執務室で読み続けた。

 エルヴィンが心配そうに言った。「膠着が続いてる。このまま春になったら——」

「ならない」ロニーは言った。

「でも——」

「エルヴィン」ロニーは弟を見た。

 エルヴィンは黙った。

 ロニーは報告書に目を戻した。

「待て。あと少しだ。」



 四十三日目、戦線が動いた。

 アルカナ連邦の守備隊に、疲弊の兆候が現れ始めた。補給が滞り、防衛線に穴が開き始めた。ギール軍の冬季精鋭部隊は、その穴を的確に突いた。

 最初の都市が陥落した。

 次の都市が陥落した。

 また次の都市が——

 一週間で、アルカナ連邦北部の主要都市が次々とギール軍の手に落ちた。防衛線は崩壊し、アルカナ軍は後退を続けた。

 報告書を読みながら、ロニーは立ち上がった。

 窓の外を見た。ヴェルナの空は曇っていた。しかしロニーの目には、その向こうに広がる白い大地が見えていた。

「ハルト」

 隣に立っていたハルトが答えた。「何だ」

「北部、制圧だ」

 ハルトが静かに言った。「ああ」

 ロニーは笑った。

 声を出して、笑った。

 ハルトが驚いた顔でロニーを見た。執務室にロニーの笑い声が響いた。低く、しかし確かに、心の底から出てくる笑いだった。

「ロニー……?」

「すまない」ロニーは笑いを収めた。しかし目が、違った。燃えていた。「これは、始まりに過ぎない」



 同時進行で、日本海では別の戦いが続いていた。

 アーシャが指揮する艦隊は、数においても装備においても、アルカナ海軍を上回っていた。しかしアルカナのグーマン大将は、ターン戦術——小艦隊を交互に前進させ、ギール艦隊を消耗させる戦法——を駆使し、戦線を維持し続けた。

「なんだこれは!私が活躍しなくてはならないのに……グーマンめ!」

 アーシャからの報告は、毎日届いた。

「苦戦。損害拡大。突破口が見えない——」

 しかしロニーは、その報告を受けても動揺はしなかった。

「それでいい。海は彼らのものだったかもしれない。」

 


 アルカナ北部制圧から五日後、サハリンから艦隊が動いた。

 アルカナ連邦がグーマン艦隊の日本海防衛に全力を注いでいる間に、ギール海軍の別動隊がサハリン海峡を抜け、アルカナ海岸地方の沿岸に強襲上陸した。

 上陸部隊は二十四時間以内に沿岸の防衛拠点を制圧し、内陸へ向けて進撃を開始した。

「彼らは愚かだ。ただ戦いに勝つだけでは駄目だ。」

 ロニーはそう言いながら地図にある駒を進めた。

「首都まで目前……か」

 アルカナ連邦の首都、ハバロフスク。三日後、その都市は四方を包囲され、あっけなく陥落していった。

「計画は遂行した。そしてエスターライヒの再構築が進んだ。」



 降伏の宣言をしたのは、首都陥落から二日後だった。ロニーは大統領府の執務室で、その報告を受けた。

 「アルカナ連邦政府はギール共和国の無条件降伏勧告を受諾する。」

 使者の言葉を聞いた瞬間、ロニーは目を閉じた。

 一秒。

 二秒。

 目を開けた。

 そして——笑った。

 今度は抑えなかった。

 高らかに、執務室に響き渡るほどに、笑った。ハルトが目を丸くした。エルヴィンが呆然とした。使者が怯えた顔をした。

 ロニーはそれを気にしなかった。

 勝った。

「父さん、俺は勝った——!」

 笑いが収まった後、ロニーは降伏文書を調印しに来た使者を見た。

 その目は、もう笑っていなかった。

 冷たく、静かに、燃えていた。

「……」



 勝利の宣言から一週間後、ロニーは国民に向けて演説した。

 大統領府の広場。ヴェルナ中から人が集まっていた。

「我々は勝利しました。アルカナ連邦は降伏し、アルカナは我が国の正当な領土となりました」

 歓声が広場を揺らした。

「しかし——」

 ロニーは一拍置いた。広場が静まった。

「この勝利は、終わりではありません。始まりです。」

 再び歓声が起きた。

「ギール共和国は、今日をもって国号を変更します。」

 広場が静まり返った。

「エスター民主帝国。」

 ロニーは言った。

「民衆による政治を基盤とし、強き指導者のもとで世界に誇れる国家を築く。それが、我々の目指す姿です。」

 歓声が、今まで聞いたことのない大きさで広場を揺らした。



 戴冠式は、降伏から二週間後に行われた。

 ロニーは玉座に座った。

 紅のマントが、肩に掛けられた。

 エスター民主帝国、初代皇帝。

 ロニー・フォン・エスターライヒ。

 式典の間、ロニーは表情を変えなかった。しかし胸の中で、何かが燃えていた。父の首が晒された日から、ずっと燃え続けていた火が、今、最も高く燃えていた。

 これが、始まりだ。



 式典が終わった夜、ロニーはハルトを執務室に呼んだ。

 二人きりだった。

 ロニーは玉座ではなく、いつもの椅子に座っていた。紅のマントだけが、まだ肩にあった。

「ハルト」

「何だ」

「本当のことを話す」

 ハルトは黙って座った。

「この戦争の目的は、資源でも領土でもない」ロニーは言った。「エスターライヒの再構築だ。そして——俺の力を、世界に誇示すること。」

 ハルトは表情を変えなかった。しかし目が、わずかに険しくなった。

「野望と父のための戦争か」

「そうだ」

 沈黙が落ちた。

 ハルトはしばらく、机の一点を見つめていた。それから、深く息を吐いた。

「……エスターライヒの再構築」ハルトは言った。「それは——俺も、望んでいた」

 ロニーはハルトを見た。

「お前の父親が何をされたか、俺は知っている」ハルトは続けた。「お前の父……いや、ユリウス王はただ平和を望む王だった。エスターライヒが崩壊した時、多くの人間が理不尽に踏みにじられた。それに復讐したいという気持ちは——」

「賛同するか」

 ハルトはしばらく黙っていた。それから、顔を上げた。

「俺はそうする運命だったのかもしれない。」

 ロニーの口の端が上がった。

「副総督として、帝国の再構築に協力する」ハルトは言った。「ただし——」

「ただし?」

「無駄な血は流すな」

 ロニーは答えなかった。しかしその目が、微かに和らいだ。



 翌朝、エルヴィンが執務室に来た。

 その顔は、いつもと違った。笑っていなかった。

「兄さん」エルヴィンは言った。「話がある」

「聞く」

「侵略はやめてくれ」エルヴィンは真っ直ぐ言った。「アルカナで、何人死んだか知ってるんだ。ギール軍だけじゃない。アルカナの兵士も、民間人も——」

「戦争だ」

「だから嫌なんだ!」エルヴィンの声が上がった。「兄さんは人が死ぬことを、何とも思わないのか」

 ロニーはエルヴィンを見た。弟の目に、涙が浮かんでいた。

「軍人は」ロニーは静かに言った。「死ぬために生まれてきた」

「そんなこと——」

「違うと思うか」ロニーはエルヴィンを見続けた。「軍人とは、国家の意志を体現する存在だ。その意志の行使に、死は伴う。それを承知で軍に入る」

「でも——」

「エルヴィン」ロニーは言った。「お前の感情は正しい。人の死を悼む心は、正しい。しかしその感情で世界は動かない。動かすのは——力だ」

 エルヴィンはしばらく黙っていた。

 それから、小さく言った。「……でも兄さん——」

「何だ」

「エスターライヒの再構築をしたいんでしょ?」

 ロニーは少し間を置いた。

「その通りだ。」

「確かに父さんの仇は打つ。でも関係ない人たちは殺さないで。」

 そう言い放ち、ロニーがしゃべる隙も与えずにエルヴィンは部屋を出て行った。

 ロニーはその背中を見送った。

 お前は正しい、エルヴィン。

 しかしその言葉は、口には出なかった。



 その日の夕方、アーシャが執務室に来た。

 軍服の襟を正し、ロニーの前に立った。その顔に、珍しく、苦いものがあった。

「日本海海戦について、報告する」アーシャは言った。「グーマン大将のターン戦術に対応できず、損害を抑えられなかった。敗北した。申し訳ない」

 ロニーはアーシャを見た。

「謝罪は不要だ」

「そして——」

「アーシャ」ロニーは言った。「日本海での苦戦は、計算の内だ」

 アーシャが顔を上げた。「計算?」

「グーマン大将がターン戦術を使うことは、事前の情報にあった」

 ロニーは続けた。

「日本海を膠着させ、アルカナの注意をそこに引きつける。その隙にサハリンから動く。それが最初からの計画だった」

 アーシャはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。「……私を、囮に使ったのか」

「優秀な指揮官が苦戦するからこそ、敵は信じる」

 アーシャは表情を変えなかった。しかし、その目が何かを考えていた。

 ロニーは続けた。「損害は?」

「艦艇十二隻。乗員、三百四十名」

 ロニーは目を閉じた。

 三百四十。

 数字として処理した。しかし——

「お前は」ロニーは言った。「平気なのか」

 アーシャが目を丸くした。ロニーがそういう聞き方をするのを、初めて聞いた。

「……ああ。」

「そうか」

 ロニーは窓の外を見た。「アルカナはかなり強力な海軍を持っていた。お前がいなければ、あの膠着すら保てなかった」

 アーシャはしばらく黙っていた。それから、小さく言った。「……心配したのか」

「事実を言っている」

「そうか」アーシャは口の端を上げた。「ありがとう、ロニー」

 ロニーは答えなかった。



 夜、一人になった執務室で、ロニーは玉座の間を見た。

 まだ紅のマントが、椅子の背にかかっていた。

 ロニーはそれを手に取った。

 エスター民主帝国。

 民主帝国——民衆の声で動き、皇帝の意志で支配される国。矛盾した言葉だが、ロニーにとっては魔法の言葉であった。

 ロニーはマントを肩に掛けた。

 優しい王は交渉で世界を動かそうとした。そして真の皇帝は力で動かす。

 しかし——目指す場所は、同じだ。

 窓の外に、ヴェルナの夜景が広がっていた。

 エスター民主帝国の旗が、風に揺れていた。

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