民主主義とは
復興計画三年目の春、ナポリ帝国の港湾都市タレントで爆発が起きた。
軍の燃料貯蔵施設。死者七名。負傷者二十三名。現場に残された証拠は、ヴァルク連邦共和国の工作員が使用する火薬の成分と一致していた。
ロニーはその報告書を執務室で読んだ。
「予定通りだ」
グラウが向かいに座っていた。「ナポリ側の反応は予想以上に強硬です。外務大臣がヴァルク大使を呼びつけ、公式に抗議しました。ヴァルク側は全面否定していますが——」
「否定すればするほど、疑いが深まる」
「はい。両国の外交チャンネルは事実上、機能停止に近い状態です」
ロニーはファイルを閉じた。「北部ゲルマン系の動きは」
「民族自決の機運が臨界点に近づいています。あと一押しで、議会内での分離独立派が表に出てくるでしょう」
「急かすな。自然に出てくるまで待て」
グラウは頷いた。「N=0、第一層完了と見てよいかと」
「まだだ」ロニーは言った。「ナポリとヴァルクが外交関係を正式に凍結するまで、第一層は終わっていない」
グラウは静かに退室した。
ロニーは窓の外を見た。ヴェルナの街並みは、三年前とは別物になっていた。道路が整備され、工場の煙突から煙が上がり、市場に人が溢れている。
表の顔は順調だ。
その日の午後、議会でドヴォルザークが演説した。
「経済復興の成果は認める。しかしそれは、我々国民の努力の結果だ。一人の大臣の手柄ではない」
議場にざわめきが走った。
「ロニー・フォン・エスターライヒは、同盟からの借金でこの国を動かしている。返済の見通しは不透明だ。そして彼の父は——」
「議員」
ロニーは静かに立った。
「父の話をするなら、正確にしてください。ユリウス・フォン・エスターライヒは戦犯として処刑された。それは事実です。私はその息子として、この議場に立っています。隠したことは一度もない」
議場が静まった。
「しかし議員、今この国の国民が求めているのは、三年前の歴史ではなく、明日の食料と仕事のはずです。失業率は十四パーセントまで下がりました。主要産業の稼働率は六十七パーセントです。これは数字であり、事実です」
拍手が起きた。大きかった。
ドヴォルザークは座りながら、ロニーを見つめた。その目に浮かぶのは憎悪ではなかった。
この男は、俺が何を言っても利用する。
廊下でエルヴィンが駆け寄ってきた。
「完璧だった! ドヴォルザーク議員、完全に黙ってたよ」
「黙ったのではない」ロニーは歩みを止めずに言った。「次の手を考えていた」
「え?」
「あの男は今日の負けを、次の武器にする。油断するな」
エルヴィンは少し表情を曇らせた。「……兄さんって、誰も信用しないよね」
「信用と警戒は別物だ」
「どう違うの」
「信用は感情だ。警戒は習慣だ」
エルヴィンはしばらく黙って歩いた。それから小さく言った。「俺のことは、信用してる?」
ロニーは一瞬だけ歩みを緩めた。
「している」
エルヴィンは少し笑った。
夜、ハルトが執務室に来た。珍しく、資料を持っていなかった。
「話がある」ハルトは椅子に座り、ロニーを見た。「大統領選に出るつもりだろう」
「なぜそう思う」
「お前の動き方が変わった。議会での発言が、大臣の言葉じゃなくなってきている」
ロニーはペンを置いた。「鋭いな」
「出るなら、戦略を立てたい」ハルトは言った。その目に迷いはなかった。「俺にやらせてくれ」
「お前は国を支えたいのだろう。俺の選挙参謀では、国の支えにならない」
「お前が大統領になることが、国の支えになると思っている」ハルトは真っ直ぐに言った。「少なくとも今は」
少なくとも今は——か。
ロニーはその言葉の含みを、正確に受け取った。この男は何かを察している。全部ではないが、一部を。それでもついてくると言っている。
「わかった。頼む」
ハルトは頷いた。「対立候補の分析から始める。ベック大統領とドヴォルザークの支持層を洗い出す」
「ベックの支持層を全部取る」
ハルトが顔を上げた。「ベックの? ドヴォルザークではなく?」
「ドヴォルザークの支持層は、エスターライヒ家への憎悪で動いている。俺には絶対に入らない」ロニーは言った。「ベックの支持層は、寛容さと誠実さで動いている。それは——」
「模倣できる」ハルトが静かに続けた。
「そういうことだ」
ハルトはしばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。「……お前と話していると、たまに怖くなる」
「エルヴィンと同じことを言う」
「エルヴィンも言ってるのか」ハルトは苦笑した。「じゃあ、正しい感覚なんだろうな」
出馬表明は、復興計画三年目の秋に行われた。
場所はヴェルナ市内の広場。事前の告知は最小限にした。それでも、広場は人で埋まった。
ロニーは演台に立ち、群衆を見渡した。
老人、若者、労働者、学生。三年前、飢えていた顔が、今は違う表情をしている。まだ豊かではない。しかし、希望がある顔だ。
実に御しやすい。
「皆さん」
マイクを通した声が広場に響いた。
「三年前、この国は死にかけていた。工場は止まり、道路は壊れ、子供たちは学校に行けなかった。皆さんはそれを覚えているはずです」
静寂。
「しかし今、工場は動いています。道路は繋がっています。失業率は半分以下になりました。これは、皆さんが諦めなかったからです」
拍手が起きた。
「私はこの国をもっと良くしたい。ギール共和国が、世界に誇れる国になることを信じています。そのために——大統領選挙に立候補することを、ここに表明します」
広場が割れるような歓声に包まれた。
ロニーはその歓声を聞きながら、表情を変えなかった。
演台の下、最前列にエルヴィンがいた。目を輝かせて拍手している。その隣でハルトが静かに頷いていた。
群衆の端、離れた場所にアーシャが立っていた。軍服ではなく私服だった。腕を組み、まっすぐロニーを見ていた。その目が何を考えているのか、ここからでは読めなかった。
そしてさらに離れた場所に、ドヴォルザークが立っていた。拍手はしていなかった。ただ、見ていた。
来るがいい。
ロニーは内心で思った。
民主主義とは、多数決だ。そして多数を動かすのは——感情だ。
歓声はまだ続いていた。




