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Democratic Empire 〜民主帝国の皇帝〜  作者:
エスターライヒの残像
5/9

ロニー大統領

 それは、ロニーが予測していなかった朝に起きた。

 選挙事務所に飛び込んできたエルヴィンの顔が、いつもと違った。青くも赤くもない、奇妙な興奮の色をしていた。

「兄さん、ニュースを見ろ」

 画面をつけると、国営放送のアナウンサーが硬い声で読み上げていた。

『北日本推進党に対するアルカナ連邦からの不正資金提供、および選挙介入工作が、独立調査委員会の調査により確認されました。提供総額は——』

 ロニーは画面を見つめた。

 三秒、黙っていた。

 それから、低く笑った。

 エルヴィンが目を丸くした。ロニーが笑うのを、こんな形で見たのは初めてだった。

「兄さん……?」

「すまない」ロニーは笑いを収めた。しかし口の端はまだ上がっていた。「予想していなかった」

「え、知らなかったの?」

「知らなかった」

 エルヴィンはしばらくロニーを見ていた。それから、つられるように笑い始めた。「なんだよ、それ! 棚ぼたじゃないか!」

「棚ぼただ」

 ロニーはもう一度画面を見た。アナウンサーが続けている。ドヴォルザークの記者会見、工作の詳細、アルカナ連邦政府の関与——

 これは、使える。

 頭の中で、瞬時に計算が走った。アルカナ連邦への批判。国際社会への訴え。謝罪要求。そして——大北進計画への道筋。

 偶然が、設計図に変わった。


 ハルトが事務所に駆け込んできたのは、それから三十分後だった。

「見たか」

「見た」ロニーは言った。

「ドヴォルザークは記者会見で辞退を表明するらしい。党内も収拾がつかない状態だ」ハルトは息を整えながら言った。「これは——」

「好機だ」

ハルトはロニーを見た。その目に複雑な色があった。喜びと、微かな畏れが混在している。

「お前が仕掛けたわけじゃないんだな」

「俺にも神様がいるらしい」

 ハルトは一瞬きょとんとして、それから噴き出した。ロニーが冗談を言うのを、初めて聞いた気がした。「……お前が笑うと怖いな」

「エルヴィンと同じことを言う」

「エルヴィンは正しい」ハルトは言いながら、地図を広げた。「で、アルカナに対してどう動く」

「工作はしない」ロニーは言った。「する必要がない」

 ハルトが顔を上げた。

「アルカナが他国の選挙に介入したという事実は、もう世界に出た。俺たちは被害者として、謝罪を求め、批判をする。それだけでいい」ロニーは続けた。「人間は、弱者の声に反応する。特に、国際社会は」

 ハルトはしばらく考えた。「……勝手に孤立する、ということか」

「そういうことだ」

 ハルトは静かに頷いた。それから、珍しく笑った。「正直、少し安心した」

「何がだ」

「お前が仕掛けたんじゃなくて」

 ロニーは答えなかった。しかし、その目はわずかに和らいでいた。



 ドヴォルザークの辞退表明は、その日の夕方に行われた。

 記者会見の映像をロニーは事務所で見ていた。老議員の顔は憔悴していたが、目だけは死んでいなかった。

『私は辞退する。しかし——』ドヴォルザークはカメラを真っ直ぐ見た。『ロニー・フォン・エスターライヒへの警戒を、国民に訴え続けることをやめない。これは終わりではない』

 エルヴィンが舌打ちした。「しぶといな」

「それでいい」ロニーは静かに言った。

 エルヴィンが振り返った。「え?」

「批判者がいない権力は、腐る」ロニーは画面を消した。「あの男は俺にとって必要だ」

 エルヴィンはしばらくロニーを見ていた。それから、小さく言った。「兄さんって、たまに凄いこと言うよね」

「たまにか」

「いつもだと怖いから、たまにってことにしてる」

 ロニーは珍しく、声を出して笑った。短く、静かに。しかし確かに笑った。

 エルヴィンが目を丸くした。「今笑った!?」

「笑っていない」

「笑ってた! 絶対笑ってた!」


 就任式は、十一月の晴れた朝に行われた。

 ヴェルナの中央広場。群衆が埋め尽くす中、ロニー・フォン・エスターライヒはギール共和国大統領として宣誓した。

 演説は短かった。

「この国を、前に進める。それだけを約束します」

 群衆の歓声が広場を揺らした。

 エルヴィンが隣で目を赤くしていた。ハルトは腕を組んで空を見ていた。アーシャは少し離れた場所で、静かに拍手していた。

 式典が終わり、人が散り始めた頃、ロニーはしばらく広場に残った。

 ハルトが隣に来た。

「大統領閣下」

「その呼び方は事務所の外だけにしろ」

 ハルトは笑った。「じゃあ、ロニー。次は何をする」

 ロニーは広場を見渡した。歓声の余韻が、まだ空気に残っていた。

「アルカナ連邦に、公式の謝罪要求を出す。明日」

「国際社会への根回しは」

「必要ない。事実が広がれば、周りが動く」

 ハルトは頷いた。それから、ふと言った。「嬉しくないのか、今日」

 ロニーは少し間を置いた。

「嬉しい」

 ハルトが驚いた顔をした。珍しく、素直な答えが返ってきたからだ。

「ただ」ロニーは続けた。「これは通過点だ」

 ハルトはロニーの横顔を見た。その目が、遠くを見ていた。広場の向こう、ヴェルナの街並みの向こう、もっと遠くを。

 この男は、どこまで見ているんだ。

 ハルトはそれを口にしなかった。

 代わりに言った。「おめでとう、ロニー」

 ロニーは答えた。

「ああ」

 短く、しかし確かに。

 


 その夜、大統領府の執務室でロニーは一人になった。

 机の上に、二つのファイルが並んでいた。

 一つは、アルカナ連邦への謝罪要求書の草案。

 もう一つは、大北進計画の初稿。

 ロニーは後者を手に取った。ページをめくった。地図、兵力配置、冬季攻勢のタイムライン——

 彼は静かに、しかし確かに笑った。

 ロニーはファイルを閉じた。

 窓の外、ヴェルナの夜景が広がっていた。三年前より、はるかに多くの明かりが灯っていた。

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