ターニングポイント
新章の始まり!
ロニーはただ立っていた。
危機的状況に陥り、今まで乗っていた勢いもすでに無くなり、再構築計画も中断せざるを得ない状況となってしまった。
ハルトが執務室に入り、ロニーに向かい言い放った。
「ロニー、そこまで機嫌を損ねる必要もないさ。エルヴィンが失踪したのは損害だけれど、それ以外は――」
ロニーが鋭いまなざしでハルトを見た。
「再構築計画は俺にとって何よりも大切だ。それが邪魔されたのが一番の大損害だ。」
部屋が静まり返る。
「……ここに来たのは知らせを伝えに来たんだ。」
「悪い知らせじゃあないよな?」
「良い知らせと悪い知らせがある。」
ロニーはひとまず冷静になり、椅子に座った。
「良い知らせから聞こう。」
「エルヴィンは恐らく生きている。」
「……悪い知らせは?」
「エルヴィンが寝返った」
ロニーは下に顔を向けた。
エルヴィンがよく見ると彼は歯を食いしばっていた。手も強く握りすぎていて、震えていた。
ヨーロッパ連合(EU)、エスター民主帝国に対し正式な外交声明を発表——
声明の内容は、外交文書としては異例のものだった。
「エスター民主帝国による東アジア諸国への侵略行為は、国際秩序の破壊に他ならない。我々ヨーロッパ連合は、エスター帝国の拡張主義を断固として認めない。なお、エスター帝国が占領下に置く諸地域の民衆の声に、我々は真摯に耳を傾ける用意がある」
ロニーはそこで一度、ページをめくる手を止めた。占領下に置く諸地域の民衆の声——
文章は続いていた。声明の署名欄。EU議長の名前の下に、補佐官として一つの名前が記されていた。
エルヴィン・フォン・エスターライヒ。
ロニーは声明書を机に置いた。
右手で髪を鷲掴み、目は暗闇に飲まれていた。
それから、窓の外を見た。ヴェルナの空は曇っていた。
それから三十分後だった。ロニーは冷静さを取り戻し、グラウが部屋に入ってきた。
「陛下、続報が入りました」グラウは静かに言った。
「EU側から非公式ルートで接触がありました。会談を求めています」
「誰が来る」
「エルヴィン様が、直接来ると」
執務室に沈黙が落ちた。
「……わかった」ロニーは言った。
「受け入れろ」
グラウが退室した。
ロニーは立ち上がり、窓の前に立った。
エルヴィン。お前は今、一体何を考えている。
会談は三日後、中立地帯として設けられた国境付近の小さな建物で行われた。
ロニーが先に入室した。テーブルを挟んで椅子に座り、扉を見ていた。
扉が開いた。
エルヴィンは——変わっていた。軍服ではなかった。しかし、その姿勢が違った。背筋が伸び、目に迷いがなかった。かつてロニーの執務室にカップを2つ持って入ってきた弟の、あの柔らかさが消えていた。
「久しぶり、兄さん」
声は穏やかだった。しかし「兄さん」という言葉に、今まで聞いたことのない距離があった。
「ああ」ロニーは言った。「座れ」
エルヴィンは座った。テーブルを挟んで、二人は向かい合った。
「EUの代理として来た」エルヴィンは言った。「個人としてではない。そこは最初に言っておく」
「わかっている」
「エスター帝国が占領した地域——アルカナ、極東、大東亜、長海——現地の民衆は苦しんでいる。EUはその解放を求める」ロニーは静かに聞いていた。
「領土の一部返還。占領軍の段階的撤退。現地自治政府の樹立。これが我々の要求だ」
エルヴィンはそこで一拍置いた。それから、静かに言った。
「応じなければ——EUは、占領地の反抗勢力を正式に支援する」
室内の空気が変わった。
ロニーは、エルヴィンを見た。弟の目を、まっすぐ見た。
「お前が言っているのか」ロニーは静かに言った。「それとも、誰かに言わされているのか」
エルヴィンの目が、一瞬だけ揺れた。ほんの一瞬だった。
「俺が言っている」
「そうか」ロニーは答えなかった。エルヴィンはロニーを見続けた。
「兄さんは変わらないな。俺が何を言っても、その顔のまま」
「お前こそ変わった」
「変わった」エルヴィンは言った。
「変わらなきゃいけなかった」
沈黙が落ちた。ロニーは目を閉じた。
ロニーが十二歳の頃。エスターライヒ王国の宮廷。
ユリウス・フォン・エスターライヒは、息子を書斎に呼んだ。背の高い男だった。しかし威圧感はなかった。穏やかな目をしていた。エスターライヒの君主とは思えないほど、静かな人間だった。
「ロニー」父は言った。
「地図を見ろ」机の上に広げられた世界地図。国境線が、色で塗り分けられていた。
「人間は国境を引く。そして国境の向こうを敵と呼ぶ。なぜだと思う」
ロニーは地図を見た。
「怖いからだと思います」
「そうだ」父は言った。
「知らないものは怖い。だから壁を作る。しかし——」
父は地図の上に手を置いた。
「壁は、いつか取り払える。言葉が通じれば。利益が一致すれば。信頼が生まれれば」
「外交ですか」
「そうだ。俺はそれを信じている」
父は笑った。
「いつかこの地図から、全ての国境が消える日が来ると思っている。人間が1つになる日が」
ロニーは地図を見た。色とりどりの国境線が、いくつも走っていた。
「全人類が、1つになれますか」
「難しい」父は言った。「しかし——不可能ではない。大切なのは、諦めないことだ」
その笑顔が、ロニーの記憶に焼きついた。
ユリウスが処刑された日。ロニーは遠くから見ていた。群衆が罵声を浴びせる中、父は一言も言わなかった。
群衆の中身のない声、運命と言わんばかりの雨の中、ただ遠くを見ていた。
その目が、ロニーには見えた。父は怒っていなかった。悲しんでもいなかった。ただ——まだ、何かを信じているような目だった。
ロニーは、その瞬間に決めた。
父の夢を、俺が終わらせる。外交では無理だった。優しさでは、世界は動かなかった。
ならば——力で動かす。人間は感情で動く。感情を動かすのは、利益と恐怖だ。その2つを完璧に操れる者が、世界を統一できる。
父上、あなたの目指した場所に、俺は別の道で辿り着く。




